湯谷温泉と長篠城

2019.7.5 (7) 長篠城あと - 天竜峡いきふつう 1600-1200

きのう2019年7月いつか、東三河(ひがしみかわ)のおくのほうまでいって、湯谷温泉(ゆやおんせん)にはいって、長篠城(ながしのじょう)のあとをみてきた。

◇            ◇

しゅっぱつは名鉄西尾線ふるいのえき。みなみいきの西尾いきふつうをみおくって、また、ホームにひとがふえてくる。こんどはきたいきで、7時34分の弥富いきふつうがはいってきて、のる。4両編成の5000系ぎんいろ電車で、車内は満員。7時43分、しんあんじょうは3番のりばにとうちゃく。のりかえのため下車。ホームのいちばん名古屋よりにある階段から地下通路におりて、5、6番のりばに移動するだけど、弥富いきふつうはここでまえ4両増結のためえんえんと3、4番のりばのホームをあるく。おおくの高校生らもおんなじようにあるく。5、6番のりばにあがったとこで、高校生らは6番のりばにまちあいをしとるぎんいろ電車の伊奈いきふつうにのりこんでいく。矢作橋でおりる城西高校の生徒らだったか。5番のりばにしんあんじょう7時48分の豊橋いき特急がはいってきて、のる。6両編成の2200系こおろぎのうしろに2両編成のぎんいろ電車を連結したやつで、まえ2両の特別車のうち2号車1Aにすわっていく。特別車料金は車掌さんがまわってきて、精算。空席がみこめるときなら、車内精算にしたほうがすきなとこにすわれていい。車内精算券にかかれた列車番号は72。ひがしにすすんで、8時7分、国府にとうちゃく。のりかえのため下車。おんなじホームとなりにまっとった国府8時9分の豊川稲荷いきふつうにのりこんで、すぐにしゅっぱつ。あっかい電車2両たすあっかい電車2両の4両編成で、車内はたちきゃく2わり。ほんなにこんでない。高架をあがって八幡に停車。なんにんかおりて、たちきゃくは1わりにへる。地平におりて諏訪新道信号場まですすんだとこで、まっとる電車がおる。あっかい電車2両の国府いきふつうだ。これまでここでいきちがいをするのをみたことがなかっただけど、ちゃんとあさの混雑時間帯には機能を発揮しとるだ。諏訪町に停車。どかっておりる。たちきゃくがなくなって、座席に2わりにまでへる。いや~、こんな実態はしらんかった。いま地図をみてみると、豊川市役所や豊川警察署、豊川郵便局、日本車両陸上自衛隊豊川駐屯地なんかがこのえきがもよりえきだ。稲荷口に停車。ほとんどのりおりなし。8時20分、終点の豊川稲荷にとうちゃく。下車。すぐにおりかえすらしく、ここまでのってきたよりおおい人数のひとがまあはいホームにまっとる。

4分でJR飯田線にのりかえ。豊川稲荷の地平のかいさつをでて、となりの豊川の橋上かいさつにいそぐ。自動券売機で湯谷温泉まで580円のきっぷをかって、ホームにおりると同時に豊川8時24分の天竜峡いきふつうがはいってくる。車両は、ステンレス車体だいだいいろとみどりいろの線のはいった2両編成の213系で、2とびら転換クロスシートの車内。先頭車両のクハ212-5003のおしボタンをおして、のりこんでいく。ここで遠足の小学生らもいっぱいのりこんで、ほのかずだけたちきゃくになる。先頭車両だけで40人ぐらいおったのか。2両めにもおったのかどうかはわからん。豊川をしゅっぱつ。つぎの三河一宮で高校生らがだいぶおりて、たちきゃくは2わりにへる。小学生らもだいぶすわれた。ひだりななめまえをみると、転換クロスシートをむかいあわせにしてわかいおんなが3人すわっとる。みんなリュックをもっとるとこをみると、どっかに行楽にいくだ。豊川でのったときからほの状態だっただけど、きおくれしてあいた1席にはようすわらんかった。電車はのろのろすすむ。あー!かわだ!っていって、小学生らがよろこぶこえがきこえる。すぐに長山に停車。いまのかわはたぶん豊川(とよがわ)の支流だ。電車は豊川(とよがわ)の右岸をさかのぼるかたちで、東北方向にすすんどる。長山はさきにはんたい電車の豊橋いきふつうがまっとっただけど、わが天竜峡いきふつうがさきにしゅっぱつ。小学生らはまどのそとをみるのがすきだ。筆者のとなりにいったんはすわった小学生も、すぐにたってまえのほうにいった。江島に停車。みぎかためんホームのえきでのりおりもなかったのに、どういうわけかすぐにしゅっぱつせんでちょっとしてしゅっぱつ。江島をでて、みぎに豊川(とよがわ)がみえて、ほのむこうにひくいやまやまがみえる。まあはい平野はせばまっとる。電車はほんとにのろのろしかすすまん。相対ホームの東上に停車。のりおりなし。ひだりまえの3人のわかいおんなはずーっとスマホいじり。あ!かわ!って、また、小学生らがよろこぶこえがきこえる。電車はひだりにやますそをいく。みぎにたうえのおわったたんぼ。みぎにぎんいろの2連アーチ橋がみえてくる。線路のすぐみぎが横浜ゴム新城工場になって、相対ホームの野田城に停車。ひょろひょろのはばのせばいはんたいホームに、電車まちのひとが数人おるだけど、夜勤あけのひとたちか。こっちがわのホームに直結してふるびた駅舎。はんたいから豊橋いきふつうがはいってきて、まっとったひとたちがのりこんで、すぐにしゅっぱつ。わが天竜峡いきふつうもしゅっぱつ。はんたいホームにわたる構内ふみきりをとおっていく。飯田線はあんまりこせんきょうがない。みぎに新城市民病院がみえてくる。新城はひだりしましきホームのうちがわに停車。発車は8時59分のおしらせ。ここで9分停車だ。なんにんかがおりて、ホームの豊橋よりにあるこせんきょうをわたってはんたいホームにいく。はんたいホームはかためんホームでかいさつに直結しとる。いわゆる国鉄がた配線ってやつだ。ほかに、しましきホームのそとがわに側線が1本。3人のわかいおんなもここでおりたけど、小学生らはのりつづけるとる。だいぶおりて、小学生らもみんなすわれるようになった。はんたいから2両編成の豊橋いきふつうがとうちゃくして、すぐにしゅっぱつ。つづいてわが天竜峡いきふつうもしゅっぱつ。なんでいつもまっとった電車のしゅっぱつがあとになるのか、ふしぎなとこだ。新城をでたとこで、たちきゃくはなく座席は満席の状態。ただし、小学生を引率するわかいおんなの先生らはたったまま。

新城をでてからじゃっかん速度があがったか。みぎかためんホームの東新町に停車。サラリーマン風のひとが2、3人おりたけど、なんか会社があるのか。ひだりかためんホームの茶臼山に停車。ほとんどのりおりはないけど、かまぼこがたのログハウス風駅舎をでていく女子高生がひとり。しましきホームの三河東郷に停車。進行方向みぎがわ、豊橋よりの構内ふみきりをわたったとこに、コンクリートづくりの駅舎がある。はんたい電車もないのにちょこっとまってしゅっぱつ。飯田線は、ぜったいにすぐに発車するってことはなさそうだ。みぎに道路が平行、左右はひくいやま。ちゃばたけもみえる。線路はところどころにコンクリートまくらぎ。2面3線の大海はひだりがわのかためんホームのほうに停車。かいさつに直結しとるほうだ。飯田線は前身のひとつ豊川鉄道がここまで開通させた。このさき、湯谷温泉もこえて三河川合までは鳳来寺鉄道が開通させた。いまはワイドビュー伊那路もとまらんこのえきだけど、当時はここがひとつの中心地だっただ。ここでまた4分停車。はんたい線のしましきホームのほうをみると、ホームの土台のいしがきがこけむしとるのがわかる。ところで、小学生のひとりにこえをかけてみると、豊川の小学校で三河槇原までいくっていう。わがいきさきの湯谷温泉のまあひとつむこうのえきだ。あとで地図をみておもっただけど、きっと愛知県民のもりにいったにちがいない。はんたいから313系2両編成の豊橋いき快速がとうちゃくして、すぐにしゅっぱつ。これはなっとく。

大海をでて電車はおおきくみぎS字をえがいていく。さいしょはみぎにぐいーんってまがる。ひだりにやま。つづいてぐいーんってひだりにまがる。ひだりかためんホームの鳥居に停車。しろぬりのブロックづくりのかんたんなまちあいしつがある。ひきつづいて、ひだりにぐいーんってまがる。コンクリートまくらぎのとこもある。飯田線はきのまくらぎのとこがおおいだけど、ほの部分もふくめて線路状態は良好にたもたれとる。JR東海の美点かなっておもう。直線になって、進行方向が東北方向にもどって、豊川(とよがわ)あらため寒狭川(かんさがわ)をわたる。このわたった地点のすぐ下流で豊川(とよがわ)から宇連川(うれがわ)がみぎに分岐するだけど、分岐点から上流は豊川(とよがわ)から寒狭川になまえがかわるだ。ちなみに、宇連川がみぎに分岐するっていったけど、角度としては宇連川が直進で寒狭川がひだり分岐になる。寒狭川をわたってからは、みぎに宇連川にそって東北方向にすすむ。

ひだりかためんホームの長篠城に停車。のりおりなし。ここはホームの土台がまるいしづみで、おしろ風のちいさな駅舎がある。本長篠がちかづいて、鳳来寺山観光の拠点駅であることの案内放送がはいる。しましきホームの本長篠に停車。ここでまた3分停車。ひだりがわに駅舎とかいさつに直結して、いまはつかわれてないいしがきづみのかためんホームがあるだけど、これがいまはなき田口線のホームだ。ちなみに、52年まえ、筆者はこっから田口線の電車にのって鳳来寺までいった。他社線ホームがかいさつ直結だったっていうのもおもしろい。駅舎も新城以来のおおきな駅舎だ。しましきホームのみぎに側線が1本あって、2両編成313系豊橋いきふつうがとめおかれとる。いつもの光景だ。はんたい電車もないまま定刻の9時25分にしゅっぱつ。左右にこだち。ひだりに道路が平行してくる。道路のひだりにまち。しましきホームの三河大野に停車。みぎがわにはいまはつかわれとらん貨物線とホームもある。ほれから、ここはえきがたかい位置にあって、かいさつへはホームから階段をおりていくだけど、ほのおりぐちのとこをかこっとるきのうわやにふぜいをかんじる。きっていうのはきもちのおちつくもんだ。さて、湯谷温泉がちかづいて、温泉街であることの案内放送がはいる。左右に多少人家がみえる。ひだりにやま、みぎしたに宇連川の渓流がみえる。左右こだちのきりとおしをとおる。温泉街のまちがみえてくる。このへんでは進行方向はきたむきになっとる。

2019.7.5 (1) 湯谷温泉 - 天竜峡いきふつう 2000-1500

9時34分、みぎかためんホームの湯谷温泉にとうちゃく。下車。ふるいをでてからちょうど2時間。いや、ほれにしても飯田線のおそさはおどろきだ。豊川からここ湯谷温泉まで29.3km、1時間10分、25.1km/h。じぶんのほか数人がここでおりる。車掌さんにきっぷをわたして、ホームからつづくさかみちをおりてえきまえひろばにおりる。ちなみに、こんなかんたんなつくりのえきだけど、じつはワイドビュー伊那路のとまるえきだ。

2019.7.5 (2) 湯谷温泉 - 駅舎 2000-1500

駅舎をかくにん。この2019年7月にもとりこわされる予定だってきいて、みにきたのがこの駅舎だ。まんだとりこわされてなかった。木造総2階のちょこっとだけL字になった、おおきなたてもんだ。いまはまどもシャッターもぜんぶとじとるだけど、駅舎としてだけつかわれとったもんじゃないって推測する。いまヰキペディアをみてみると、鳳来寺鉄道時代に直営の宿泊施設として営業しとったってかいてある。なっとく。

ところで電車からおりてきたひとをたしかめてみると、筆者をふくめて10人おる。おとこのふたりぐみがふたくみと、おんなの6人ぐみがひとくみと、おひとりさまの筆者。さて、まずは温泉だ。泉山閣(せんざんかく)に電話。温泉にはいれるのは11時からだっていう。ひるごはんも予約じゃないとむりだって。まんだ1時間以上もある。とりあえず線路と宇連川のあいだにのびるみちを下流方向にすすむ。ひなびたかんじではあるけど、これが湯谷温泉のめぬきどおりにちがいない。ふみきりをななめにわたったすぐむこうに食堂を発見。っておもったら定休び。きんようびが定休びってめずらしいな。

2019.7.5 (3) 湯谷温泉 - 宇連川 2000-1500

ふみきりてまえをかわのほうにおりて、つりばしのたもとから宇連川をながめる。左右ふたつのひらたくでっかいいわがかわをおおって、ほのまんなかのわずかなすきまからたきのようにみずがながれてくる。ふたつのいわのむこうのみなもからはけむりがのぼっとる。かわのひだりはいくつかの温泉やどとむこうはこだち。かわのみぎはぜんぶこだち。いきをのむようなうつくしさだ。

めぬきどおりにもどって上流方向にすすむ。えきのとこもすぎて中華料理の漢方薬膳懐石のみせ。う~ん、6,000円の料理をとびこみじゃあむりだらあな。またすすんだとこで、旅館ひさごってとこにとびこんで、ふろにはいれるかきく。そうじちゅうだけどっていってかくにんしてくれたら、おとこぶろのほうはそうじもおわっとって、はいってもいいっていう。おひるごはんはやっぱりむりだっただけど、まあちょっと上流のはしを対岸にわたったとこにたべれるとこがあるっておしえてくれる。入浴料1,000円をはらっておくにはいっていく。階段をおりたとこにふろ。ほのまえにとりあえずとなりの喫煙所にはいって、いっぷく。きのかべにきのまど、しろぬりのかべにしろぬりの天井、天井のまんなかがまあるくへっこんどって、ほこに白熱電球。なんちゅうすてきな喫煙所だ。いっぷくがおわって、いよいよふろ。あるっていっとったコインロッカーはないけど、まあいいか。ぬいだ服をいれるかごにかばんもいれて、ほのままふろにはいる。やっほーっ! ちいさないわぶろのすぐしたは宇連川。こだちのなかにとりのさえずりをききながら、したにけむりたつかわもをながめながらふろにはいるって最高だ。あさくたいらなかわぞこは、いわはだのかわぞこ。よういわがこんなにまったいらになるもんだっておどろく。泉質はナトリウムとかの塩化物泉。

ふろあがりにまた喫煙所でいっぷく。さて、かえるかっておもったとこで、喫煙所からふろとははんたいがわにあるへやのいりぐちにコインロッカーがあるのを発見。いや、こんなとこにあったのか。さらにへやのなかをのぞいてみると休憩所になっとる。ふろあがりにやすんでいけるようになっとるだ。りっぱな内装のへやで、つくえやいすとかりっぱな家具があって、まどぎわにすわって宇連川もみれるようになっとる。もちろん、ここでまたくつろいでいく。ところで本もいっぱいおいてある。なかに長篠のたたかいのことをかいたまんがの本があって、てにしてみる。長篠のたたかいってのは、戦国時代、織田、徳川連合軍が武田軍をうちやぶって、織田の天下を決定的にしたあのたたかいだ。よんでみる。さいしょは長篠城攻防戦だ。家康の将、奥平貞昌が城主の長篠城が武田軍の攻撃をうけて四苦八苦しとる。援軍はこんのか。貞昌の家来、鳥居強右衛門(とりいすねえもん)が家康の本拠地岡崎城につかわされて、織田軍3万、徳川軍8千の援軍がすぐにも長篠城にかけつけれる状況であることをかくにん。すぐにひきかえしてこのことをつたえにいくだけど、長篠城を包囲する武田軍にとらえられる。とらえたのは信玄のおとうと武田信廉(たけだのぶかど)で、いのちをたすけるかわりに、長篠城にむかって援軍はこんっていえっていわれる。承諾してしろのまえまでつれていかれて、さけんだことばは「あと2、3日で援軍がくるで、ほれまでもちこたえるように」。承諾したのはみせかけだった。ころされることを覚悟のうえで、みかたにほんとのことをつたえてはげましただ。うらぎりにおこった武田軍は強右衛門をすぐさまはりつけの刑にする。享年36才。覚悟のことだった。強右衛門の死をむだにするなってことで奥平軍はがんばる。織田、徳川連合軍もかけつけて、長篠城からにしに4キロのとこの設楽原(したらがはら)に武田軍をせん滅する。設楽原は、連吾川(れんごがわ)っていうおがわと、りょうがわの丘陵にはさまれたせばい平地だ。

いや~、長篠城攻防戦、おもしろいな~。いってみるか。湯谷温泉のえきからみっつもどったとこが長篠城のえきだ。時刻表をかくにん。12時17分の豊橋いきふつうがあって、ほのつぎが14時57分の豊橋いきふつう。いや、12時17分の豊橋いきふつうにのるしかないぞ。ひるごはんをたべれるっていうとこにむかう。さいしょに電話した泉山閣をすぎたとこではしをわたって対岸にいって、すぐひだりにあった。ゆーゆーありいなっていう施設だ。ふろにはいれたり、ごはんがたべれたり、ジムがあったりする施設で、ひがえりきゃくがたのしんでいけるとこだ。食堂にはいって、天ぷらうどんをたべて、速攻えきにひきかえす。いや、喫茶店の店主がいかしたおんなだって、どえらいうしろがみをひかれながらだった。

湯谷温泉12時17分の豊橋いきふつうにのる。いきにのってきた天竜峡いきふつうにおなじく2両編成の213系で、2とびら転換クロスシートの車内。先頭クモハ213-5006にのっていく。ここでのったのは、サラリーマン風のわかいおんなもふくめて数人。車内をまわってきた車掌さんから長篠城まで210円のきっぷをかう。ほかにもきっぷをかうひとがおおぜいおって、車掌さんはいそがしい。三河大野に停車。20人以上ものってきて、乗客は座席に5わりにふえる。のってきたのはおおかたがわかい外国人のおんな。なんだったのか。本長篠に停車。ふたりのってきただけで、すぐにしゅっぱつ。「豊橋いきです。つぎは長篠城です」の車内放送。12時29分、長篠城にとうちゃく。下車。車掌さんにきっぷをわたして、みぎかためんホームからおしろ風のちいさな駅舎をぬけて、えきまえひろばにでる。長篠城あとへの案内図もあって、これをかきうつしたうえで、集落のなかのみちをひだりにあるいていく。宇連川の右岸だ。ひだりからかわ、線路、みちの順に平行して西南方向にむかっとる。あるきはじめたとこで郵便配達員のバイクがやってきて、コンビニはないかたずねる。あるけど、みぎに国道151号線にでて、寒狭川をわたったむこうがわだっていうこたえ。いや、ほこまでいかんとないのか。断念してしばらく禁煙でいく。

2019.7.5 (4) 長篠城なわばり概図 1520-1200

しろあとらしいとこがみえてきた。まわりに2、3軒食堂もある。「4.糧庫あと」とか「2.弾正廓あと」とか「3.家老やしきあと」とかの、史跡をしめすコンクリートぐいもある。しろあとはみちのひだりがわにあって、くさはらになっとる本丸がいちばんおくにあって、ほりのあとがこっちがわにあって、ほりのへんにいくつかの史跡もあるだ。本丸のおくに飯田線がはしっとって、みえんけどほのむこうのしたに宇連川がながれとる。みぎむけして、本丸からましたに寒狭川のながれがみえる。すっごいしただ。いま、みちのがわからみただけじゃわからんけど、寒狭川と宇連川の合流地点の断崖のうえにあるのが長篠城なだ。このしろで城主奥平貞昌以下は武田軍の猛攻にたえただ。対岸から長篠城をみてみたいな。

本丸のいりぐちのとこまでもどって、歴代城主の説明かんばんをよんでみる。

1508年、今川氏親の武将としてここに築城。これより長篠菅沼氏ってよばれる。
1561年、今川義元死后、松平元康(=家康)に属する。
1571年、天野景貫、秋山信友にせめられて降参。武田信玄に属する。
1573年、武田信玄死去。徳川家康長篠城をうばいかえす。
1575年、奥平貞昌を城主に任命。武田軍がせめてきて、長篠のたたかいとなる。
1576年、長篠城とりこわし。新城へ移築。

100年にみたんしろの一生だけど、おもしろいな。さいしょは今川がただった。義元がなくなって徳川がたになる。信玄にせめられて武田がたになる。信玄がなくなって、徳川がたがうばいかえす。あっちについて、こっちについてっていう、弱者の悲哀だ。ところで、また武田軍がせめてきたとこを、徳川軍が織田軍の加勢をえて撃退するだ。ほの長篠のたたかいが1575年のことで、翌年廃城。武田軍の脅威も完全になくなったって判断してのことだったのか。

本丸とみちとのあいだに長篠城址史跡保存館ってのがあって、とおりいっぺんに展示品をみる。でるとこで、対岸から長篠城をみてみたいだけどみれるとこはあるかってきくと、あるっていう。地図も用意されとって、「国道151号線をにしにすすんで、寒狭川をわたったとこで、ひだりにまがってみなみにいって、またひだりにまがってひがしにずーっといって、飯田線をこえたとこではしがあって、ほのはしのうえからみれますよ」っておしえてくれる。めちゃめちゃとおまわりだけど、もちろんいくさ。

国道151号線にでてちょっとにしにすすんだとこで、みぎにこんたく長篠。豊鉄バスの企画旅行で田口線のあとをたずねるたびに参加したときに、バスでたちよったとこだ。いや、こっからほどちかいとこに長篠城があったのか。こんたく長篠で東京スイートバナナキャラメリゼバウムをみやげにかう。たばこはうってない。またにしにすすんで、長篠大橋で寒狭川をわたる。かわもははるかました。おそがっ! ここも湯谷温泉の旅館ひさごのとこの宇連川におなじく、あさくたいらなかわぞこはいわはだのかわぞこだ。わたったむこうがすぐに有海(あるみ)交差点で、ほの東北かどにファミリーマート。ここでたばことのみもんをかって、ふたたびしゅっぱつ。有海交差点をひだりにまがって、みなみにすすむ。新東名をくぐって左折。新東名ぞいにひがしにすすむ。新東名をはすにくぐって、飯田線の篠原ふみきり。ちょうど豊橋いきふつうがとおっていく。このふみきりのてまえに「ひだり、鳥居強右衛門はりつけの地」のかんばんがあるのをかくにん。篠原ふみきりをこえて牛渕橋(うしぶちばし)にとうちゃく。

2019.7.5 (5) 長篠城あと(寒狭川と宇連川の合流地点) 2000-1500

みえた。はしのうえから、ひだり寒狭川とみぎ宇連川の合流地点の断崖のうえに長篠城のあとがみえた。

2019.7.5 (6) 長篠城あと - 天竜峡いきふつう 1600-1200
2019.7.5 (7) 長篠城あと - 天竜峡いきふつう 1600-1200

ちょうどひだりから天竜峡いきふつうがやってきて、寒狭川をわたって長篠城にはいっていく。

ひきかえす。篠原ふみきりをきたにわたったとこでみぎにはいって、寒狭川をせにしてたつ「鳥居強右衛門磔死之趾(とりいすねえもんたくしのあと)」のいしぶみをおまいり。対岸は長篠城。ここではりつけにされただ。また、きたみちをひきかえすとちゅうでひだりにまがって、鳥居の集落にはいっていく。新昌寺によって、鳥居強右衛門のはかをおまいり。鳥居のえきからかえりの電車にのる。15時17分。


(さんこう)