碧海電鉄(へっかいでんてつ)ってのはわが名鉄西尾線の前身だ。1926年7月ついたちにさいしょの開業区間である新安城-米津間11.8キロが開業しとるだけど、『名古屋鉄道百年史』っていう本に、つぎのとおり建設の経緯がのっとった。
愛知電鉄はひきつづき豊橋線の培養線を布設する必要をかんじ、1925年5月には地域の要望により愛知電鉄が半額を出資して資本金100万円の碧海電鉄を設立し、1926年7月ついたちには今村(いまむら)(いまの新安城(しんあんじょう))-米津(よねづ)間11.8キロを開通させた。会社としては別会社化により補助金をうけれる便宜(べんぎ)もあり、以后ローカル線建設、運営についてこの方式がもちいられた。矢作川(やはぎがわ)のきょうりょう工事が困難のため2期にわけて建設し、1928年8月にいたり西尾まで延長した。ほのあとは実質的に愛知電鉄の路線の一部として営業した。 |
なるほど、名鉄の前身である愛知電鉄が碧海電鉄っていうこがいしゃをつくって、建設したわけだ。愛知電鉄が半額を出資したってあるけど、のこりの半分は西尾のひとがだしたのかな。
(さんこう)
- 碧海電鉄の 歴史 - あきひこ ゆめてつどう|2012/08/18
- 【解説】 〜「西尾鉄道と 岡崎」〜 - あきひこ ゆめてつどう|2011/10/31
- おおくの 郷土史などでは、〔西尾鉄道から〕 撤去された レールや 資材は、軍事 施設で ある 豊川 海軍 工廠 (こうしょう)への 輸送を になう 豊川市内線 (国府 (こう)−市役所前間)の 布設に 再利用された ことに なって おります。しかし、じっさいに 作業で たずさわった もと 名鉄 職員の かたがたの 証言に よれば、本線 なみの 規格で 布設された 碧海電鉄 (現 名鉄 西尾線)の 一部 レールが、当時 最 重要 路線と して 計画された 新名古屋 (いまの 名鉄名古屋)−神宮前間の 連絡 工事の ため 供出されたので、ほれを うめる ために 岡崎新−西尾間の レールが つかわれた、と いわれて おります。
- 安城 (あんじょう)の 歴史 (かめぞう) - あきひこ ゆめてつどう|2008/12/07
- 名鉄西尾線 - Wikipedia
- 碧海電気鉄道 - Wikipedia
- 名古屋鉄道百年史
- 名古屋鉄道株式会社, 1994 - 1106 ページ
- 名古屋鉄道株式会社, 1994 - 1106 ページ