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名鉄資料館でみてきたもの (11) 愛知電鉄沿線案内

名鉄

こんかい第11回は愛知電鉄沿線案内で、名鉄資料館でみてきたものの紹介もこれでさいごになる。

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愛知電鉄は名岐鉄道とならぶ名鉄の前身で、東部線を形成してきた。三河と知多に路線網をはりめぐらせとっただけど、この沿線案内はまんだ路線網が完成するまえのもんだ。図はよこながのもんだけど、これをみっつにわけて説明する。なお、通常の地図とちがってみなみがうえになっとることにご注意ねがう。

三河

まずはいちばんひだりの「三河」から。まんなかをよこにはしるのがいまの名古屋本線になる。起点はこっからみぎにはずれたとこにある神宮前だけど、さいしょに本笠寺(もとかさでら)まで開業したのが1917年3月なのか。ふたつきあとの1917年5月ようかには有松(ありまつ)まで開業。このときまで路線名は有松線だった。

(109) 地図 - 愛知電鉄沿線案内 - 三河 〔かきこみあり〕
(109) 地図 - 愛知電鉄沿線案内 - 三河 〔かきこみあり〕

さらに6年あとの1923年4月ついたちに知立(ちりゅう)まで開業。交差するのは、当時まんだ三河鉄道が運行しとった三河線三河鉄道のほうは、1914年の刈谷-碧南(当時は大浜)間の開業をかわきりに、1920年までに知立から豊田市(当時は挙母)まで路線をのばしとったで、三河にあっては名古屋本線より三河線のが先輩だっただ。

また、ふたつきあとの1923年6月ついたちに1日に岡崎公園前(当時は西岡崎)まで開業。知立岡崎公園前間にあるわがしんあんじょう(当時は今村)もこのときに開業しとるだけど、まんだ西尾線はない。西尾線の開業はこの3年あとの1926年7月ついたちのことになる。東岡崎まで開業したのは1923年8月ようか。知立から岡崎までは、ほれまでの有松線から岡崎線となまえをかえて延伸。

ところで省線(のちの国鉄)は岡崎のえきのとこが表示してあるだけだけど、1923年当時、岡崎から西尾まで開業しとった西尾鉄道がないのはかたておちのようなきもする。西尾鉄道の開業は1911年10月30日のことで、三河鉄道よりさらに先輩なだ。西尾鉄道ができて、三河鉄道ができて、ほのあとに愛知電鉄ができていくっていう順番だ。

ちなみに、豊橋(当時は吉田)まで開業するのは1927年6月ついたちのことで、また岡崎線から豊橋線となまえをかえる。

名古屋

つぎに名古屋。名古屋っていっても、起点はいまの名鉄名古屋からみなみに5.8キロの神宮前(じんぐうまえ)で、ほっからひがしに名古屋本線(当時は豊橋線)がのびて、みなみに常滑線がのびる。常滑線は1912年から1913年にかけて神宮前から常滑までの全線を開業しとって、名古屋本線よりも先輩にあたる。さいしょに常滑線をつくった愛知電鉄が、つぎに名古屋本線をつくっていっただ。

(110) 地図 - 愛知電鉄沿線案内 - 名古屋 〔かきこみあり〕
(110) 地図 - 愛知電鉄沿線案内 - 名古屋 〔かきこみあり〕

知多

さいごに知多。いまは新舞子までの海岸が工業地帯としてうめたてられとるだけど、この当時、しぜんのままのはまべにほかけぶねがのどかにうかんどる。ちなみに、太田川から半田方面にむけて分岐する河和線(こうわせん)は、1931年4月ついたちの太田川-成岩(ならわ)間の開業をさいしょとして、1935年8月ついたちに河和までの全線が開業する。

(111) 地図 - 愛知電鉄沿線案内 - 知多 〔かきこみあり〕
(111) 地図 - 愛知電鉄沿線案内 - 知多 〔かきこみあり〕

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(さんこう)