足助のまちなみをあるく - 2018年6月22日

2018年6月22日、足助のまちなみをあるく。電車で東岡崎までいって、バスにのりかえて香嵐渓(こうらんけい)バス停までいって、ほのあとのはなしになる。

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2018.6.22 (76) 日の出屋 - ごへいもち 1250-720
(76) 日の出屋 - ごへいもち

定刻の9時35分より7分おくれの9時42分、香嵐渓バス停にとうちゃく。いくつかあるバス停のうちで、このバス停が足助(あすけ)を代表するバス停だ。いまは季節じゃないけど紅葉で有名な、愛知県ずいいちの名所香嵐渓がすぐとなりにあって、観光案内所やひろい駐車場もあるだけど、たちならぶみやげもんやさんのうちのひとつのみせにはいって、ごへいもちを注文。三河人でごへいもちをすどおりできるひとはおらんだけど、このみせにはいったのはおんな店主のひととめがあったためでもある。

2018.6.22 (77) 足助 - 巴橋 1580-1200
2018.6.22 (78) 足助 - 巴橋 2000-1500
(77) 足助 - 巴橋(78) 香嵐渓(とおくに待月橋)

むしやしないができたとこで、巴橋(ともえばし)で巴川(ともえがわ)をひがしにわたる。ここ足助は旧足助街道ぞいにむかしのまちなみがあるだけど、ほっちのほうにいくだ。はしをわたるとちゅう、みぎてのかわかみにすぐ香嵐渓がみえる。とおくにあかぬりの待月橋(たいげつきょう)もみえる。

2018.6.22 (79) 足助 - 中橋 2000-1500
(79) 足助 - 中橋

巴橋をわたってすぐにひだりにまがる。旧足助街道にはいってこれをかぎのてにすすんで、中橋(なかばし)で足助川をきたにわたる。足助川は巴川の支流で、巴橋のきたがわちょこっとかわしものとこに合流点だ。足助川はほの合流点からひがしにのびる。

2018.6.22 (80) 足助 - 中橋(足助川) 1800-1350
(80) 足助 - 中橋(足助川)

中橋をわたるとちゅうみぎてのかわかみをみると、あさくはばのひろいかわからいちだんたかいとこにまちなみがひろがっとるのがわかる。河岸段丘(かがんだんきゅう)ってやつだ。

2018.6.22 (81) 足助 - 足助街道 1600-1200
2018.6.22 (82) 足助 - マンリン書店 1600-1200
(81) 足助 - 足助街道(82) マンリン書店

中橋をわたってちょこっといって右折。ひがしにむかってまちなみがつづく。このときはしらんかっただけど、ひらいりのたてもんとつまいりのたてもんがまぜまぜになっとるのが足助のまちなみのとくちょうらしい。マンリン書店ってのが喫茶もやっとる有名なみせで、ここでいっぷくしていきたかっただけど、あいにくみせのひとがおらんくてあきらめる。

2018.6.22 (83) 中馬館 - 外観 2000-1500
(83) 中馬館 - 外観

ひだりかぎのてにひがしにすすんで、中馬館(ちゅうまかん)にとうちゃく。こんかいマンリン書店とあわせていってみたかったとこだ。ひらいりのかわらやねのたてもんに、しろしっくいぬりのかべがしぶい。

旧稲橋銀行足助支店
2018.6.22 (84) 中馬館 - 説明がき 2000-1800
愛知県指定有形文化財
旧稲橋銀行足助支店
指定=1984年2月27日
社屋、金庫室、金庫室前室
当たてもんは、稲橋銀行足助支店として、1912年に建造されました。
きりつまひらいりの木造2階だてで、外壁にしっくいをぬって耐火性能をたかめております。1階はきゃくだまりをどまとし、カウンターからうちがわの営業室はすべていたばりのゆかとなっております。きゃくだまりとカウンターの上部はふきぬけとなり、周囲にはギャラリーがまわっております。外観はにほんの伝統的なまちやの形態としながら、内部は当時の典型的な銀行建築の形態となっており、1階おくには1954年に増築された金庫があります。
住民による1980年前后のまちなみ保存運動によって保存された象徴的なたてもんは、1982年には足助中馬館として開館しました。
(84) 中馬館 - 説明がき

おもての説明がきをよんでびっくり。稲橋銀行(いなはしぎんこう)足助支店だったっていう。稲橋ってのはのちの稲武(いなぶ)のことだ。足助街道はこっからさらに三河のやまおくをとおって長野県の飯田につながるだけど、愛知県がわのいちばん長野県よりにあるのが稲武だ。ほんなやまおくに本店をおく銀行があったってのもおどろきだけど、さらに支店まであって、ほれがとおくはなれたこの足助にあったってのもおどろきだ。足助街道ってのはひとやものの往来がさかんな主要街道なだ。

2018.6.22 (85) 中馬館 - 内部 1400-1050
2018.6.22 (87) 中馬館 - 内部 1400-1050
(85)(87) 中馬館 - 内部(ふきぬけ)

なかにはいってみると、2階までしゃれたつくりのふきぬけになっとる。ゆかは、きゃくだまりのとこはどまで、カウンターからおくはいたばりだ。とりたてて豪華っていうわけじゃないけど、むかしのひとたちのいきづかいがきこえてきそうだ。

2018.6.22 (86) 中馬館 - 内部 1400-1050
2018.6.22 (91) 中馬館 - 金庫室 1400-1050
(86) 中馬館 - 内部(91) 金庫室

おくに金庫室。あとは展示してある資料をみてみる。

街道とまちなみ
2018.6.22 (88) 中馬館 - 「街道とまちなみ」 2000-1460
あか線=近世末期の街道あお線=現在の主要道路
(88) 中馬館 - 「街道とまちなみ」

「街道とまちなみ」っていう地図がある。岡崎からきた足助街道が長野県の飯田にのびていく。名古屋からくる街道もあるし、岐阜県岩村につながる街道もある。足助は交通の要地だ。

足助について
2018.6.22 (89) 中馬館 - 「足助について」 1520-1730
足助はふるい時代から交通の要地だった。きたは伊那谷(いなだに)(長野県)と東濃(とうのう)岐阜県)へ、みなみは名古屋岡崎へと通じ、東三河(ひがしみかわ)から遠州(えんしゅう)(静岡県)へのみちもあった。
伊那谷へのみちは、縄文時代に、諏訪湖ちかくの和田とうげから黒曜石(こくようせき)をはこんだみちであり、戦国諸雄の軍兵が上下したみちでもあった。ほれにもまして重視されるのは、しおをはこんだみちだった。
江戸時代、このみちは「伊奈*1街道」ってよばれ、中山道のわき往還としてさかえた。信州中馬や善光寺まいりのひとびとの往来がおおかったことから「中馬街道」、「善光寺道」などともよばれた。
しおは、矢作川(やはぎがわ)や支流の巴川(ともえがわ)をかわぶねで古鼡(ふっそ)、平古(ひらこ)(豊田市)までのぼり、ほっから足助まできて、「足助塩」、「足助直(あすけなおし)」のめいがらで信州へはこばれただ。
まちの歴史はふるく、交通の要地だった。中世初期に足助氏が飯盛山(いいもりやま)に居住し、末期には鈴木氏が真弓山城に居住して小城下まちも形成されとった。1573年から1592年までの天正年間に足助でうるしが売買された記録があり、こうした商業活動の背景となる集落の存在をしめしとる。
近世初頭、1629年の検地帳には、田町東町西町新町のながみえ、現在のまちなみの原形が形成されとった。1681年には本多氏が陣屋(じんや)を設置した。1688年から1704年までの元禄年間には、足助村ではなく足助町の名称がつかわれ、景観的にも都市的様相だったことがわかる。まちは、陣屋まち、しゅくばまち、在郷まち、商業まちとして繁栄し、近世末期にはさらに経済圏をひろげていった。
明治には東加茂郡役所がおかれた。新道や新橋がひらかれ、これにそってあらたにまちなみが形成されて、ほぼ現在のまちなみが完成した。
(89) 中馬館 - 「足助について」

説明がきをよむ。この足助街道は太古は黒曜石をはこんだ、戦国期は軍団がいきかった、また、古来からしおをはこんだみちだっただ。

足助のまちなみ
2018.6.22 (90) 中馬館 - 「足助のまちなみ」 2000-1460
足助のまちなみは、巴川と足助川の合流点付近の河岸段丘にあり、足助川にそってかわしもから西町新町本町田町ってつづく。西町だけがかわの左岸にあり、ほかは右岸にある。みちはせばく屈曲がおおい。現在、明治年間にひらかれた地区もふくめて、およそ300棟のまちやがならんどる。江戸、明治期のものは全体の36パーセント、大正、昭和戦前期は35.8パーセント、りょうほうで71.8パーセントをしめとる。
巴川の右岸をのぼってきた旧道は足助川との合流点をへて、いったん足助川をわたって西町をとおり、ふたたびかわをわたって新町、本町、田町へと通じとった。西町は中世にしろのきずかれた飯盛山のしたにあり、古町っていう地名ものこるなど、かつて東町ってよばれた本町とならんで、はやくから形成されたまちだ。まちのかどには1845年(弘化2年)のみちしるべがある。中橋をわたって新町にはいると旧道はひがしにおれる。かどには天王社があり、ほのむかいにはかつてこうさつば(高札場)があったっていう。ひらいりのやなみに、つまいりのまちやがめだつ。本町で旧道はゆるやかに湾曲する。本町には大規模なまちやがおおく、ふるくからの繁栄をものがたる。ひがしはしに陣屋あとがあり、陣屋設置のころから東町を本町ってよぶようになった。旧道は本町からかぎのてに屈曲して田町にはいり、まちのひがしでかわのほうにおれ、かわぎしを東進しとった。
足助のまちなみの特色は、まずぬりごめのまちやにある。しろしっくいぬりで、とくにつまいりのばあい三角のしらかべがめだつ。かずおおい土蔵とともに「しらかべのまち」の印象をあたえる。ひらいりのやなみに混在するつまいりのまちやは、まちなみの輪郭に変化をあたえ、めをたのしませる。つぎに、みちは屈曲にとみ、背景への視点を変化させる。周辺のやまやまやかわのながれ、かわぎしのこうじ、うらどおり、ほれに通じるこうじなどが、まちなみを演出し、ゆたかな自然と一体となった足助独特の歴史的環境がうみだされとる。
(90) 中馬館 - 「足助のまちなみ」

足助のまちなみについての説明がきもある。巴川と足助川の合流点付近の河岸段丘に、連続するよっつのまちからできとるだ。中馬館があるのがいちばんひがしの田町で、巴橋をわたったあと、西町、新町、本町ととおってここまできただ。

足助のまちなみ(地図)
2018.6.22 (92) 中馬館 - 「足助のまちなみ」地図 2550-1120
(92) 中馬館 - 「足助のまちなみ」地図

中馬館の歴史
2018.6.22 (93) 中馬館 - 中馬館の歴史 1950-1780
1900年11月ふつか、かぶしき会社稲橋(いなはし)銀行、北設楽郡(きたしたらぐん)稲橋村(のちの稲武町(いなぶちょう))に設立。
1903年2月はつか、稲橋銀行足助支店開設。
1912年11月16日、足助支店新社屋が完成。
1927年6月ついたち、合併により岡崎銀行足助支店。
1945年9月17日、合併により東海銀行足助支店。
1954年12月ついたち、金庫室を増設。
1965年5月ようか、足助支店廃止
1965年10月21日、足助町農業協同くみあいが取得し、金融部として1977年まで営業。
1981年3月、足助町が取得。
1982年6月とおか、足助中馬館として開館。
1984年2月27日、愛知県有形文化財(建造物)に指定。
(93) 中馬館 - 中馬館の歴史

中馬館の歴史も年表になっとる。稲橋銀行から岡崎銀行、東海銀行足助町農協金融部ってつかわれてきたもんが、使命をおえて旧足助町がかいとってこの中馬館っていう資料館にしただ。

足助の年表
2018.6.22 (94) 中馬館 - 足助の年表(みぎ) 2000-1500
2018.6.22 (95) 中馬館 - 足助の年表(ひだり) 2000-1500
(94) 中馬館 - 足助の年表(みぎ)(95) (ひだり)

足助の年表も興味ぶかい。明治維新のあとの一時期、伊那県に属したこと。東加茂郡役所があったこと。鉄道布設の願望があったこと、などなど。いっかいも鉄道がとおったことのない足助だけど願望があっただ。岡崎電気軌道や三河鉄道も足助まで鉄道をのばす予定だった。「足助と鉄道」のことはあらためてかく。

2018.6.22 (96) 足助 - 足助街道 1920-1080
(96) 足助 - 足助街道

中馬館からまたひがしにすすむ。

2018.6.22 (97) 足助 - 真弓橋(足助川) 1850-1040
2018.6.22 (98) 足助 - 真弓橋 1050-1150
(97) 足助 - 足助川(98) 真弓橋

みぎにまがってちょこっとすすんで、真弓橋(まゆみばし)で足助川をみなみにわたる。渓流ぞいにつらなるまちなみのまたうつくしいこと。足助のまちなみに満足してバス停にもどる。

足助観光地図(2018.6.22) 2500-1430
△ 足助観光地図(2018.6.22)

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(さんこう)

*1:「伊那」じゃなくて「伊奈」ってかいてある。