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とりあえず脇野田駅のままいざる - 上越妙高駅

JR東日本

北陸新幹線新潟県内で信越線とまじわるとこ。ほれが脇野田駅(わきのだえき)だ。ただ信越線のえきもほのまま北陸新幹線とののりかええきになるじゃなくて、120メートルにしにいざったうえでのりかええきになるだげな。これまで直線だった線形もにしにふくらむかたちになる。

脇野田駅移設地図(廃線あと探訪のページ)
脇野田駅移設地図(廃線あと探訪のページ)

上越妙高駅断面図(上越市ホームページ)
上越妙高駅断面図(上越市ホームページ)

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らいねん2015年3月じゅうよっか北陸新幹線開業のあかつきには、新幹線駅、在来線駅ともども上越妙高駅(じょうえつみょうこうえき)っていうなまえになるだけど、きのう2014年10月19日に脇野田駅のまま、在来線のえきがにしにいざった。もとの位置にのこされたふるいえきはらいげつ2014年11月のうちにとりこわしになるとのこと。

【あさひのきじから】

  • 信越線の脇野田駅が、120メートルにしの新幹線駅にしぐちに移設され、2014年10月19日からあらたなえきとして出発。1921年に開業してできたこれまでの駅舎は90年あまりつづいた歴史のまくをとじ、2014年11月中旬ごろにとりこわされる。
  • 「愛着のあるえきがなくなるのはさびしい」。ほうはなすのはえきちかくにすみ、北陸新幹線建設促進まちづくり協議会の会長をつとめる八木文夫さん73才。こどものころ、脇野田駅から蒸気機関車にのった。社会人になってからは通勤や出張でつかった。えきのすがたをずっとみてきた。
    移転まえの脇野田駅 (1) - あさひ
  • 信越線に当初、脇野田駅はなかったけど、じもとが熱心に誘致運動を展開。おおじぬしの長谷川八郎がえきの土地を寄付し、1918年に信号所としてもうけられ、簡易ホームもつくられたっていう。ほれから3年あとに地籍名からとったえきがたんじょう。1934年に誘致の最大の功労者、長谷川八郎の顕彰碑がえきまえにできた。えきは増改築をかさねとるものの、大正時代のたてものがのこる。
    移転まえの脇野田駅 (2) - 長谷川八郎の顕彰碑 - あさひ
  • 歴史あるなまえは上越妙高駅の東西をむすぶ自由通路のなまえ「脇野田どおり」としてのこる。長谷川八郎の顕彰碑は2014年11月にあたらしいえきのひがしぐちにうつされ、脇野田えきまえにあった1952年製のあかいまるがた郵便ポストはまあはいひがしぐちに移設された。
  • 脇野田駅の昨年度2013年度の乗車数は1日平均139人。上越市が40億円かけてうつすちいさなえきは、新幹線とつなぐ重要なえきにうまれかわる。八木文夫さんは「いかに利用してもらうかがだいじ。えきの発展をねがっとる」っていった。
  • 信越脇野田駅が2014年10月18日、ふるい駅舎でのさいごの営業をむかえた。90年あまりの歴史にまくをとじるえきをみいと、上越市内外からおおくのひとがおとずれ、わかれをおしんだ。
    移転まえの脇野田駅 (3) - あさひ
  • 脇野田駅は、1日平均の乗車人員が昨年度2013年度139人とちいさなえきだけど、このひは入場券だけでもゆうがたまでに200枚以上うれた。おとずれたひとたちは、大正時代からのこる駅舎をさつえいしたり、ホームで列車の写真をとったりしとった。
    移転まえの脇野田駅 (4) - あさひ
  • ちかくにすむ栃沢勇さん70才は「蒸気機関車の時代から利用しとる。大正のにおいがのこるえきがなくなるのはさびしい」。山梨県から来た25才のおとこのひとは「のこってほしかった」ってはなした。

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ふるい駅舎がなくなるのはざんねんだらあけど、新幹線駅のよこに在来線のえきをもっていきゃあ、ほや便利になるでいいよね。在来線の線形をかえてまでえきをいざらせちゃった決断に拍手だ。


(さんこう)