フェースブックともだちの投稿をみておもしろそうだなっておもって、2017年12月12日、一身田寺内町(いしんでんじないちょう)にいってきた。
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名古屋から近鉄電車をのりついで高田本山(たかだほんざん)のえきについた。ふきすさぶ寒風にさからって、にしにすすむ。しばらくあるいて伊勢鉄道の高架をくぐる。すぐきたに東一身田のえきがあって、ちょうどきたいきの列車がとおっていく。このあたりから左右はまちらしくなっていくだけど、高田本山におなじくこの東一身田も「えきまえ」を形成しとらん。ただ、まちのひがしのはずれにえきがあるっていうだけだ。えきができたのが1973年っていうまんだあたらしい時代だでか。
まあちょっとすすんだとこに一身田東バス停っていうバス停があって、ちょうどやってきたバスとすれちがう。ほそいみちだけど、このみちがこのまま一身田寺内町のどまんなかにはいっていくみちで、バスもとおるみちになっとる。便宜的に東西街道ってよぶことにするだけど、この東西街道はクルマの往来もひんぱんで、対向車をいかせてからバスもすすむ。ちなみに、バスのいきさきのサオリーナってのは津市体育館のことで、津市出身のレスリング選手、吉田沙保里(よしださおり)さんにちなんでこういうなまえがついとるだ。
環濠(かんごう)のとこまできた。環濠のうちがわが寺内町で、このまま東西街道をすすむと、すぐに浄土真宗高田派本山の専修寺(せんじゅじ)についちゃう。いきなり寺内町の「めだま」と対面しちゃうのも芸がなく、したしらべでたしかめといたみっつの門のうちのひとつ、赤門にむかう。
環濠のそとがわを適当にきたにすすんで、赤門あとにとうちゃく。いまは環濠にかかる赤門橋っていうはししかないだけど、むかしはここに赤門があった。江戸方面へはこの赤門をとおっていく。
赤門あとからちょっときたにいったとこで、環濠がにしにかぎのてにまがる。ここが環濠の東北のかどになる。寺内町からひがしへは環濠をこえてまちがつづいとるけど、きたは環濠をさかいにたんぼになる。学校の授業で古代条里制の遺構が一身田にはあるってきいとって、じつはほれもみてみたくてここまできただけど、この寒風ふきすさぶなかじゃほれどころじゃない。かりに資料館とかにいってみてどこそこに遺構がありますよっていわれてたずねていったとこで、しょせんほこはたんぼでしかない。この環濠のきたがわのたんぼをもって、古代条里制の遺構とした。寺内町自体も条里制の区画をいかしてつくったまちだっていうしね。
環濠北辺のてきとうなとこから寺内町にはいる。みなみにいくみちのにしがわはずーっと専修寺で、ちょっといったとこでふるめかしい門がある。あとで「一身田寺内町のやかた」っていう資料館にいってきいてわかっただけど、内寺門(ないじもん)っていう門だ。かんたんにいうと通用門で、この専修寺につとめるおぼうさんたちがではいりするための門だ。かってに内寺門のなかにはいってみると、ふるびたたてもんがある。これもあとで一身田寺内町のやかたでもらった地図をみて、宗務院(しゅうむいん)っていうたてもんかってきいたら、ちがった。わからずじまい。
内寺門からまたみなみにいって三重塔(さんじゅうのとう)がみえる。いや、いってみたら太鼓門っていう門だった。門のうえにこんな塔がのってそびえとるだ。いまはならしてないけど、かねつき堂でもあっただげな。
東西街道にでた。ひがしに環濠のとこまでいくと、栄橋(さかえばし)っていうはしがかかっとる。赤門あとのとこのはしとおんなじはしで、きれいなあかい欄干(らんかん)がついとる。いまは赤門にかわって、この栄橋が寺内町のひがしの「正門」になっとる。
栄橋のうえから南北の環濠をかくにん。
栄橋からまた東西街道をちょこっとにしにもどる。太鼓門からでてきたとこのすぐてまえのみなみがわになるだけど、西北かどにむかしながらのたてもんがあって、ほのたてもんのまえに宮の前バス停っていうバス停もあるよつつじをちょっとすぎたひだりがわに「一身田寺内町のやかた」があって、ここにはいる。いろいろもらった資料のなかにあった地図で寺内町の全体をかくにん。したしらべのときに「ここがにぎやかかな」っておもった向拝前町(ごはいまえまち)のとこが商店街になっとって、みせがいっぱいならんどる。専修寺の面する東西街道の1本みなみに平行する道路がほの商店街だ。
よつつじから東西街道をみなみにはいる。ちょこっといったとこで東西水路をよこぎる。しかくく1周する環濠の東辺と西辺をむすぶほりで、まあ、これも環濠とおんなじつくりだ。「一身田寺内町」ってかいてある鉄板がちょっとしゃれたかんじだ。
まあちょっとみなみにいって、百五銀行しきちの東南かどに、りっぱないしづくりのみちしるべがある。さらにこのちょっとみなみに「みっつの門」のひとつ黒門あとがあるだけど、この門から寺内町にはいってきたひとたちに「みぎが江戸ですよ。ひだりが京ですよ」っておしえてあげるだ。
黒門あとまできた。伊勢方面へはこの赤門をとおっていく。いまは門はなくて、やっぱりあかい欄干(らんかん)のはしが環濠にかかっとる。
はしのうえから東西の環濠をかくにん。
みちしるべのとこまでもどって、ほっからにしにのびる商店街のとおりをすすむ。ふるいみせばっかりじゃなくて、あたらしいみせもそこそこある。おとずれたのが平日の午前中っていう時間帯になるだけど、けっこうみせもひらいとる。とちゅうにみつけた喫茶店でいっぷく。さいしょはいったときは、じもとのひとで満席だった。
商店街のとちゅうできたにつながるみちがあって、正面に専修寺の山門(さんもん)がみえる。寺内町の「みっつの門」も往時はこんなりっぱな門だったのか。
まあちょっと商店街をにしにすすんだとこで、また、きたにつながるみちがあって、正面に専修寺の唐門(からもん)がみえる。いや、これもじつにりっぱな門だ。
唐門までいって、専修寺の境内をのぞいてみる。ひだりに如来堂(にょらいどう)、みぎに御影堂(みえいどう)と、でっかい伽藍(がらん)がふたつならぶ。
商店街にもどって、またちょっとにしにすすむととおりはみぎクランクになる。みぎにまがったつぎにひだりにまがるとこのかどに、ちいさなみちしるべがある。竹野薬局っていうくすりやさんのしきちになるだけど、このみせのひとがたてたもんか。黒門のとこのみちしるべとはちがってあたらしい時代のもんで、方向の関係がふにおちんけど「右キシャ。左本山」ってかいてある。「本山」はもちろん浄土真宗高田派本山の専修寺(せんじゅじ)のことで、「キシャ」はえきのことだ。こっからまあちょっとにしにいくと、紀勢線(きせいせん)一身田のえきがある。
竹野薬局のみちしるべからすぐ、桜門あとまできた。「みっつの門」のさいごの門だ。京方面へはこの桜門をとおっていく。まえのふたつの門におなじく、あかい欄干(らんかん)のはしが環濠にかかっとる。明治になって一身田のまちの支配が専修寺からはなれて、1874年に「みっつの門」もうりはらわれちゃっただげなだけど、再建はむりかな。
はしのうえから南北の環濠をかくにん。キシャにのるべく一身田のえきにむかった。
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(さんこう)
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