2017年6月よっか。豊岡のたびふつかめは、やどをとった豊岡から京都丹后鉄道の特急丹后のうみ号にのって、丹后のくにをとおりぬけて、福知山から京都へとかえっていく行程になる。丹后のくにはとちゅう列車をおりてにほん三景のひとつ天橋立を見物しており、こんかいは前編として豊岡から天橋立までのようすを紹介する。
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あさ、めをさますとホテルのそとはきり。豊岡名物のきりだ。うれしくてほのままそとにでて、えきまできっぷをかいにいく。京都丹后鉄道まわりでいくことは、きのうのばんにきめたことだ。いっかいこの三セク鉄道にのっときたいってことと、にほん三景のひとつ天橋立のけしきをめにおさめたいってことできめた。きっぷをかいおわってホテルにもどらあってとこで、橋上駅のまどからだいだいいろの気動車がでていくのがみえる。きのうのばんも体験した山陰線非電化区間のふうけいだ。
ホテルでバイキングのあさごはんをたべて、あらためてえきにいく。しゅっぱつ時刻までまんだ30分以上あるけど、かいさつをはいってホームにおりて、しばし列車見物だ。やっぱり、だいだいいろの気動車がおる。浜坂いきふつうだ。かげにかくれて、近郊がた電車がおる。福知山いきふつうだ。ここ豊岡は電化区間と非電化区間のさかいめにある。
(5)、(6) 豊岡 - 香住いきふつう、(7) 豊岡 - 福知山いきふつうと香住いきふつう
さて、われわれのまつ1番のりばに、意匠をこらした、あおくてまるっこい列車が浜坂方面からはいってくる。ヤッホーッ! ひとめで観光列車ってわかる外観に、無条件にうれしくなる。これが丹后のうみ号か。これから京都丹后鉄道の線にはいって天橋立までいくだけど、山陰線の世界とはまたべつの世界にはいっていくだ。
(8)、(9)、(14) 豊岡 - 丹后のうみ(はしだて2号)
浜坂かた、いや、ただしくは天橋立かたの先頭車両にまわって記念さつえい。
のりこんで、おおーっ! 木材をふんだんにつかった内装に、あかるいいろめのシートがうれしい。列車に木材ってどんなもんかっていう心配はふっとんだ。
難点は前方視界。かろうじて最前列みぎがわのまどがわ席からだけまえがみえるだけど、じつにふじゅうぶん。先頭車両の乗客はわれわれだけで、じぶんがほの特等席、つまがほのうしろの席にじんどる。最前列みぎがわの席はどういうわけか通路がわ席がないだ。8時51分、豊岡をしゅっぱつ。
さいしょ、山陰線にそって浜坂方面にきたむきにすすんだあと、じきにみぎにまがって山陰線とわかれて、ぐいーんってみぎにまがって、むきをひがしむきにかえる。とちゅうの網野まで、まひがしよりひだり30度方向にすすむことになる。
(19) 丹后のうみ(はしだて2号) - 豊岡-コウノトリの郷間
おおきな鉄橋をわたる。
円山川だ。豊岡よさらば。
列車はやまにはいって、コウノトリの郷を通過。あの有名なコウノトリの郷公園のなまえをあたえてあるけど、ちょっとあるいていくにはとおい。
列車はやまんなかをはしる。やまんなかのどっかで、丹后のくににはいる。但馬のくによさらば。土地がひらけたとこで、さいしょの停車駅、久美浜にとうちゃく。明治初年の1868年から豊岡県に合併される1871年までのごくごくみじかいあいだ設置された久美浜県の県都になるわけだけど、まちっていうほどじゃなくて、さとっていうかんじか。大学んときにこっからきとった后輩がおっただけど、こんなひなびたとこだったか。ほいから、あとで地図をみてわかっただけど、この久美浜には久美浜湾っていう、一見みずうみとまちがえるようなかたちの湾がすぐちかくまではいりこんできとった。いや、きづかんじゃった。
さて、わが丹后のうみ号はここ久美浜までが快速で、こっから正式に特急はしだて2号になる。いきさきははるばる京都までいく。座席も、ほれまでのっとった先頭車両から2両めの車両に移動。指定席車両から自由席車両にうつっただ。指定席料金をはらうき満々だったのに、車掌のおにいちゃんがうってくれたのが自由席だった。
6分停車ののち、久美浜をしゅっぱつ。こっからは車窓のふうけいをみていく。
かぶと山はしらんまに通過。
小天橋(しょうてんきょう)を通過。木造のホームうわやがしぶい。ここも久美浜湾にちかい。
夕日ヶ浦木津温泉(ゆうひがうらきつおんせん)に停車。おー、ホームにあしゆがあるぞ。温泉のいわれをかきしるしたたてかんばんもある。奈良時代のむかしに行基っていうおてらさんがひらいた温泉だげな。
『行基と木津温泉』京都府下最古の温泉~天平の出湯~
むかーしむかし、奈良時代のおはなしです。
当時国内で疫病の流行や大地震、かんばつによる被害で天平の飢饉がおこりました。行基は、ひとびとをうえからすくうため、たはたを開墾しためいけをつくる指導をし、近畿中をまわっておりました。この木津でもすくなからずほのえいきょうをうけ、疫病が発生しました。ほのとき、行基はこの地におとずれており、ここにわく温泉にむらびとたちを入浴させました。ほいで行基の指導により木津ではおおきな被害は発生せずむらびとたちはすくわれたっていいつたえられております。ほの疫病とは皮膚病の一種、天然痘だったようで、ほれ以来、木津温泉は皮膚病にきく治療湯としてつたえられております。
これはむかしから木津温泉につたわる行基にまつわるおはなしです。 〔木津温泉振興組合〕
(27)、(26) 丹后のうみ(はしだて2号) - 夕日ヶ浦木津温泉
うみからはだいぶはなれたか。列車はやまざとをいく。
網野(あみの)にとうちゃく。「あみの」のアクセントはたいらかじゃなくて、「み」にアクセントがあって、ちょっとへんなかんじがした。ほれと、このくじらみたいな駅舎もえきらしくなくて、へんだった。ここ網野も久美浜とならんで丹后のくにのひとつの中心地のはずなだけど、ほのことはようわからんかった。
網野からさきはむきがかわる。ほれまで、まひがしにたいしてひだり30度にすすんどったもんが、こっからはみぎ45度にすすんでいく。あとで地図をみてたしかめたことだけど、こっから完全にうみからはなれて、にほんかいに東北方向につきだしとる丹后半島のねもとを横断する。
豊岡をでたときはがらがらだった車内も、えきえきでひとをひろって、ちょこっとづつふえていく。のってくるのは旅行者とかじゃなくて、ぢもとのひとたちがおおかったようにみえた。運行本数が不足する京都丹后鉄道にあって、特急列車であるこの丹后のうみ号をふつう列車がわりにつかっとったのか。特急料金をはらってまで、ほうしとったのか。
列車はまたやまざとをいく。きのうの、京都から丹波のくに、但馬のくにへといく山陰線のたびもやま、また、やまだったけど、きょうの、丹后のくにをいく京都丹后鉄道のたびもやっぱりやまがいっぱいだ。にほんってのはやまぐにであって、わがすむ西三河平野がとくべつなのかもしれん。さらに、山陰線はとちゅうに綾部や福知山っていうまちがあったのにたいして、京都丹后鉄道はまちらしいまちもなくて、いっそうひなびたかんじだ。
峰山にとうちゃく。久美浜、網野とこのさきの大宮をふくめた京丹后市の市役所がこの峰山にあるだけど、まちっていうほどじゃなかった。大学んときにこっからきとった同級生もおった。
また、やまざとをいく。たんぼはちょっとひろい。いやしかし、ひなびたふうけいだ。
京丹后大宮にとうちゃく。駅舎はしゅぬりばしらにしらかべ、かわらぶきのたてもんだ。小野小町のえもかいてあり、ゆかりの地らしい。
「九重の花の都に住みはせて はかなや我は三重にかくるる」 〔小野小町〕
(35)、(36) 丹后のうみ(はしだて2号) - 京丹后大宮
3分停車のうちに、こっちとおんなじ丹后のうみ号といきちがい。しらべると、特急たんごリレー1号っていうやつで、はしだてやきのさきみたいに京都発着じゃなくて、福知山発着のやつだ。京都丹后鉄道の区間内だけをうけもつ。
やまごえ区間にはいって、平行する国道をむこうからやってきた自転車のりのひとたちとすれちがう。
(38) 丹后のうみ(はしだて2号) - 京丹后大宮-与謝野間
やまをおりて、与謝野にとうちゃく。ホームのかんばんに「ようこそ丹后ちりめんのさと与謝野町へ」ってかいてある。京丹后市の区域からでただ。むかしは、こっからみなみに分岐する加悦鉄道(かやてつどう)っていう私鉄があったっていうことは、あとでしった。
また、やまざとをいき、かわをわたる。
(40) 丹后のうみ(はしだて2号) - たんぼ、(41) かわ
さて、「つぎは天橋立です」の車内放送がはいる。
おおーっ!うみだ! 丹后のうみ号がついにうみにでた。
いりえをそとうみからまもる、防波堤みたいななかすがみえてくる。これが天橋立だ! このけしきをみただけでも、天橋立がただもんじゃないことがわかる。あとでしらべたら、天橋立にまもられたいりえを阿蘇海(あそかい)っていって、ほのそとがわが宮津湾だった。
10時ちょうど、天橋立のえきにとうちゃく。豊岡からここ天橋立まで54.5km、1時間9分、47.4km/h。表定速度は50キロにみたんけど、くつろぎの車内空間で1時間あまりのゆったりたびにおおいに満足。かいさつをでて、天橋立見物にむかう。
(48)、(47)、(49) 丹后のうみ(はしだて2号) - 天橋立
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(さんこう)
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- 京都丹后鉄道宮豊線 - Wikipedia
- 宮豊線(みやとよせん)は、京都府宮津市の宮津駅から兵庫県豊岡市の豊岡駅に至るヰラートレインズ(WILLER TRAINS)(京都丹后鉄道)の鉄道路線の愛称である。
- もとは国鉄・JR西日本の路線で、1990年4月1日から北近畿タンゴ鉄道(KTR)が運営していた宮津線の一部であるが、2015年4月1日からは京都丹后鉄道を第二種鉄道事業者、北近畿タンゴ鉄道を第三種鉄道事業者とする上下分離方式によって運行されている。上下分離が行われた際、宮津線については宮津駅を境に東側(西舞鶴側)24.7km を「宮舞線」、西側(豊岡側)58.9km を「宮豊線」として路線愛称を分離した。
- 丹后半島の付け根を通り、日本三景の天橋立などへの観光の足となっている。
- 路線データ