栄光の 名鉄 一宮線

名鉄 犬山線の 岩倉から にしに 分岐して、一宮に いく 路線が あった。

名鉄 一宮線 路線図 (あきひこ)
名鉄 一宮線 路線図 (あきひこ)

「ああ、名鉄 名古屋本線犬山線の、それぞれの 中間駅を むすぶ 支線が あったのか」って いう 理解は ちょっと ちがう。

名古屋電鉄の 郊外 路線 展開

  • 1910年 5月 むいか、枇杷島 押切町−枇杷島間 1.8kmが 開業。
  • 1912年 8月 むいか、一宮線 枇杷島−岩倉−西印田間 16.5kmと 犬山線 岩倉−犬山間 15.2kmが 開業。
  • 1913年 1月 25日、一宮線の のこる 西印田−東一宮間 0.6kmが 開業。
  • 1914年 1月 23日、津島線 枇杷島橋−新津島間 13.9kmが 開業。
  • 1914年 9月 22日、清洲 須ヶ口清洲間 1.8kmが 開業。
  • 1920年 9月 23日、小牧線 岩倉−小牧間 5.1kmが 開業。
  • 1921年 7月 ついたち、5路線 54.9kmを 名鉄に 譲渡。

この 一宮線は 名鉄の 前身の 名古屋電鉄が つくった もんだけど、ほの 郊外 路線 第1号に なる。しかも 一宮線が 犬山線から 分岐したじゃ なくて、犬山線が 一宮線から 分岐しただ。一宮と 犬山の 都市 規模を くらべや、ほれが 順当な ことが わかる。

須ケ口名鉄一宮間が 開業し、名古屋本線で 名古屋と 一宮が つながるのは 1928年の ことで、ほれまでの 16年間は 岩倉 まわりの 一宮線こそが 一宮に いたる 基幹 路線だっただ。当初から 複線で 建設されても おる。

ほんな 一宮線も ほれから 37年で 廃止に おいこまれる。

名鉄に なってからの 一宮線

  • 1941年 8月 12日、枇杷島橋−岩倉間が 犬山線に うつされ、のこる 岩倉−東一宮間 だけが 一宮線と なる。
  • 戦時中、資材 流用の ために 不要 不急線と され、単線に されちゃう。
  • 1948年 5月 12日、架線 電圧を 600Vから 1500Vに 昇圧。
  • 1965年 4月 25日、一宮線 全線 岩倉−東一宮間が 廃止。

くやしい。

一宮線の 廃止には、交差する 国道22号線の 6車線化が 関係したとも きくけど、事実は わからん。

ところで さいきんに なって、この 栄光の 一宮線の 記憶を のこさあって いう いごきが ある。

廃線の にぎわい しのぶ 〜名鉄 一宮線 浅野駅〜 〔ちゅうにち〕

  • ホームの りょうがわに なつかしい 電車が とまっとる。ドアが あくと、乗客が つぎつぎと のりこみ、駅の けんそうが きこえて きそうな 1枚。かつての 名鉄 一宮線 浅野駅だ。
    廃止 まえびの 一宮線 浅野駅 (ちゅうにち)
    廃止 まえびの 一宮線 浅野駅 (ちゅうにち)
  • 浅野駅 あと ちかくに すんどる、名鉄 OB 本地宗治さん 78才の はなし
    「クルマも バスも ない時代、とおくに すむ ひとも 浅野駅まで あるいて やって きて、一宮線で まちに むかっただ」
    「ガチャマン 景気で 本町が いまよりも にぎやかでね。あそびや かいもんに でかける ひとが おおぜい おっただよ」
  • 一宮線は 交差する 名岐バイパス国道22号線)の 建設などに ともない、1965年 4月 25日に 廃止と なり、バス 路線に 転換された。

(2009年 12月 13日 山田友美氏)
名鉄 一宮線の 歴史 つたえる 案内板 完成 〔ちゅうにち〕

  • 名鉄 一宮線の なごりを 一宮 市内で ゆいつ とどめる 大江川 きょうりょう あとに、この はる、歴史を つたえる 案内板が 完成した。
    一宮線 大江川 きょうりょう あと (ちゅうにち)
    一宮線 大江川 きょうりょう あと (ちゅうにち)
  • 名鉄一宮 えきまえから ひがしに のびる 県道に かかる 須ケ崎橋の みなみがわ。整備された 護岸の 一角で ひときわ めを ひく ふるびた いしづみが、旧 一宮線の きょうりょう あと。終点の 東一宮駅から 300メートル ひがしに 位置しとった。
    名鉄 一宮線 大江川 きょうりょう あと 位置図 (あきひこ)
    名鉄 一宮線 大江川 きょうりょう あと 位置図 (あきひこ)
  • 一宮線の 運転士も つとめた もと 名鉄 社員 神田功さん 82才の はなし
    「ひがしから きて はしを わたると ゆるやかな くだりに なってね。ぶじに 終点に たどりつけそうだ、と ほっとする ばしょだった」
  • 貴重な きょうりょう あとを 後世に のこしたいと、専門誌への 寄稿を とおして じもとの 鉄道史の 伝承に とりくんで きた 神田功さんの おもいを 察するかの ように、遺構の 存在を しっとった 県も 大江川 一帯の 整備 事業が 2011年度で 完成するのを 機に 案内板の 設置を 決定。

(2012年 4月 むいか 谷悠己氏)

ここで 鉄道から 転換された バス 路線を みて みる。

名鉄バス 路線図 〔一宮 〜 岩倉〕
名鉄バス 路線図 〔一宮 〜 岩倉〕

平日の 運行 本数は ひるまでも 1時間に 4本 あって、時間帯も あさの 6時 ごろから ばんの 10時 ごろまで いごいとって、じゅうぶんに 公共 交通と して やくに たつ。また、ほいだけ 一宮と 岩倉の あいだには 需要が あるとも いえる。沿線 人口も 廃止に なった 1965年 当時より ふえとる わけだし、まあ いっかい 鉄道 ひいても やって いけるじゃ ないかな。

栄光の 記憶を のこすに とどまらず、にしで 名鉄一宮に、ひがしで 岩倉に それぞれ 接続する、あたらしい 一宮線の たんじょうを 期待したい。



(ねたもと、さんこう)