2016年7月ようか、可部線(かべせん)復活区間に設置されるふたつのえきのなまえが発表された。あたらしく終点になるえきが「あき亀山(あきかめやま)」で、ほのてまえの中間駅が「河戸帆待川(こうどほまちがわ)」。らいねん2017年はる開業予定の復活区間のきょりはわずか1.6キロだけど、これを第一歩として三段峡(さんだんきょう)までの全線復活にこぎつけるぞ。さらには、未成区間である浜田までの延伸をめざすぞ。
(さんこう)
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- 可部線 - Wikipedia
- 歴史
- 可部線の現存区間は、私鉄が開業した区間を1936年に国有化したものである。同区間は、1909年、大日本軌道広島支社が軽便鉄道規格で開業したものであるが、数回所有者が変わり、買収時の所有者は広浜鉄道であった。本路線は、改正鉄道敷設法別表第94号の予定線「廣島縣廣島附近ヨリ加計ヲ經テ島根縣濱田附近ニ至ル鐵道」の一部として買収されたものである。
- 可部駅以北は国により建設された。1968年に国鉄諮問委員会が提出した意見書で、可部駅 - 加計駅間が鉄道としての「使命を終えた」路線、いわゆる赤字83線に挙げられ廃止勧告を受けた一方で、建設は続けられ、翌1969年に三段峡駅までが開通した(新規開業区間は非電化)。その後も日本鉄道建設公団の建設線(今福線)として山陰本線の浜田駅を目指して建設が進められたが、1980年の国鉄再建法の施行により工事は中断され、現在も遺構が残る。
- 2003年には非電化区間の可部駅 - 三段峡駅間が廃止された。なお同区間内には、1954年の布駅 - 加計駅開業により国鉄路線延長が2万kmに達した地点(坪野駅 - 田之尻駅間。坪野寄り500m)が含まれており、位置を示す記念碑だけが取り残されることとなった。
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