大井と岩村をむすぶ鉄道

大井宿にいってきたこと、ほのまえに明知鉄道にのったことは、まあはいブログ記事にしたとこだけど、じつはほのとちゅうにある発見をした。

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大井~明知間の鉄道布設に尽力したひとの銅像

2017年5月19日9時9分、中央線の中津川いき快速で恵那にとうちゃく。大井の宿にいくまえにのることにしとった明知鉄道だけど、わずか1分まえの9時8分にでちゃったとこで、つぎの10時12分の列車がでるまでの1時間、えきのへんをぶらつくことに。

えきまえどおりをまっすぐみなみにあるく。ちょっといったとこで交差する中山道をかくにん。あとで、これをひがしにはいって大井宿にいく。中山道をよこぎってまあちょっとみなみにいったとこで、銅像がある。

2017.5.19 大井 (20) 古屋慶隆銅像 1570-1080
(20) 古屋慶隆銅像

郷土の偉人か。説明がきをよんでみる。
2017.5.19 古屋慶隆銅像の説明がき 300-420
「古屋慶隆銅像大井町出身|衆議院議員として1933年、大井~明知間の鉄道布設(国鉄明知線、現明知鉄道)を実現、大正から戦前の恵那地域の発展につくした」
おー、明知鉄道の建設に尽力したひとか。

大井~岩村間に電気軌道を開通させたひとのいしぶみ

ほいから、こんどは、ほの銅像からちょこっとえきよりにいしぶみがある。

2017.5.19 大井 (21) 浅見与一右衛門顕彰碑 1550-1080
(21) 浅見与一右衛門顕彰碑

こんどはなんだ。説明がきをよんでみる。
2017.5.19 浅見与一右衛門顕彰碑の説明がき 270-380
「浅見与一右衛門顕彰碑|岩村町出身|県会議長・衆議院議員|1906年、県下さいしょに、大井~岩村間に電気軌道(岩村電車)を開通させ、明治期の恵那地域の発展に貢献した」
ん?大井~岩村間って大井~明知間の一部じゃんか。部分開通に尽力したひとか。このときは文中の「電気軌道」がめにはいらんかった。

明知線は遠美線の一部だった

うちにかえって、銅像のひとといしぶみのひとのことをしらべてみる。まずは銅像のひと古屋慶隆。これはヰキペディアにのっとって、すぐにわかった。

「改正鉄道敷設法別表第63号に掲げる予定線のうち「静岡県掛川ヨリ二俣、愛知県大野、静岡県浦川、愛知県武節*1ヲ経テ岐阜県大井ニ至ル鉄道…(以下略)」(遠美線)の一部である。大井(現・恵那) - 明知間は当時の岐阜県選出の衆議院議員古屋慶隆の活動などにより建設が決定し、1933年から翌1934年にかけて開業した」(ヰキペディア)

なるほど、岐阜県選出の衆院議員古屋慶隆が明知線の建設におおきくかかわっとることがたしかめれただけど、ほれ以上にこの明知線が未完におわった遠美線の一部だったことにおどろく。いまは掛川天竜二俣新所原とつながる天竜浜名湖鉄道も、さいしょは天竜二俣から西北方向に、愛知県の大野や稲武をへて岐阜県の大井につながる予定だっただけど、天竜二俣-大井間はまったくの未成線じゃなくて、明知-大井間においてほの一部が建設されとっただ。明知鉄道は遠美線の一部だっただ。

岩村電気軌道

つぎにいしぶみのひと浅見与一右衛門。こいつは「津島軽便堂写真館」っていうサイトの「明知線のC12」っていうページでかくにんできた。

「明知線を語る上で欠かせないのが、岩村電気軌道の存在です(左図の青線)。岩村電軌は、大井(現在の恵那)から岩村まで1906年に開通しています。驚くことに岐阜県最初の私鉄で、岐阜市内を走った美濃電軌よりおよそ5年も早く開業しています」
「岩村電気軌道については、『浅見与一右衛門翁と「岩村電車」』永田宏著(1997年12月、岩村町発行)復刻版が2007年10月に発行され、岩村歴史資料館で販売されていました(2012年10月時点、2,000円)」
(明知線のC12)

おおーっ! 明知線の建設以前に、明知線とはべつの経路で、しゅくばまち大井とおんな城主のさと岩村をむすぶ線があったとは! 岩村電気軌道の開業は1906年。明知線全線開業の1934年よりじつに28年もまえのことだ。ほれも電車としての開業で、岐阜県内ではじめての私鉄だっていうで、さらにおどろきだ。岐阜市周辺で路線網をはりめぐらせた美濃電気軌道よりもふるいだ。

廃線ものっとる「日本鉄道旅行地図のりつぶしノート」をひっぱりだして、みてみる。ある、ある! 明知線の経路がおおきくひがしにおおまわりしとるのにたいして、岩村電気軌道のほうはほとんどまっすぐむすんどる。明知線の経路は、どういうわけかわざわざおおまわりして「山岳地帯」をとおっとる。不可解。

岩村電気軌道と明知鉄道の路線図(日本鉄道旅行地図のりつぶしノート)
△ 岩村電気軌道と明知鉄道の路線図(日本鉄道旅行地図のりつぶしノート)

将来、明知線をむかしの遠美線構想にそう経路か、または岩村電気軌道が企図した名古屋方面にむかう経路で、みなみに延伸するにあたっては、この大井-岩村間については岩村電気軌道の経路にもどしてほしいもんだ。

大井から岩村までの地図(あきひこ)
△ 大井から岩村までの地図(あきひこ)


(さんこう)

*1:いまの稲武の一部