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大井宿

きのう2017年5月19日、大井宿(おおいじゅく)にいってきた。大井のまちのもとになったのが大井宿で、大井のまちがいまの恵那市の中心部だ。いや、郡名を冠した恵那市なんていうなまえじゃなくて、ほんとなら大井市ってなのるべきだったっておもう。太田宿と美濃加茂市の関係もおんなじだ。

江戸時代、中山道のとちゅうで名古屋方面にえだわかれする下街道(したかいどう)っていう街道があっただけど、江戸のほうからきて、この大井宿をすぎたとこにほの分岐点があったっていう地理的条件から、大井宿はおおいにさかえたっていう。未成線におわったけど、明治になって掛川天竜二俣-大井っていう路線が計画されるほど、大井のまちにはいきおいがあっただ。

きにはなっておりながら、これまで中央線から明知鉄道にのりかえるときに恵那駅をつかうだけだった大井のまちについて、こんかい大井宿を中心にみてきたってわけだけど、ほのようすを以下に紹介する。

2017.5.19 大井 (69) 中山道ひし屋資料館 - 玄関(はねあげおおど) 1920-1080

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恵那えきまえどおり

えきの正面からまっすぐみなみに恵那えきまえどおりがのびる。電柱も地中化されすっきりしたとおりだ。

2017.5.19 大井 (50) 恵那えきまえどおり 1790-1080
(50) 恵那えきまえどおり

大井宿にいくまえに、恵那えきまえどおりにみつけたエイトっていうみせでひるをとる。

2017.5.19 大井 (51) エイト - ひがわり定食 800-450
(51) エイト - ひがわり定食

中山道ぞいじゃあないけど、恵那えきまえどおりをちょこっとよこにはいったとこに、こんなふぜいのあるたてもんもある。いまは営業をやめちゃったみたいだけど、信濃屋っていう看板はのこっとる。木造3階だてのたてもんは旅館だったのか。

2017.5.19 大井 (22) 信濃屋 1080-1920
(22) 信濃屋

大井宿

ひるをとったエイトっていうみせよりもえきにちかいとこで、中山道が交差する。これをひがしにあるいていくと太田宿にいける。

2017.5.19 大井 (16) 中山道 - 恵那えきまえどおりと交差するとこ 1840-1030
(16) 中山道 - 恵那えきまえどおりと交差するとこ

にしにいくとこのかどに、くりきんとんのみせがある。中津川のくりきんとんは有名だけど、大井にもくりきんとんがあるだ。東濃(とうのう)一帯の名物か。

2017.5.19 大井 (49) 中山道 - 菊水堂 720-1080
(49) 中山道 - 菊水堂

中山道をひがしにあるく。

2017.5.19 大井 (17) 中山道 - 大井橋のにし 1920-1080
(17) 中山道 - 大井橋のにし

すぐにはしがある。阿木川(あぎがわ)にかかる大井橋っていうはしだ。らんかんに説明がきがあって、西行がほのむかしここ大井でいおりをむすんで、詩をよんだっていう。詩のなかにある「花無山」って、どのやまだ。みなみにみえるいくつかのやまのうちのどれかか。

2017.5.19 大井 (18) 中山道 - 大井橋 1920-1080
(18) 中山道 - 大井橋

はしからきたをみると、ちょうど中央線の鉄橋を電車がとおっていくのがみえる。宿場町と電車、いい光景だ。

2017.5.19 大井 (19) 中山道 - 大井橋 1920-1080
(19) 中山道 - 大井橋

さて、大井橋をひがしにわたったとこからが大井宿になるだけど、中山道はいきなりひだりにおれて、とおまわりしてひがしにのびていく。この直角にとおまわりするかたちを「桝形(ますがた)」ってよぶだげな。ひだりに1回、みぎに2回まがって、ふたたびひだりにまがってむきがひがしにもどるだけど、2回めの右折と2回めの左折のあいだに、むかしの庄屋さんのたてもんがある。

2017.5.19 大井 (55) 中山道 - 大井村庄屋古屋家 1920-1080
(55) 中山道 - 大井村庄屋古屋家

2回めの左折のみぎてまえかどに旅館いち川っていうたてもんがある。いまもやっとるみたいだ。

2017.5.19 大井 (56) 中山道 - 旅館いち川 1800-1020
(56) 中山道 - 旅館いち川

また、中山道をひがしにすすむ。みちは、かたがわにしゃれた歩道があることでもわかるように、よう整備されとるだけど、クルマがけっこうないきおいではしってきて、きをつけてあるかんとあぶない。

2017.5.19 大井 (57) 中山道 880-980
(57) 中山道

宿役人(しゅくやくにん)のいえってのがある。それぞれ宿場には人馬つぎたてや休泊などのしごとをする役人がきめられとって、ほの役人のうちがこのうちだっただ。

2017.5.19 大井 (58) 中山道 - 宿役人のいえ 1900-1080
宿役人のいえ (58) 中山道 - 宿役人のいえ(59) 説明がき
2017.5.19 大井 (59) 中山道 - 宿役人のいえ 1920-1080
林家は1805年に本陣家より分家して以来、明治にいたるまでの60余年間、代々大井宿役人の問屋役をつとめ、苗字帯刀をゆるされたいえがらである。
当家はまぐち7間半おくゆき25間あり11畳、10畳、8畳、6畳、4畳などのへやが14室もあるおおがた旅籠屋であった。ほのうちひがしがわ2間はつちかべでさかいをして、どまにつづいて式台つきの8畳のへや3室が特別客室となっとった。
なお宿役人には問屋(最高責任者)、年寄(問屋の補助役)、ほの下役人に人足指(にんそくさし)(人足のさしずをする役)、書役(かきやく)などがあり、幕府道中奉行の命をうけ道中のにもつやひとの輸送、飛脚などの継立(つぎたて)事務をおこなう、宿場のもっとも重要な役人であった。
恵那市恵那市教育委員会

大井宿もそろそろひがしのはてだってとこで、こんなでっかい土蔵のうちがあった。説明がきの看板もなくて、ふつうの民家みたいだ。土蔵のなかになにがはいっとるのか。

2017.5.19 大井 (60) 中山道 - 民家 1700-1080
(60) 中山道 - 民家

中山道ひし屋資料館

でっかい土蔵のうちのむかいがわに中山道ひし屋資料館ってのがある。説明がきの看板に、150年間、この大井村の庄屋をつとめた旧家だったってかいてある。当時の屋号「菱屋」からとって、ひし屋資料館っていうなまえにしただ。あとで、ここの案内人のおばさんがおしえてくれただけど、まんだなんねんかまえまでは、当時からつづく古山家のひとがすんどっただげな。

2017.5.19 大井 (61) 中山道ひし屋資料館 1920-1080
大井村庄屋古山家 (61) 中山道ひし屋資料館(62) (大井村庄屋古山家)
2017.5.19 大井 (62) 中山道ひし屋資料館(大井村庄屋古山家) 1660-1080
古山家は江戸時代に屋号を「菱屋(ひしや)」っていい、酒造と商売を営業しとった。ほいで享保年間(1716年から1735年までの期間)から幕末までおよそ150年間、大井村の庄屋をつとめた旧家である。
やしきはまぐち10間半(19メートル)、おくゆき35間(63メートル)のしきちのなかに、14畳、10畳、8畳のへやなど合計8室、ほれに土蔵をもつ広大なたてもんがあった。
いまのたてもんは明治初年に上宿より移築したもんで、前面にふとい格子をはめ、はねあげ式のおおどがつき、おくざしきにはとこのま、ちがいだな、書院、いりがわ廊下のある10畳ふたまがつづき、江戸時代のふんいきをいろこくのこしとる。
恵那市恵那市教育委員会

資料館にはいって、案内人のおばさんの説明をうける。いちばん感銘をうけたのが、このしょうじのガラス。にわのけしきがゆらゆらとゆれてみえる。いや~、わがおさないころもガラスっていやあこういうガラスだっただよな~。均一な製品をつくる技術がなかっただ。このガラス、明治初年のもんで、これがわれちゃったらかえがないっていう。われちゃわんことをいのる。

2017.5.19 大井 (63) 中山道ひし屋資料館 - しょうじのガラス 1240-720 2017.5.19 大井 (64) 中山道ひし屋資料館 - しょうじのガラス 1200-720
2017.5.19 大井 (65) 中山道ひし屋資料館 - しょうじのガラス 1720-1000
(63)(64)(65) 中山道ひし屋資料館 - しょうじのガラス

このらんまのしょうじもおもしろい。たてざんの本数がみぎから7本、5本、3本ってことなっとって、七五三のふきよせおさらんまっていうなまえがついとる。

2017.5.19 大井 (66) 中山道ひし屋資料館 - 七五三のふきよせおさらんま 800-450
(66) 中山道ひし屋資料館 - 七五三のふきよせおさらんま

この天井もおもしろい。まんなか部分はごくふつうのさおぶち(竿縁)天井だけど、周囲の部分だけ、みじかいはばひろのいたでいげた状にはりめぐらされとる。ほのなもいげた天井っていう。

2017.5.19 大井 (67) 中山道ひし屋資料館 - いげた天井 1280-720
(67)(68) 中山道ひし屋資料館 - いげた天井

玄関からまっすぐおくにつきぬけるどま。このどまからよこにへやにあがるかたちだ。じつに宿場っていうかんじなだけど、この玄関のとがまたおもしろい。じつは格子戸(こうしど)のてまえに、くぐりぬけ用のちいさなとのついたいたどがあって、ほれがはねあげて固定された状態になっとる。往時はまいばんこれをおろしてどろぼう対策としとっただげな。ほのなもはねあげおおどっていう。はねあげ式じゃなくてひきどにせやあよかったじゃんかっていう疑問については、まぐちのはばがたらんくてこういうふうにしただっていうこたえ。

2017.5.19 大井 (69) 中山道ひし屋資料館 - 玄関(はねあげおおど) 1920-1080
(69) 中山道ひし屋資料館 - 玄関(はねあげおおど)

にわにでて、いどと土蔵をみる。いどは現役で、みずやりにつかっとるだげな。

2017.5.19 大井 (71) 中山道ひし屋資料館 - いどと土蔵 720-1280
(71) 中山道ひし屋資料館 - いどと土蔵

案内人さんの資料で、みてきたもんのなまえを再確認。「七五三のふきよせおさらんま」って「七五三の吹寄筬欄間」ってかくだ。

2017.5.19 大井 (70) 中山道ひし屋資料館 - 案内人さんの資料 800-450
(70) 中山道ひし屋資料館 - 案内人さんの資料

さいごは、ご自由にみてくださいってことで、なやみたいなたてもんのなかの展示物をみていく。さいしょにかいたけど、江戸時代、大井宿は交通の要地でおおいにさかえた。いま東濃地域でにぎわっとるっていうと多治見と中津川だっておもうけど、むかしは大井のほうがさかえとったのかもしれん。

交通の要地大井宿 (72) 中山道ひし屋資料館 - 「交通の要地大井宿」
2017.5.19 大井 (72) 中山道ひし屋資料館 - 「交通の要地大井宿」 1120-1080
ここからは名古屋、伊勢につうじる下街道(したかいどう)や、岩村をへて秋葉山など遠州へぬける岩村道(秋葉道)があり、伊勢まいり、善光寺まいり、秋葉まいりのひとびとでにぎわった。
宿内には本陣、脇本陣問屋場(会所)などにつづき旅籠屋(はたごや)40余軒がのきをつらねとった。各種の講宿もおおく、近江日野商人の定宿も数軒あって、休憩や宿泊とともに商業活動の拠点としてもさかえた。

ほいから、ここ大井は西行伝承のおおくのこる地でもあるらしい。さいしょに大井橋のとこでも西行の「花無山」の詩が紹介されとっただけど、ここ大井に3年間いおりをむすんどっただ。西行っていうと1100年紀の人物だ。中山道の宿となった時代よりもはるかむかしから大井の地はさかえとったのか。

たび日記にみる西行伝承 (73) 中山道ひし屋資料館 - 「たび日記にみる西行伝承」
2017.5.19 大井 (73) 中山道ひし屋資料館 - 「たび日記にみる西行伝承」 1260-1060
中山道の各種のたび日記には大井宿一帯の西行伝承が紹介されとる。なかでも国学者であり、民俗学、考古学の調査記録者である菅江真澄は『粉本稿(ふんぽんこう)』にさしえつきで紹介しとる。
「みのの国おおいのすくよりいりて花なし山といふあり。此麓に竹林山といふ寺ありて、西行上人みとせすみ給ひしといふ也。いま、たかはやしの中に礎二ツ三ツあり。是をいにしへのあととて、寺か洞とよふ。上人よみ給ひし歌とて、『花なしのみねにすみける鶯はおのれ鳴てや春をしるらん』『こころある人にみせはや大ゐなる花なし山のはるのけしきを』。かかるふたくさは鶯の子のくちすさみてけり。ちかきみちのかたはらに、こたかきところに上人のしるしとて、五りんをすへたり。のちの人、あととふらわんためとか、こころある人は、のほりて、せになと手向て過けり。」

大井宿えず (74) 中山道ひし屋資料館 - 「大井宿えず」
2017.5.19 大井 (74) 中山道ひし屋資料館 - 「大井宿えず」 3840-2160
1861年、和宮通行にあたり作成されたもの

案内人のおばさんに礼をいって、大井の宿をあとにする。

2017.5.19 大井 (75) 中山道ひし屋資料館 - 玄関で記念さつえい 1920-1080
(75) 中山道ひし屋資料館 - 玄関で記念さつえい

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(さんこう)