読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

浪江まで運行再開 - 2017.4.1

予定より1日おくれの2017年4月ついたち、常磐線は小高-浪江間8.9キロで運行を再開した。こいで、2011年3月11日のひがしにほん地震によるつなみしゅうらいと原発事故によりおおきな被害をうけた仙台-いわき間151.9キロについて、きたがわは仙台から浪江までの92.7キロ、みなみがわはいわきから竜田までの31.5キロのあわせて124.2キロが復旧となり、のこすは原発事故をおこした福島第1原発にいちばんちかい竜田-浪江間27.7キロとなった。まいにちがつぎのとおりつたえる。

常磐線原発のまち、もどれふるさと…浪江-小高・再開(まいにち)
  • JR東日本2017年4月1日東日本大震災東京電力福島第1原発事故で6年以上不通だったJR常磐線浪江(福島県浪江町)-小高(同県南相馬市)間の運行を再開した。浪江町の全域に出た避難指示は2017年3月末に一部解除され、駅にも客が戻った。浪江は商業の町だったが、当面の帰還者は数パーセントとみられ、飲食店が軒を連ねて原発作業員らでにぎわった駅前商店街もシャッター通り原発で盛衰を味わった町の復興は遠い。
    2017.4.1 10時19分 浪江 - 喜屋武真之介さんさつえい - まいにち 800-470
    (2017.4.1 10時19分 浪江 - 喜屋武真之介さんさつえい - まいにち)
  • 浪江町の中心市街地・権現堂(ごんげんどう)地区にあるJR浪江駅。午前10時12分、馬場有(ばばたもつ)町長(68)らを乗せた電車がホームに到着すると、大勢の町民らが笑顔で出迎えた。再開区間は8.9キロ。沿線では地元住民が「お帰りなさい」の横断幕を掲げ歓迎した。避難先の南相馬市から乗った町出身の東海林サチ子さん(61)は「町の新たな誕生日をお祝いしたかった」と話した。
    常磐線運行再開図 - 2017.4.1 (あきひこ) 440-660 常磐線運行再開図 - 2017.4.1 (まいにち) 537-796
    (ひだり)(みぎ)
  • 看板が傾くスナック、入り口を塞いだ花屋……。仙台と直結し、町は復興に弾みがつくと期待するが、街に一歩入れば人はまばら。復興作業のトラックばかり目立ち、ガソリンスタンドなどがわずかに開く。帰還に向け自宅宿泊に登録した町民は解除対象人口の5パーセントにとどまる
    2017.4.1 9時15分 浪江えきまえの商店街 - 喜屋武真之介さんさつえい - まいにち 334-223
    (2017.4.1 9時15分 浪江えきまえの商店街 - 喜屋武真之介さんさつえい - まいにち)
    (写真説明=JR浪江えきまえの商店街。ひとどおりはほとんどなく、倒壊の危険性などからたちいり禁止のテープがはられたたてもんがかずおおくのこっとった)
  • 避難指示が出た浪江など双葉郡8町村は、1971年に運転を始めた福島第1原発(大熊・双葉町)が立地するまで主だった産業がない農村だった。浪江駅からは中学を卒業したての若者が蒸気機関車に乗り集団就職で上京。馬場有町長は原発ができて働く場所が生まれて町民が定着し、商業も盛んになった」と話す。
  • 原発効果は大きく、昼は買い物客でにぎわい、夜はネオンがともる店が増えていった。権現堂地区の区長会長を務め、種苗店を経営する佐藤秀三さん(72)は「スナックなど飲食店は100軒近くあった。終電が過ぎても東電関係者や原発作業員が飲み歩き、運転代行もほとんどつかまらなかった」と振り返る。
  • そんな町も原発事故で全域避難となり、若者は仕事や子育てで避難先に定着した佐藤秀三さんは昨年2016年9月に町内宿泊が認められてから自宅兼店舗で暮らすものの、町民の帰還が進まず、店を再開できないでいる。
  • 駅からおよそ400メートル離れた「田河輪業商会」は昨年2016年9月に店を開けた。2代目の田河一良(いちろう)さん(77)は「他の店主が『あの人がやってんだったら俺もやってみんべ』と思うきっかけに」と願う。ただ、誰も来ない日も珍しくなく、スクーターを点検したり、テレビを見たりして時間を潰す。自転車やバイクの在庫を売り切ったら店を畳むつもりだ。
  • 町内で営業を始めた飲食店や商店などの事業所はおよそ50カ所事故前はおよそ1,000カ所だった--
    常磐線:原発のまち、もどれふるさと…浪江-小高・再開 - 毎日新聞(土江洋範さん)|2017年4月1日11時39分
    浪江-小高間運行再開にともなう時刻表 - 2017.4.1(福島民報) 379-525
    (浪江-小高間運行再開にともなう時刻表 - 2017.4.1 - 福島民報)

◇            ◇

う~ん、電車が運行を再開した2017年4月ついたちは浪江町(なみえまち)のあたらしいたんじょうびになったわけだけど、復興はとおいか。福島第1原発ができて商業がさかえるようになったまちも、わかものはしごとやこそだてで避難さきに定着しちゃって、帰還者は5パーセント、えきまえにひとはまばらで、最盛期に1,000かしょをかぞえたみせもいまは50かしょしかないか。いや~、きびしい。


(さんこう)