西三河の鉄道のうつりかわり13回め=挙母線の一部廃止と西尾鉄道の廃止

13回めのこんかいは1938年と1943年。はなしはふたつだけど、ざんねんながらふたつとも廃止のはなしだ。1888年東海道線開業をかわきりに、西三河の区域にいろんな鉄道が開業、延伸してきただけど、ついに廃止となる路線があらわれる。

ひとつは挙母線(ころもせん)の一部廃止。1938年5月ついたち、三河岩脇(みかわいわわき)-門立(もだち)間が廃止となる。てつづき的には休止だけど、実質的には廃止だ。挙母線は1924年、岡崎電気軌道により岡崎井田(おかざきいだ)-門立間で開業したもの。めざすさきは九久平(くぎゅうだいら)、ひいては足助(あすけ)で、とりあえず門立までの開業だった。以降、1927年に三河鉄道に吸収合併されて、1929年にめざすさきを上挙母(うわごろも)にかえて全線開業。方向ちがいになった三河岩脇-門立間は門立支線となって、電圧も低電圧のままとりのこされる。1931年には九久平までの鉄道免許もとりけしになって、ほっから7年あとの1938年に門立支線の廃止をむかえるってわけだ。わずか14年のいのちだった。

まあひとつは西尾鉄道の廃止。1943年12月16日、岡崎-西尾間が廃止となる。こっちもてつづき的な休止なだけど、あとで部分的な営業再開はあるもんの岡崎と西尾っていう西三河の2大都市をむすぶ鉄道としての機能はこいでおわりになるで、これをもって廃止とした。西尾鉄道は1911年、西三河で2番めの私鉄として岡崎-西尾間で開業したあと、1914年に西尾から平坂の港前まで、1915年に西尾から吉良吉田までと路線をのばしていったもの。以降、1926年に愛知電鉄に吸収合併されて、1929年に岡崎-西尾間の軌間を762ミリの特殊狭軌から1067ミリの狭軌に改軌、あわせて電化。この改軌、電化は、西尾-吉良吉田間におくれること1年。さらに、1935年からは愛知電鉄と名岐鉄道の合併で名鉄の運行にかわっとっただけど、太平洋戦争もふかまった1943年10月ここのか、軍需むけ新線建設のためとして、西尾-岡崎間のレール撤去命令がだされ、ほっからふたつきあとの1943年12月16日に廃止となる。わずか32年のいのちだった。

西三河の鉄道のうつりかわり(あきひこ) - 13.挙母線の一部廃止と西尾
△ 西三河の鉄道のうつりかわり(あきひこ) - 13.挙母線の一部廃止と西尾

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(さんこう)