西三河の鉄道のうつりかわり10回め=三河鉄道の延伸と西尾線の延伸

10回めのこんかいは1927年と1928年。はなしはふたつ。

ひとつは三河鉄道の延伸。きたは1927年8月26日に猿投(さなげ)から枝下(しだれ)まで、9月17日に三河広瀬(みかわひろせ)まで、1928年1月22日に西中金(にしなかがね)までのびて、みなみは1928年8月25日に松木島(まつきじま)から吉良吉田(きらよしだ)までのびる。こいで、のちに三河線っていうなまえになる里程64.8キロの区間が全線完成となる。

まあひとつは西尾線の延伸。矢作川鉄橋の工事が困難なため、碧海電鉄による西尾線しんあんじょう-西尾間15.0キロの建設は、はなから2期にわけてやることになっとっただけど、こんかいが2期めで、1928年8月いつかに米津(よねづ)から西尾口(にしおぐち)まで、10月ついたちに西尾までのびて、建設完了。また、1926年に碧海電鉄のおやがいしゃ愛知電鉄が吸収合併した西尾鉄道のうちの西尾-吉良吉田間と直通運転を実施。いまの西尾線しんあんじょう-吉良吉田間の運行がここにはじまる。なお、旧西尾鉄道線は軌間2フィート6インチの特殊狭軌で非電化の線だっただけど、愛知電鉄はこれを軌間3フィート6インチの狭軌に改軌したうえで電化をして、ほかの線とあわせた。

西三河の鉄道のうつりかわり(あきひこ) - 10.三河鉄道の延伸と西尾線の延伸
△ 西三河の鉄道のうつりかわり(あきひこ) - 10.三河鉄道の延伸と西尾線の延伸

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この地にうまれて、みずからこの地に路線をのばしていく三河鉄道。にしからはいってきて、既存路線の吸収もしながら路線をのばしていく愛知電鉄。ことなるふたつの鉄道会社がしのぎをけずる。

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(さんこう)

*1:里程は現在の、または廃止時のもので計算してある。〔西中金-猿投間8.6キロ〕+〔猿投-碧南間39.8キロ〕+〔碧南-吉良吉田間16.4キロ〕=64.8キロ。

*2:蒲郡線三河鉄道が建設したもんだけど、ここではべつもんってかんがえた。