錦三丁目のみちしるべ

みちしるべってみるとなんかうれしくなるだけど、あの錦三丁目(にしきさんちょうめ)にこんなみちしるべをみつけた。

2017.12.28 犬山 (14) みちしるべ - 鶴重町どおり/東本重町どおり 1000-1780
(14) みちしるべ - 鶴重町(つるしげちょう)どおり/東本重町(ひがしもとしげちょう)どおり

前后のとおりが鶴重町(つるしげちょう)どおりで、左右のとおりが東本重町(ひがしもとしげちょう)どおりってかいてある。いまの住所はこの一帯ぜんぶが錦三丁目になっちゃっとるだけど、ほんとはまちごとにとおりごとに、それぞれのなまえがあっただ。

2017.12.28 犬山 (13) 錦三丁目 - 東本重町どおり 1000-1780
(13) 錦三丁目 - 東本重町(ひがしもとしげちょう)どおり

名古屋のまちって碁盤のめになっとるけど、戦后の区画整理でこういうふうになったっておもっとった。ところで、さいきんになってわかってきただけど、とおりのなまえとかむかしのなまえがほのままつづいとって、江戸時代からきちんとした都市計画街路ができとっただ。当時の整然としたまちわりがあってこそできた戦后の区画整理だったのかもしれん。一体ぜんぶが錦三丁目だけじゃなくて、ほのしたのまちのなまえやとおりのなまえもまっとつかうようにしたほうがいいじゃないかなっておもうよ。

錦三丁目の地図 540-350
(錦三丁目の地図)

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(さんこう)

  • 鶴重町 - Wikipedia
    • 清洲越しの町で、清須時代鶴重町(つるしげちょう)に居住した刀鍛冶丹羽三左衛門なる人物が打物(うちもの)の銘を鶴重と称したことに由来するという。1688年3月から1834年の間は、徳川綱吉の養女鶴姫の鶴の字を避け、本重町と改名していたが、これは前述の三左衛門の祖先の法名「道本」から本の字を採ったものであった。
    • 1878年12月20日、名古屋区成立に伴い、名古屋区鶴重町となる。
    • (中間省略)
    • 1966年3月30日、住居表示実施に伴い、錦三丁目に編入される。
  • 東本重町 - Wikipedia
    • 東本重町(ひがしもとしげちょう)は、愛知県名古屋市中区の地名。本重町筋の東側に位置したことによる。
    • 1871年9月29日、本重町筋の一部により、愛知郡東本重町として成立。
    • (中間省略)
    • 1966年3月30日、住居表示実施に伴い、錦三丁目に編入され消滅。
  • 本重町 - Wikipedia
    • 本重町(もとしげちょう)は、愛知県名古屋市中区の地名。かつては鶴重町と称していたが、1688年に徳川綱吉の養女鶴姫の名を避け(鶴字法度)、改名したものである。
    • 1871、本重町筋に愛知郡本重町として成立。
    • 1878年12月20日、名古屋区成立に伴い、名古屋区本重町となる。
    • (中間省略)
    • 1966年3月30日、住居表示実施に伴い、1・2丁目が錦一丁目、2〜6丁目が錦二丁目に編入され消滅。
  • 錦三丁目商店街の特徴・歴史
    • 錦三ってなあに
      • 名古屋の中区には、栄を中心に栄・錦・丸の内と大きな三つのエリアがあります。それぞれに栄1・2・3・4丁目、錦1・2・3丁目、丸の内1・2・3丁目と分けられておりその錦3丁目が通称 錦三(きんさん)と呼ばれ、一番の繁華街となって親しまれております。
    • 錦三商店街協同組合とは
      • 錦三丁目は、11の町内会で構成されています。2002年9月田中清隆理事長のもとに、一つにまとまり錦三商店街協同組合が成立致しました。より安全で、明るく、安心して楽しめる町を作ること、すなわちトリプルAをめざしてA(anzen)A(akaruku)A(ansin)名古屋の中心(錦・栄)の発展に貢献していきたいと立ち上がりました。
    • 町名あれこれ - 錦三丁目と清洲越し
      • 錦三丁目には歴史を刻んだ地名があちこちに残っています。町名は町のおこりを物語る文化遺産。そして、ここに住む人々の心のふるさとです。
      • 錦三丁目の町の誕生も町名の由来も、四百年前、清洲の城下町がそっくり名古屋に移動した清洲越しを抜きにしてはあり得ない、といいます。慶長年間、関ヶ原の合戦で勝利を納めた徳川家康は、大阪方の勢力を威圧するため名古屋に城を築くことを計画します。九男の義直を城主に、豊臣方の加藤清正福島正則らを味方につけ名古屋城を築きました。そして、城下に町を開くにあたり、家康は清洲の城下町を一気に那古野に移転させ名古屋城の城下町にしました。この歴史に残る大移動が清洲越しです。
      • 町が整うと地名も那古野から「名古屋」に改めました。大須観音、朝日神社もこの清洲越しで移されたものです。現在も名古屋の経済界の中心的存在の老舗、松坂屋(伊藤治郎左衛門氏)、名エン(青木信樹氏)なども・清洲越し″の商家として地元の人々の敬愛を集めています。