やっと 新青森 えきまえ 開発 すすむか

去年の 12月 よっかに 新青森まで 全線 開業した 東北新幹線だ。開業 初日から 強風で ダイヤが みだれたり、午後には はやくも 空席が あったりと、前途 多難を おもわせる ふなでだっただけど、つぎの ことには おこれた。

青森市が 造成した 新青森 えきまえには 広大な あきちが ひろがる。こうりてんは コンビニ 1軒だけ。この 駅に 観光客が あつまりすぎると 約 4キロ はなれた 中心街が さびれると して おおがた 商業 施設を 規制しとる ためだ。 (あさひ)

青森県は なんの ために 新幹線 誘致しただ!


青森県は これまでに 膨大な エネルギーを ついやしただけじゃ なくて、今後も 建設費の じもと 負担の 返済や 三セクへの 補てんを してかにゃ いかん。



地域 浮揚の みち ひらけるか (河北新報

■ 「フル」 ゆずらず

  • 新幹線の 青森 延長の 基本 計画 決定は 1972年。
  • 10年後に 国鉄の 財務 状況の 悪化などから 一時 凍結された。
  • 凍結 解除後は 採算性を 理由に 一部 区間を のぞく ミニ 新幹線での 開業が 一時 採用されたけど、青森県は 盛岡 以南 同様 フル 規格の 建設に こだわった。
  • たびかさなる 陳情に たいし、「むだな 公共 事業」と みる 中央の 反応は ひややかだった。
  • 「核 燃料 サイクル 施設を うけいれ、アメリカ軍 基地も かかえ、国策に 貢献しとる。なんで フル 規格は 盛岡までなのか」。新幹線 問題で じもとは 不公平感を つのらせて きた。

■ 巨額 じもと 負担

  • 1996年に フル 規格での 延長が ようやく きまったけど、同時に 青森県は 盛岡 以南には なかった ふたつの 「交換 条件」を のまにゃ いかんかった。
  • ひとつは 建設費の じもと 負担。盛岡−新青森間の 約 1,850億円が 歳入の のびなやみに くるしむ 青森県 財政に おもく のしかかる ことに なった。
  • まあ ひとつは 並行 在来線。新幹線 開業に ともない 青森 県内の 東北線 目時−青森間 121.9キロの 運営は JR東日本から 経営 分離され、青森県の 三セク青い森鉄道が ひきうける ことに なった。青森県が 今後、青い森鉄道に 補てんする あかじ 額は まいとし 約 16億円にも のぼる みとおしだ。
  • 一方、1964年の 東海道新幹線 開業などとは 経済 情勢が おおきく 変化し、もはや 新幹線 延長が 即、地域の 発展に つながる 時代じゃ なくなった。事実、新青森駅 周辺に 進出する 企業は ほとんど なく、さらちが めだつ。

■ 注目は 一時的


新青森 到着 一番 列車 (河北新報)
新青森 到着 一番 列車 (河北新報

  • 空港の 利用客 減少や ストロー 効果など 新幹線には 負の 側面も ある。これらの 課題に 有効な 打開策を みつけるのは むずかしい。
  • 青森が 膨大な エネルギーを ついやし、多大な 犠牲を はらいながらも ながねん まちのぞんだ 新幹線は、もはや ゆめを はこぶ のりものでは ない。
  • それでも、新幹線が 東京や 仙台などの 都市圏から おおくの ひとを よびこむ 起爆剤と なる 可能性を 秘めとる ことに かわりは ない。観光 産業を 中心に 青森に くる 需要を ほりおこせれば、地域 浮揚の きっかけを つかめる はずだ。
  • 開業で あつまる 注目は 一時的な ものに すぎん。もとめられるのは、青森の あらたな 可能性を きりひらく 住民の 継続的で 自発的な とりくみで あり、住民 自身が 観光 資源を みがきあげたり 都市の 魅力を たかめたり する じみちな 努力だ。
  • 開業は ゴールじゃ ない。開業後こそ、青森の ちからが ためされる。
    (解説=青森総局 一条優太氏)


えきまえに コンビニ 1軒しか ない 駅に だれが おりるだ。


と おもっとった ところで うごきが あった。



新青森駅 周辺の 市有地、随時 応募 可能に (あさひ)

新青森に むかう 一番 列車 (あさひ)
新青森に むかう 一番 列車
(あさひ)

東北新幹線 開業に あわせて 区画 整理を しながら ほとんどが うれのこっとる 新青森駅 周辺の 市有地に ついて、青森市は 2月 じゅうよっか、これまで 3か月 ごとに 募集しとった 企業などからの 事業 提案を 2月 15日から 随時 うけつける よう あらためる。商機に 敏感な 企業の うごきに 迅速に 対応し、売却を すすめる ねらいだけど、おもわく どおりに いくかは 未知数だ。


青森市の 石江区画整理事務所などに よると、青森市は 約 3.9ヘクタールを 保留地と して 18区画に わけ、2008年から 企業などからの 事業 提案を 募集した。しかし、うれたのは 2区画 0.8ヘクタールに とどまっとる。


石江区画整理事務所は、企業が すこしでも はやく 事業を はじめれる 必要が あると して、のこる 16区画に たいする 企業の 事業 提案を 随時 うけつけ、審査する 方式に あらためる ことに した。一方、予定 売却 価格は すえおいた。石江区画整理事務所は 「新幹線 開業後、企業などからの といあわせが 具体的に なって きとる」と、期待を こめとる。
(有近隆史氏)



これで 中心街が さびれると して おこなっとる おおがた 商業 施設の 規制が はずれるとは かいてないけど、すくなくとも 新青森 えきまえを なんとか せにゃ いかんって いう きもちの あらわれだと おもう。




(写真 解説)


1まいめ
新青森駅に 到着する 東京 発の くだり 一番 列車 「はやて 11号」。着工から 39年を へて 実現した 青森 延長だけど、今後の 活用策が 重要と なる=2010年 12月 よっか 午前 10時 ごろ (河北新報

2まいめ
新青森駅に むかう 東北新幹線の 東京からの 一番 列車。おくは 三内丸山 遺跡=2010年 12月 よっか 午前 9時 59分、青森市、朝日新聞社 ヘリから、水野義則 撮影 (あさひ)



(ねたもと)



(ついか)