豊橋線
戦前、愛知電鉄っていう鉄道会社があった。いくつかある名鉄の前身のひとつで、常滑線を建設したあと、神宮前からひがしにむかって豊橋線を建設していっただけど、きょうは当時の路線図にのっとった急行列車の時刻表を紹介する。
弾丸特急
のぼりの神宮前発豊橋いきの時刻表で説明する。特急は12時発の1日1本で、急行は毎時正時発が1日9本ある。里程はマイル表示でわかりにくく、現在のキロ数で表定速度を計算してみる。特急は所要時間が1時間3分で、表定速度は時速59.2キロ。急行は所要時間が1時間12分で、表定速度は時速51.8キロ。特急の時速59.2キロは、競争あいてである省線の東海道線特急の名古屋-豊橋間の時速54.3キロをしのぎ、弾丸特急っていわれた。1917年3月なのかの本笠寺(もとかさでら)開業から順番に線路をのばして、ついに1927年6月ついたちに豊橋のりいれをはたした愛知電鉄が、同時に弾丸特急を運行して、省線にたいする優位性をおおいにうったえただ。
いまもすばらしくはやいけど
この愛知電鉄の高速志向はいまの名鉄にひきつがれる。いまは名古屋本線の一部になっとる豊橋線だけど、おんなじ神宮前-豊橋間の数字をみてみると、名鉄最速の快速特急の表定速度は時速86.8キロとすばらしくはやい。ただ、省線をひきつぐJR東海の東海道線をはしる新快速は金山-豊橋間の表定速度が時速88.2キロと、名鉄をわずかにしのいどる。東海道線のほうが名古屋本線よりおおまわりのため所要時間では互角なだけど、ふたたび名鉄が優位にたつためにも、尾張部の曲線のおおい区間の改良と、飯田線と共用区間になっとる伊奈-豊橋間の分離をすすめたい。
◇ ◇
(さんこう)
- 愛知電鉄路線図 - おぼえがき|2017/01/03
- 名鉄資料館でみてきたもの (11) 愛知電鉄沿線案内 - あきひこゆめてつどう|2016/11/10
- まずはいちばんひだりの「三河」から。まんなかをよこにはしるのがいまの名古屋本線になる。起点はこっからみぎにはずれたとこにある神宮前だけど、さいしょに本笠寺(もとかさでら)まで開業したのが1917年3月なのか。ふたつきあとの1917年5月ようかには有松(ありまつ)まで開業。このときまで路線名は有松線だった。
- さらに6年あとの1923年4月ついたちに知立(ちりゅう)まで開業。交差するのは、当時まんだ三河鉄道が運行しとった三河線。三河鉄道のほうは、1914年の刈谷-碧南(当時は大浜)間の開業をかわきりに、1920年までに知立から豊田市(当時は挙母)まで路線をのばしとったで、三河にあっては名古屋本線より三河線のが先輩だっただ。
- また、ふたつきあとの1923年6月ついたちに1日に岡崎公園前(当時は西岡崎)まで開業。知立-岡崎公園前間にあるわがしんあんじょう(当時は今村)もこのときに開業しとるだけど、まんだ西尾線はない。西尾線の開業はこの3年あとの1926年7月ついたちのことになる。東岡崎まで開業したのは1923年8月ようか。知立から岡崎までは、ほれまでの有松線から岡崎線となまえをかえて延伸。
- ところで省線(のちの国鉄)は岡崎のえきのとこが表示してあるだけだけど、1923年当時、岡崎から西尾まで開業しとった西尾鉄道がないのはかたておちのようなきもする。西尾鉄道の開業は1911年10月30日のことで、三河鉄道よりさらに先輩なだ。西尾鉄道ができて、三河鉄道ができて、ほのあとに愛知電鉄ができていくっていう順番だ。
- ちなみに、豊橋(当時は吉田)まで開業するのは1927年6月ついたちのことで、また岡崎線から豊橋線となまえをかえる。
- 名鉄資料館でみてきたもの (9) 昭和以降の名鉄の歴史 - あきひこゆめてつどう|2016/11/03
- にほんいちの特別急行電車! - 愛電の熱田豊橋間 - あきひこゆめてつどう|2014/04/28
- 名鉄小坂井支線 - Wikipedia
- 名鉄豊川線 - Wikipedia