むかしの 鉄橋の 橋台 - 大江川 遊歩道 ご案内

名古屋から 岩倉を 経由して 一宮までを むすんだ 名鉄 一宮線。終点の 東一宮 てまえで 大江川を わたる ところに、鉄橋の 橋台が いまも のこっとる。わきに こんな 案内板が たっとった。

20131213 11:26 大江川 遊歩道 ご案内
20131213 11:26 一宮線 大江川 きょうりょう あと
20131213 11:27 一宮線 大江川 きょうりょう あと
△ うえ=大江川 遊歩道 ご案内 △ なか=案内板と 橋台 △ した=橋台

みると、こんな ことが かいて ある。

大江川 遊歩道 ご案内
大江川 遊歩道 ご案内

大江川 遊歩道は 水環境整備事業 大江川 2期 地区で 整備しました。
事業 主体=愛知県尾張農林水産事務所一宮支所 2012年 3月 一宮市

東一宮に むかう モ771号 (名鉄 一宮線 花岡町-東一宮間) (1954.8.31 さつえい)
大江川 遊歩道 ご案内 - 01 東一宮に いく モ771号 (花岡町-東一宮間)

1912年に 開通した 名鉄 犬山線と 一宮線の 路線図
大江川 遊歩道 ご案内 - 02 1912年に 開通した 犬山線と 一宮線の 路線図

名鉄 一宮線 橋台 あと
大江川 遊歩道 ご案内 - 03 旧 一宮線 橋台 あと

名鉄の 前身で ある 名古屋電鉄 一宮線は 1912年 8月 むいかに 複線で 竣工、開通しました。
開業 当時は 押切町 (おしきりちょう)-西印田 (にしいんでん)間 18.3キロで、西印田-東一宮間 0.6キロは つぎの としの 1913年 1月 25日に 延長されました。所要 時間は 押切町-西印田間で 46分、運転 間隔は 20分で、料金は 押切町-西印田間 19銭 (通行税を ふくむ)でした。戦後、クルマの 普及に より 支線の バス 転換が すすみ、一宮線は 1965年 4月 25日に 廃止されました。
この 案内板の 基礎 付近に のこる いしづみ づくりの 構造物は、大江川に かかっとった はしの 橋台 あとです。

大江川の 歴史
大江川 遊歩道 ご案内 - 04 大江川の 歴史

大江川は、いまから 千年も まえの 平安 時代に すでに あったと いわれて おります。
当時、尾張 国司 (おわり こくし)に 着任した 大江匡衡 (おおえの まさひら)は、悪政と 洪水、凶作に なやむ 農民たちの ために 河川を 改修し 善政に つとめました。改修された かわは いつしか 「大江川」と よばれ、農民たちに よろこばれた ようです。
これが 宮田 用水で もっとも 長大な 用水 「大江川」と なり、尾張 地方の 農業 ばかりで なく、地域の あまみずや 排水を うけいれる 重要な やくわりを にないつづけて おります。

水環境整備事業 大江川 2期 地区とは
大江川 遊歩道 ご案内 - 05 水環境整備事業 大江川 2期 地区とは

農業用 水利 施設で ある 大江川は、農業用 水路と しての やくわり だけで なく、洪水 被害を 軽減したり、みぢかな みずに したしむ 空間と しても ふるくから 周辺 住民に したしまれて おり、多面的な 機能を もつ 地域の 貴重な 財産です。
水環境整備事業 大江川 2期 地区では、近年の かんきょう 意識の たかまりから 大江川 堤防に 「遊歩道」や 「みずに したしむ ひろば」などを 設置し、地域の みなさまに いままで 以上に てがるに また 多目的に 利用して いただき、「うるおい」、「ゆとり」、「やすらぎ」を かんじて いただける よう 整備しました。
また、さくらの 名所でも ある 大江川を つうじ 「農業用 水利 施設」への さらなる 理解や 関心を ふかめて いただく ことで、地域の 活性化が はかれる ことも 目的と して おります。

線路の あとちが バスも とおる 道路と して つかわれとる ほか、一宮線の 記憶を いまに のこす ゆいつの ものが この 橋台だ。


(さんこう)