碧海電鉄の 歴史

わが 名鉄 西尾線の 前身を 碧海電鉄 (へっかいでんてつ)って いうだけど、「なんねんに 開業した」って いう 以外の ものがたりを きいた ことが ない。「どんな 経緯で 計画が できたのか。資金を どう やって 工面したのか。用地 買収に あたっては どんな 苦労が あったのか。駅の 位置は どう やって きめたのか。開業の ときには みんな どんなに よろこんだか」とか いう はなしを まったく きいた ことが ない。東海道線の 安城駅に ついての ものがたりは あるのに。


名鉄に きいて みたけど、「碧海電鉄に 関する 資料は 『名鉄資料館』に 乗車券が いくつか のこる だけで、ほかには ない」って いう。


かなしい ことだ。




(さんこう)

  • 【解説】 〜「西尾鉄道と 岡崎」〜 - あきひこ ゆめてつどう|2011-10-31
    • 1938年に 施行された 陸上 交通 事業 調整 法に より、鉄道も じょじょに 戦時 体制下に おかれ、政府 主導で 会社の 統合や 軍需 むけ 新線の 建設が すすめられて いきました。そんな なか、岡崎新−西尾間の 路線は、不要 不急の 路線と 判断されて しまい、1943年 12月 18日、営業 休止を よぎなくされました。
    • おおくの 郷土史などでは、撤去された レールや 資材は、軍事 施設で ある 豊川 海軍 工廠 (こうしょう)への 輸送を になう 豊川市内線 (国府 (こう)−市役所前間)の 布設に 再利用された ことに なって おります。しかし、じっさいに 作業で たずさわった もと 名鉄 職員の かたがたの 証言に よれば、本線 なみの 規格で 布設された 碧海電鉄 (現 名鉄 西尾線)の 一部 レールが、当時 最 重要 路線と して 計画された 新名古屋 (いまの 名鉄名古屋)−神宮前間の 連絡 工事の ため 供出されたので、ほれを うめる ために 岡崎新−西尾間の レールが つかわれた、と いわれて おります。
    • はっきりした 記録は のこって おりませんけど、戦時下の 状況を ものがたって おると いえましょう。
  • 碧海古井駅 トイレ 完成! - あきひこ ゆめてつどう|2010-12-30
  • 安城 (あんじょう)の 歴史 (かめぞう) - あきひこ ゆめてつどう|2008-12-07
  • 名鉄西尾線 - Wikipedia
    • 1926年 7月 ついたち、碧海電鉄が 1067mm 軌間、1500V 電化で 今村 (いまの 新安城)−米津間を 開業。
    • 1928年 8月 いつか、碧海電鉄 米津−碧電西尾口間が 開業。
    • 1928年 10月 ついたち、碧海電鉄 碧電西尾口−西尾間が 開業、今村−西尾間 600Vに 降圧。