とよおか

いよいよ豊岡のまちをあるく。2017年6月みっかからよっかにかけての豊岡のたび第3弾だ。

2017.6.3 豊岡 (106) カバンクリーニング工房キヌガワ 1820-1080

えきまえ寿ロータリーと豊岡町地区整理碑出石そば稽古堂豊岡1925
生田どおりのへん豊岡小学校、豊岡市立図書館、旧豊岡県庁正門、旧豊岡中学校本館
宵田どおり(かばんどおり)のへん紀ノ川で会席料理きり

◇            ◇

えきまえ

京都からはしだて3号とこうのとり5号をのりついで豊岡にとうちゃく。12時40分。ついに山陰のまちにやってきた。橋上駅舎のかいさつをとおってえきまえにおりたつ。観光案内所でまちの地図をもらって、どっかひるをたべるいいみせがないかきく。ここ豊岡は但馬の中心都市。ここまできたらあの有名な但馬牛(たじまぎゅう)をたべたいっておもっただけど、あるいていけるみせはないっていう。おしえてくれたのが出石そば(いずしそば)のみせ。たしかにこれも有名だけど、出石っていまでこそ豊岡市の一部になっとるけど、豊岡のとなりまちじゃんっておもいつつも、したがうことに。

2017.6.3 豊岡 (76) 豊岡駅=橋上駅舎 1850-1050
(76) 豊岡駅=橋上駅舎

えきはひがしが正面になるだけど、こっから3本のめぬきどおりがのびとる。アイティっていうおおがたこうりてんのみぎから、まっすぐひがしにのびるのが大開どおり(だいかいどおり)。ほれよりまあちょっとみぎのとこからみぎ30度の方向にはいってちょこっといって、ほのあと大開どおりと平行にひがしにのびるのが生田どおり。アイティのうらから、ひだり30度の方向にのびるのが寿どおり。以上3本のめぬきどおりのなかで、大開どおりが市役所も面するいちばんのめぬきどおりになるだけど、すべての街路がこれを基準に碁盤のめのように東西南北にはしる。ほんななかで寿どおりだけが例外的にななめにのびとるだけど、おしえてくれた出石そばのみせにいくべく、この寿どおりにはいっていく。

2017.6.3 豊岡 (75) アイティ 1920-1080
(75) アイティ

寿ロータリーと豊岡町地区整理碑

のどかなとおりだ。歩道もなくみせがぱらぱらとならぶ寿どおりをしばらくいって、ロータリーにつきあたる。ななめにはしる寿どおりが東西南北にはしる街路の十字路とまじわるとこで、つごう6差路になるだけど信号はない。6方向からくるすべてのクルマは、いったんみぎまわり一方通行のロータリー外周の環状路にはいって、また、すきな方向にでていくっていう寸法だ。左折ではいって左折ででていくで、信号がいらんだ。このロータリーを寿ロータリーっていう。ぐるぐるまわるクルマにめがまわりそうになりながら、ロータリーのまんなかにある銅像のとこにいってみる。中江種造っていうひとの銅像で、「1925年3月豊岡町これをたつ」ってかいてある。郷土の偉人にちがいないだけど、あとでしらべると鉱山王として大成功をおさめた人物らしい。

2017.6.3 豊岡 (78) 中江種造翁寿像 1870-1050
(78) 中江種造翁寿像(77) 中江種造翁寿像 - 1925年3月豊岡町これをたつ

銅像のほかに、豊岡町地区整理碑っていうおおきないしぶみもある。知識がなくてようわからんだけど、1925年の北但地震からの復興にあたって、耕地整理の手法で豊岡のまちに碁盤のめのように東西南北にはしる街路を整備したことを記念してのもんらしい。このあとあちこちをあるくだけど、整然とした街路はみごとなもんだ。

2017.6.3 豊岡 (80) 豊岡町地区整理碑 1040-1850
(80) 豊岡町地区整理碑

出石そば

さて、寿ロータリーに面して出石そばのみせはあった。そば福っていうなまえのみせで、けっこうなしにせだ。常連客らしいひとたちもなんにんかはいってきた。そばをたべるあいだ、みせのおくさんとはなしをしていろんなことをきく。むかしは柳行李(やなぎごおり)が特産で、たんぼのうらさくにやなぎをいっぱいつくっとったこと。柳行李がすたれて、かわりにかばんが特産になったこと。

2017.6.3 豊岡 (83) そば福 - 出石そば 800-450
(83) そば福 - 出石そば

稽古堂

そばは10さらにとどめ、寿ロータリーからみなみにあるく。しばらくいって大開どおりにあたるとこで稽古堂(けいこどう)にとうちゃく。1925年の北但地震からの復興として1927年に完成した豊岡町庁舎だけど、じつにうつくしい。あたらしい豊岡市庁舎の建設にともなってほのみなみに移転し、2013年に豊岡藩校「稽古堂」のなまえをあたえられて新装開業。1階と3階を市民の利用に供して、2階を議場としてつかっとるとのこと。

2017.6.3 豊岡 (89) 稽古堂 1860-1080
(89) 稽古堂(みなみに大開どおりに面する)

なかにはいってみる。大理石をつかったどっしりとおちついた内装。うつくしい階段。うつくしいまど。1927年っていうむかしに、こんなりっぱなたてもんをつくっとった豊岡のすごさよ。2017年のいまからまた将来にわたって、こんないいものをつかいつづける豊岡のひとたちのかしこさよ。

2017.6.3 豊岡 (84) 稽古堂=1階ロビー 1860-1050
2017.6.3 豊岡 (85) 稽古堂=階段 720-1280 2017.6.3 豊岡 (86) 稽古堂=まど 800-450
(84) 稽古堂=1階ロビー(85) 階段(86) まど

2017.6.3 豊岡 (87) 稽古堂=説明がき 960-750
稽古堂は、豊岡藩主京極高行(きょうごくたかゆき)が江戸時代后期に創設した藩士のこどものための学校(藩校)である。
「稽古」とは、むかしのことをしらべ、いまなすべきことはなにかをただしくしることをいう。「稽古堂」の文字は、天皇のちかくにつかえとった藤原(日野)資愛(すけなる)による。
藩校には藩士のこをはじめ、庶民や他藩のものも入学できた。ほのなかから浜尾新(はまおあらた)(東京帝国大学総長)や久保田譲(くぼたゆずる)(文部大臣)などの優秀な人材がそだった。また、池田草庵(いけだそうあん)も教授として講義をおこなっとった。
なお、この扁額は、豊岡藩主の子孫である京極高晴氏から2013年7月に豊岡市へ寄贈していただいた。
(87) 稽古堂扁額=説明がき(1階ロビーのかべにかかげられとるもの)

豊岡1925

大開どおりをへだてて、稽古堂のみなみむかいに豊岡1925っていうたてもんがある。稽古堂にまけん、風格のあるたてもんだけど、これもやっぱり1925年の北但地震からの復興建築で、1934年に兵庫県農工銀行豊岡支店として開業。ほのあと豊岡市役所南庁舎別館に転用されてつかわれとったものを、ホテルや食堂、喫茶、おかしの展示販売所などのはいった集客施設として2014年に新装開業したもんだ。いいものをながくつかいつづけるって、いいこころがけだね。じつは、ひるに出石そばをたべとるときにこの豊岡1925で食事ができるっていうことをしって、ばんごはんの予約電話をいれただけど、あいにく満席でかなわんかった。

2017.6.3 豊岡 (88) 豊岡1925 1920-1080
(88) 豊岡1925

生田どおりのへん

豊岡1925をみたあとは、いったんホテルににもつをおきにいく。ホテルは豊岡グリーンホテルモーリスっていうホテルで、大開どおりのみなみに平行する生田どおりをえきの方向にちょっともどったとこにある。

まずはみなみにむかったとこで、ふるびた銭湯を発見。京極湯って、豊岡藩主京極家からなまえをとったのか。やっとるのかやっとらんのかはわからんかった。

2017.6.3 豊岡 (90) 京極湯 1920-1080
(90) 京極湯

ほいから、ふるびたかばんやさんも発見。豊岡の特産であるかばんをうるみせは、あとでいく宵田とおりにあつまっとるだけど、こんなとこにもはなれてあった。いや、しぶいみせがまえだ。

2017.6.3 豊岡 (91) かばんやさん(デコンプラボラトリー) 1700-1030
(91) かばんやさん(デコンプラボラトリー)

じきに生田どおりにでて、これをにしにすすむ。うなぎやさんやら会席料理のみせやらスナックやらがあって、なんだかよるのまちってかんじもする。よこみちにあおぞらいちばってのもある。いった時間はなんにもやってなかったけど、あさいちとかやっとるのか。ホテルからちかく、つぎのひのあさにいってみやよかっただけど、わすれちゃった。ざんねん。ほいから、はんたいのよこみちには、たてもんとたてもんのあいだに木製のアーケードをかけたふれあい公設市場ってのもあって、興味ぶかくとおりぬけてみる。ホテルはあたらしくておおきなたてもんで、すぐにわかった。にもつをあずけて、またまちあるきにでる。

豊岡小学校、豊岡市立図書館、旧豊岡県庁正門、旧豊岡中学校本館

こんどは生田どおりよりもみなみ、まちの東南部方面にいく。学校や図書館のある文教地区だ。

豊岡小学校

ホテルから生田どおりをしばらくひがしにいったとこで、みなみがわに豊岡小学校がみえる。こった意匠の鉄筋コンクリート3階だての堂々たる校舎が、しきちのおくのほうにあるのがわかる。さらに、小学校のひがしがわからみなみにまわりこむとちゅう、かわのうえの公園やりっぱな土蔵とレンガ塀の旧家があったりする。

2017.6.3 豊岡 (92) 豊岡小学校 1280-600
2017.6.3 豊岡 (93) ひまわり公園 1920-1080 2017.6.3 豊岡 (94) 旧家 770-450
(92) 豊岡小学校(93) ひまわり公園(94) 旧家

豊岡市立図書館

みなみにまわりこんだとこで、おーっ! なんちゅうりっぱな図書館だ。りっぱっちゅうだけじゃなくて、おちついた外装に三角やねで、ようまちなみに調和しとる。

2017.6.3 豊岡 (97) 豊岡市立図書館 1060-1880
2017.6.3 豊岡 (95) 豊岡市立図書館 800-450
(97)(95) 豊岡市立図書館

図書館のしきちをとおりぬけて、さらみみなみにでたとこに武家屋敷が。っておもったら、民家だった。となりのこうのとりのついたたてかんばんは、神武山公園(じんむやまこうえん)へのいりぐちのしるしだ。この公園はちょっとしたやまのうえにあるだけど、まんだつづくまちあるきのための体力を温存するために、みおくり。あとでしらべたら、豊岡城のあとを公園にしたもんだった。

2017.6.3 豊岡 (98) 神武山公園いりぐち 800-450
(98) 神武山公園いりぐち

旧豊岡県庁正門

神武山公園を迂回すべくひがしにちょっといったとこで、こんな門を発見。いまは豊岡市立図書館のいりぐちになっとるこの門だけど、じつは旧豊岡県庁の正門だった。明治のはじめ、1870年から1876年までっていうみじかいあいだではあるけど、豊岡県っていう県があっただ。

2017.6.3 豊岡 (100) 旧豊岡県庁正門(豊岡市立図書館いりぐち) 1870-1080
(100) 旧豊岡県庁正門(豊岡市立図書館いりぐち)

2017.6.3 豊岡 (99) 豊岡陣屋あとと旧豊岡県庁正門の説明がき 1920-1080
【旧豊岡県庁の正門】
旧豊岡県庁門は、1870年、当時の久美浜県(現京都府熊野郡久美浜町)の県庁建設にともなってつくられたもので、翌1871年、豊岡県に合併されたさい、庁舎とともに現在のばしょに移築された。
1876年に豊岡県は兵庫県京都府に分割され、ほのあと、城崎郡役所として利用されたけど、1923年の改築を機に庁舎のみふたたび久美浜町に移築され、現在、神谷神社社務所(京都府指定文化財)となっとる。
旧県庁正門は、よこはば8.4メートル(かわらやね部分よこ13.2メートル)、たかさ7.6メートルのそうけやきづくりの脇戸付薬医門(わきどつきやくいもん)で、豊岡県庁当時のゆいつのあかしとして、豪壮なすがたをいまにつたえとる。
(99) 豊岡陣屋あとと旧豊岡県庁正門の説明がき

旧豊岡中学校本館

神武山公園をみなみにまわりきったとこで、達徳会館にとうちゃく。豊岡高校の一角にたつ洋館で、旧豊岡中学校の本館だ。1941年の校舎たてかえでとりこわされそうになったもんを、卒業生の尽力で移転、保存されとるもんだっていう。いや、しかしみごとなたてもんだ。兵庫県内では姫路西高校についでふるいのがこの豊岡高校とのことで、このことからも豊岡の重要性がわかる。

2017.6.3 豊岡 (101) 達徳会館(旧豊岡中学校本館) 1080-1180
2017.6.3 豊岡 (103) 達徳会館(旧豊岡中学校本館) 1080-1180
(101) 達徳会館(旧豊岡中学校本館)(東南から)(103) (西南から)

達徳会館(旧豊岡中学校本館)の説明がき
1896年に、兵庫県豊岡尋常中学校の本館としてたてられたたてもんです。明治時代前半に流行した、洋風建築の意匠と木造かわらぶきなど和風建築の要素をあわせもつ「擬洋風建築」ってよばれる様式でたてられております。
玄関ポーチの円柱上部には古代ローマ建築を連想させるくさかざりを、2階まどにはルネッサンス様式をもとにした三角形のかざり(ペディメント)をほどこしてはなやかさをきわだたせております。また、たてもんのよすみにはすみばしらをあらわした模様をはり、対称的かつ堂々とした印象をあたえております。
1941年、校舎の改築のさい、このたてもんの消滅をおしんだ卒業生たちのてによって現在地に移築されました。ほのとき、同窓会の名称をとって「達徳会館」ってよばれるようになり、いまも同窓生らによってたいせつにまもりつたえられております。
(102) 達徳会館(旧豊岡中学校本館)の説明がき

宵田どおり(かばんどおり)のへん

こんどは、まちの東部を南北にはしる宵田どおりをみにいく。豊岡の特産のかばんをうるみせをあつめて、かばんどおりの別名もつけてうりだしちゅうとのこと。観光案内所でもらったまちの地図をみて、しった。

豊岡高校からひがしにほのままちょこっとすすんで、宵田どおりのみなみはしにでる。このへんはまんだ「かばんどおり」じゃないみたいだ。こっからきたにすすむ。かばんやさんはなくてもいくつかみせはある。ほかに、ふるい商家なんかもあったりする。

2017.6.3 豊岡 (104) 商家 1500-920
(104) 商家

神武山公園からひがしまわりにまわったときにみた、かわのうえの公園のはんたいがわをすぎたへんから「かばんどおり」ははじまる。なかに、「柳行李もなか」をうるあまのじゃくな和菓子やさんも。ほのうち、「かばんもなか」にかわるのか。

2017.6.3 豊岡 (105) ちから餅本舗宵田店 1920-1080
(105) ちから餅本舗宵田店

みぎにひだりに、かばんやさんをひやかしながらきたにすすむ。とちゅう、ひだりてに但馬信用金庫本店のりっぱな店舗もあったりする。だいたいじもとの銀行の本店ってのはふるくからのまちんなかにあるもんなだけど、この宵田どおりもきっとふるくからあるまちなだな。

ほの但馬信用金庫本店のむかいに、一見クリーニングやさんかってかんじのみせがあった。けど、クリーニングすべき洋服もワイシャツもないぞ。けっきょくなんだかわからんかっただけど、あとでしらべてみたら、かばんのクリーニングやさんだってことがわかった。うっとるかばん、正直、ねのはる高級品ばっかりなだけど、たかくてもいいものをもちものとして、クリーニングにだしたりしてながくだいじにつかうってのが豊岡の流儀なだね。さすが、かばんのまちだ。

2017.6.3 豊岡 (106) カバンクリーニング工房キヌガワ 1820-1080
(106) カバンクリーニング工房キヌガワ

じつは、たびのまえからあたらしいリュックがほしいっておもっとった。かばんのクリーニングやさんからちょっときたにすすんだ豊岡まちなかステーションってとこにもかばんをうっとって、ほこでおねえさんが熱心にリュックの説明をしてくれる。まあちょっとでかうってとこまでいっただけど、けっきょく、さいしょにはいったフラックス・ケイっていうみせにもどって、さいしょにわがこころをとらえた、ポケットのふただけちゃいろいかわの、からしいろのリュックをかう。

2017.6.3 豊岡 (109) フラックス・ケイ - リュックサック 690-920
(109) フラックス・ケイ - リュックサック

リュックをかったあとも、また、あっちこっちかばんやさんをひやかしてきたにすすんで、大開どおりとの交差点にでる。かばんどおりはここまでだ。交差点からすぐひがしははしになるだけど、交差点の東南かどに「大石りく女生誕の地」っていういしぶみがある。大石りくってのは、ごぞんじ大石内蔵助(おおいしくらのすけ)のつまなだけど、ここ豊岡のでってことで、このいしぶみ以外にもりくのなまえをかかげる看板があったりした。はしまでいって、かわをながめる。これがあの有名な円山川(まるやまがわ)かっておもってかえっただけど、あとでしらべたら、円山川はまあひとつひがしのかわで、これは戸牧川(とべらがわ)っていうかわだった。

2017.6.3 豊岡 (107) いしぶみ - 大石りく女生誕の地 720-1280 2017.6.3 豊岡 (108) 戸牧川(とべらがわ) 1890-1060
(107) いしぶみ - 大石りく女生誕の地(108) 戸牧川(とべらがわ)

ホテルにもどるべく大開どおりをにしにすすむ。りょうがわにアーケードつきの歩道があるりっぱなとおりで、豊岡いちばんのめぬきどおりなだけど、ほのわりにはひとどおりがすくなかったか。稽古堂、豊岡1925のへんからみなみにいって、生田どおりの豊岡グリーンホテルモーリスにもどる。宿泊てつづきをして、ここではじめてへやにはいっただけど、あたらしくて、きれい、へやもひろい、大浴場がある、朝食つきなのにやすい、ってことで、なかなかいいホテルだったよ。いちばんは、大浴場があるってことだね。にほんじんがとまるやどには大浴場がなきゃ。

紀ノ川で会席料理

ばんごはんは、ホテルからちょっとひがし、おんなじ生田どおりに面したふれあい公設市場のなかの紀ノ川っていうみせでとることにした。注文したのは会席料理。いや~、つぎつぎに料理がでてくる。このねだんでこんなにでてくるのかってかんじ。おねえさんも、この料理はなに、この料理はなにって、ひとしなだすごとに説明していってくれるだけど、アクセントが関西アクセントのため、東国アクセントの三河ことばを母語とするじぶんにはじゅうぶんにききとれんかったのがちょっとくやしい。

2017.6.3 豊岡 (110) 紀ノ川 1800-1080 2017.6.3 豊岡 (112) 紀ノ川 1240-720
2017.6.3 豊岡 (113) 紀ノ川 1280-720 2017.6.3 豊岡 (114) 紀ノ川 1880-1080
2017.6.3 豊岡 (115) 紀ノ川 1080-1920
(110)(111)(112)(113)(114)(115) 紀の川 - 会席料理

きり

よくあさめをさますと、ホテルのまわりはきり。豊岡名物きりにおもわずうれしくなる。円山川がもたらすものらしい。ホテルでバイキングのあさごはんをたべたあとは、えきから列車にのって、豊岡の地をあとにする。

2017.6.4 天橋立 (1) 豊岡グリーンホテルモーリスから東南をみる 1870-870
2017.6.4 天橋立 (2) 豊岡グリーンホテルモーリスからひがしをみる 1280-720 2017.6.4 天橋立 (3) 豊岡グリーンホテルモーリスからにしをみる 1830-1030
(1) 豊岡グリーンホテルモーリスから東南をみる(2) ひがしをみる(3) にしをみる


(さんこう)

  • やま、また、やまをこえて豊岡まで - はしだて3号とこうのとり5号をのりついで - あきひこゆめてつどう|2017/06/10
    • 豊岡のたび第2弾になる。名古屋から京都までのようすはぜんかい紹介したとこだけど、こんかいは、京都から豊岡までの山陰線区間のようすを紹介する。
  • のぞみ、瑞風、はしだて - 豊岡のたびの第一歩 - あきひこゆめてつどう|2017/06/06
    • こないだの土日、2017年6月みっかとよっかで豊岡のたびにいってきただけど、こんかいはほの第一歩の名古屋から京都までのようすを紹介する。
  • きりのまち豊岡♪|いわせあきひこ|フェースブック|2017年6月4日6:34
  • きょうは豊岡の割烹料理やさんで、おつくりおまかせコース♪|いわせあきひこ|フェースブック|2017年6月3日18:18
  • 悠紀斎田と西尾鉄道 - あきひこゆめてつどう|2016/09/22
    • 1900年、全国で耕地整理法が施行され、中島村(なかじまむら)ではいちはやくこれを実施。1911年、西尾と岡崎をむすぶ西尾鉄道が開通し、中島村にもえきができる。1915年、大正天皇即位にともなう大嘗祭(だいじょうさい)につかう新米を生産する悠紀斎田(ゆきさいでん)にえらばれた中島村のたんぼで、おたうえ式がおこなわれる。全国からあつまってくるおたうえ式参観者の輸送に西尾鉄道はだいかつやく。
    • 中島村の耕地整理については、さいしょにかいたとおり全国でもいちはやく実施されたもんだけど、耕地整理前后の地図をくらべてみると、ほのすばらしさがようわかる。不整形で面積もちいさなたんぼやはたけが、整形で面積もおおきなものにかわっとる。じつにみごとだ。中島村での実施をかわきりに、六ツ美(むつみ)地区全域にひろがっていったとのこと。
  • 豊岡中心市街地|第2章 豊岡の風景の成り立ち ~風景のものがたり~|豊岡市景観計画|2012年8月31日
    • 豊岡の中心市街地は、山陰線の開通による豊岡駅の開業、大豊岡構想にもとづく円山川の河川改修と区画整理事業(耕地整理)によって整備されてきました。
    • 1909年に豊岡駅が開業し、駅前から円山川に至る通り沿道の市街化が期待されましたが、大正に入り店舗が立地するようなったもののそれほど集積しないまま、北但大震災(1925年)により大きな被害を受け、震災復興として大豊岡構想が推進されました。区画整理事業では、東西南北方向に格子状に道路が計画される中に、駅から寿ロータリーを経由して円山川の堤防沿いに再建される県道に至る斜めの道路が計画されました。放射状道路の通る街路整備とあわせて、上水道の整備など都市の骨格づくりが進みました。
    • このとき大開通りが整備され、その中央にシビックセンターとして町役場や公共施設を集中させ、公設市場もつくられ、都市の中心として位置づけられました。戦前の大開通りにはプラタナス並木が続き、但馬の中心商業地として賑わいました。戦前までは、この大開通りと城下町からの商業地である宵田通りが中心であり、鉄筋コンクリート造の洋風モダンな復興建築が多く建てられました。区画整理事業は、現在の北近畿タンゴ宮津線付近まで区域に入っていますが、復興で市街化したのは、大開通りから豊岡城下に至る現在の中心市街地のエリアです。
    • 現在も、多くの復興建築が残り、アーケード越しにかつての町並みを見ることができます。また、区画整理事業による敷地は町家敷地の形態を継承しており、それが商店街の景観の基本となっています。しかし、郊外のロードサイドに大規模小売店舗の出店が増加し、中心市街地への来客数の減少や後継者不足などから、空き店舗や空き地が増加して商店街の賑わいが失われつつあります。
    • 豊岡駅周辺の開発や総合健康ゾーンの整備、旧本庁舎を活かした新庁舎の建設等においては、こうしたこれまでの豊岡中心市街地に見られる先進性やデザイン性を継承することが、景観創出における課題となります。
    • また、近年、散在的に高層建物が建てられるようになってきているなかで、盆地の中心に位置する市街地から周囲の山並みへの見通しやコウノトリの舞う空の広がりと調和するまちのスカイラインなど、新たな課題がでてきています。
  • 豊岡市立交流センター「豊岡稽古堂」の利用について
    • 豊岡稽古堂は、市民の交流を促進し、文化の向上と福祉の増進を図る目的で設置しました。
    • 元の建物は、北但大震災復興建築物群の一つで、豊岡市役所庁舎として1927年に竣工しました(3階部分は1952年に増築)。
    • 新庁舎の建設に併せ、建物を曳家移転し、1階と3階の名称を豊岡稽古堂として2013年に改装しました。また、建物の2階は市議会議場となっています。
    • 名称の元となった「稽古堂」は、豊岡藩の藩校名です。
    • 「稽古」の原義は「古(いにしえ)を稽(かんが)える」、「昔のことを調べ、今なすべきことは何かを正しく知る」ことです。そこから意味が派生し、修練・学習という意味でも用いられるようになりました。
    • 「豊岡稽古堂」の名称は、修練、学習の精神を紡ぐ場として、また、豊岡の歴史を受け継いでいく象徴として制定したものです。
  • 「豊岡1925(いちきゅうにいごお)」が開業しました!|コウノトリの飛ぶまち豊岡市へようこそ
    • 2014年4月18日、旧市役所南庁舎別館の改修工事が終わり、新しく「豊岡1925(いちきゅうにいごお)」として開業しました。
    • 1階の吹抜けには、菓子の展示販売を行う円形のあまいもんショーケースと鞄の記念碑を設置しています。元々金庫があった場所には、販売するお菓子の在庫が入っており「菓子金庫」となっています。カフェ・レストランでは、広い空間を楽しんでいただける他、元応接室の個室も準備しています。
    • 2階には、倉庫を改修した多目的室、応接室があり、開業最初の企画展として、文筆家甲斐みのりさんの「お菓子の包み紙コレクション」の中からお菓子と併せて日本各地のかわいらしい包装紙・箱・紙袋が展示された「甲斐みのり『お菓子の旅』」が開催されています(2014年5月6日まで)。
    • 1階と2階には合わせて5室の宿泊室があり、「昭和の豊岡に泊まる」をあいことばにしつらえています。
    • 地下にはバーが設けられており、さまざまなカクテルを楽しんでいただけます。
  • オーベルジュ豊岡1925の歩み|豊岡のホテル・レストラン・結婚式 - オーベルジュ豊岡1925
    • 1925年は、豊岡に壊滅的な被害をもたらした「北但大震災」が発生した年です。当時の人々は、地震・火事に強い町を目指して、道路幅拡大や、耐火建築の促進に取り組みました。
    • その震災復興建築として、1934年に建てられたのが、「兵庫県農工銀行豊岡支店」です。設計は関西を拠点に活躍した渡辺節が手掛け、1階開口部上部のアーチ、レリーフなど当時の洋風建築の要素を取り入れた重厚な造りとなりました。長年、人々の生活を支える銀行として活躍したのち、豊岡市役所の南庁舎別館として利用されてきました。現在は、近代化遺産として、登録有形文化財に指定されています。
    • 豊岡の街並みの大きな特徴となっている「寿ロータリー」も同時期に整備されたものです。碁盤状の市街地にシンボリックな空間を創り出し、当時の地方都市としては近代的な街並みが実現していきました。こうして、今の豊岡の街並みが作り上げられました。
    • 1925年は、近代化への道を踏み出した現在の豊岡の始まりの年なのです。
    • 同時期の世界に目を向けてみると、自動車、豪華客船、飛行船といった機械や、ラジオ、映画という新たなメディアの普及により、生活が激変していった年でもあります。パリでは、パリ万国博覧会が開かれ、アール・デコという言葉が誕生しました。
    • 豊岡が、日本が、世界が近代化に向けて動き出していた1925年。
    • 当時の人々はどんな「夢」を描いていたのでしょうか。その「夢」に少しだけ思いを馳せながら、昭和の時代に時間移動できる「駅」をかんがえかたの基本として、「兵庫県農工銀行豊岡支店跡」は「豊岡1925」に生まれ変わりました。