きょうは、2016年10月30日にあたらしく橋上駅にうまれかわったJR春日井駅を紹介する。
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みてきたときのようす
ホーム
ホームはかわりがない。相対式ホームに上下線があって、ほのまんなかになか線がある。うえの写真はなか線をあがり貨物列車がさりゆくとこで、したの写真は、さがり線を貨物列車が通過していき、あがり線を電車がでていくとこだ。名鉄にはない光景で、いかにもJRらしい光景だ。ホームをおおうふとい鋼鉄のはりはあたらしいもので、これが橋上駅舎をささえる。
(1) ホーム、(2) ホーム - さがり貨物列車とあがり電車
橋上駅舎
ホームから橋上駅舎にあがると、ひろいコンコースがある。東西にのびる線路を南北にまたぐ。
(3) コンコース(みなみむき)、(4) コンコース(きたむき)
コンコースのまんなか、にしむきにおおきなまどがあって、解放感がある。
ふりかえってひがしをみると、ちょっとおくまってかいさつがあって、ほのむこうに南北自由通路がよこたわる。かいさつをでると、南北自由通路のまどからむこうにやまがみえる。愛知県と岐阜県をへだてるやまか。
(6) コンコース(ひがしむき)、(7) 自由通路(ひがしむき)
自由通路からふりかえって、まあいっかいかいさつをみる。
(8) かいさつ(にしむき)、(9) かいさつ(にしむき)、(10) かいさつ(にしむき)
きたぐちとみなみぐちとあるうち、えきの正面になるきたぐちにおりるべく、自由通路をきたにすすむと正面に春日井のまちがみえる。これもいいかんじだ。
駅舎
きたぐちにおりたつ。おおきなロータリーが、えきとまちをへだてとるっていうかんじがある。ロータリーのそとがわをまわって、駅舎をさつえい。やっぱりJRらしいってかんじだ。写真はとってないけど、こっからまっすぐきたにのびるえきまえどおりがあるだけど、ひとえき名古屋よりの勝川(かちがわ)のえきまえにくらべてだいぶまけとるわ。
(12) 駅舎(ひだり45度から)、(13)(ひだり60度から)、(14)(みぎ60度から)、(15)(みぎ45度から)
開業をつたえるちゅうにちの記事
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なるほど、えきをおりてまんまえがタクシーのりばってのもなんだな~っておもってみてきただけど、これからバスのりばをえきにいちばんちかいとこにもっていくようにかえるだね。いいことだ。
春日井市について
1906年代の町村区域図ってのがインターネットにあった〔春日井の地名由来〕。むっつの町村が合併して春日井市になっただね。ゆいつ町である勝川町の区域に勝川駅があって、鳥居松村の区域に春日井駅があるだ。
ヰキペディアの記述をみてみる〔春日井市 - Wikipedia〕。
- 春日井市(かすがいし)は、名古屋市の北部に隣接する愛知県の市。特例市。
- 市域は濃尾平野と尾張丘陵に広がっている。江戸時代初期まで市の西部には春日井原が広がっていた。市の南部には庄内川が流れ、JR中央線および国道19号が市を横断している。また、市の西部には県営名古屋空港の一部があるほか、市庁舎や商工会議所および古くからの商店街が広がる。一方、東部は高蔵寺ニュータウンをはじめとする大規模団地が開発され、名古屋市のベッドタウンとなっている。
春日井駅について
こちらも、ヰキペディアの記述をみてみる〔春日井駅 (JR東海) - Wikipedia〕。
- 里程=名古屋起点18.1km
- 1日平均乗降客数=30,864人(2014年)
- 現在の中央本線にあたる路線のうち、名古屋駅-多治見駅間の開業は、1900年であるが、当時勝川駅-高蔵寺駅間には駅が設置されなかった。
- その後、鳥居松村の林長三郎など村民の有力者を中心に駅の開設運動が起こり、1926年11月に、駅の敷地を地元の地権者が寄付することを条件に鉄道省から駅の開設が認可され、1927年12月16日、現在地(当時は東春日井郡鳥居松村)に「鳥居松駅」(とりいまつえき)として開業した。
- 第二次世界大戦中の1943年、鳥居松村ほか4町村の合併により春日井市が発足した。それから終戦を経て、市発足3年后の1946年5月1日 、「春日井駅」に改称した。
- 1日約3万人が利用する春日井市の代表駅であるが、春日井市役所などが存在する鳥居松商店街とは離れており、駅付近には大きな商店もなく閑散としている。利用者数がほぼ同じである隣の勝川駅と比べると、駅前開発が行われておらず、駅舎の老朽化も進んでいた。
なるほど、さいしょっからえきがあった勝川駅にくらべて、27年もおくれて春日井駅はできただね。乗降客数もまんだ勝川駅にまけとる。市のなまえをあたえられとるにもかかわらず、市の代表駅になりえてない春日井駅の現状がわかる。
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(さんこう)