牛川のわたし - 2019年8月むいか

2019.8.6 (11) 牛川のわたし 2000-1500

愛知県第二の都市にわたしぶねがある。ほれも都心からたいしたきょりもないとこに。豊橋は牛川(うしかわ)っていうとこにわたしぶねがあるってきいて、きのう2019年8月むいか、いってきた。

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2019.8.6 (1) ふるい - しんあんじょういきふつう 2000-1500

ふるい8時40分のしんあんじょういきふつうにのる。あっかい電車は6800系きんぎょばち。きんじょのひとも、おとうさんとおとこのこのふたりであそびにいくとこだった。あんじょう平野をきたにすすんで、8時48分、しんあんじょうは1番のりばにとうちゃく。下車。

2019.8.6 (3) しんあんじょう - 豊橋いき特急 1600-1200

5番のりばに移動。しんあんじょう8時58分の豊橋いき特急にのる。パノラマスーパーは特別車2号車6Dにすわっていく。西三河平野をひがしにすすんで、分水界をこえて東三河平野におりていく。

2019.8.6 (4) 豊橋いき特急 - とよがわをわたる 1600-1200

すっかり平野がひらけたとこで、とよがわをわたる。これからこのかわをわたしぶねでわたりにいくだ。9時26分、豊橋にとうちゃく。下車。

2019.8.6 (5) 駅前大通停留場 - 赤岩口いき 2000-1500

かいさつをでて、えきまえおおどおりをちょこっとひがしにあるいたとこで、ちょうど駅前大通停留場に9時39分の赤岩口(あかいわぐち)いきがやってきて、のる。車内、たちきゃくはないけどほぼ満席。ひがしにすすんで、新川(しんかわ)停留場に停車。すぐに新川交差点を左折。きたにすすんで、札木(ふだぎ)停留場に停車。西八町(にしはっちょう)交差点を右折。国道1号線をひがしにはいったとこで、すぐに市役所前停留場にとうちゃく。下車。電車どおりからはなれてきたにあるいたとこに豊橋公園のいりぐちがあって、ほのままなかにはいっていく。この公園にはいるのははじめてだ。すぐにしに豊橋市役所のしきちにつながっとって、公園はななめにかすめてとおっただけで、市役所のたてもんにはいる。豊橋市役所にはいるのもはじめてだ。はいってすぐのうけつけで牛川のわたしのばしょをきく。しっかりしらべてきてなかっただ。うけつけのおんなのひとがかかりのおんなのひとにとりついでくれて、ほのひとがうちだした地図をもってきて説明してくれる。「豊橋公園のみなみのみちをひがしにすすんで、ファミリーマートのとこでつきあたって左折。ずーっといって、豊橋創造大学をすぎたとこでみちばたに『牛川のわたしいりぐち』のちゃいろいみちしるべがたっとって、ほこを左折していったとこにある」とのこと。

お礼をいって、豊橋公園のにしがわ部分をきたにぬける。おしえてもらった経路とはちょっとかえた。

2019.8.6 (6) 吉田城のいしがきととよがわ 1600-1200

吉田城鉄櫓のひだりからうらがわにでるっていうとこで、とよがわがあらわれる。いっつも電車でとよがわをわたるとこにみえる吉田城がこの鉄櫓なだ。いま、ヰキペディアをみてみると、この鉄櫓が天守のやくわりをはたしとったらしいってかいてある。

2019.8.6 (7) 吉田城のうらからとよがわをみる 2000-1500

かわはひだりが下流、みぎが上流だけど、上流はこっからひだりにほぼ直角にまがっていく。ほかにみぎにまっすぐすすむちいさなかわがある。ひがしにすすんだとこで、ちいさなかわにはしがかかっとる。かわのなまえは朝倉川で、はしのなまえは城下橋だった。まんだ公園のなかだ。このはしをむこうがわにこえてもいけそうなきがしたけど、おもしろそうじゃなくてやめる。公園のまんなかにもどりながらひがしにすすむ。みぎに豊橋球場や豊橋市陸上競技場。ひがしにぬけて住宅街のなかをすすむ。餌指(えさし)交差点を左折。下条街道(げじょうかいどう)をきたにはいっていく。街道のみぎにそって用水がながれとる。むこうがわからこっちがわにむかってのながれだ。かえりにきづいたことだけど、道路が用水を半分ぐらいおおうようなかたちになっとる。左右は市街地。ひだりはみせもいくつかある。しばらくすすんで、境橋で朝倉川をわたる。さっき城下橋でわたらんかった朝倉川だ。境橋をわたると左右の土地がひくくなって、下条街道と用水だけがたかいとこをいくかたちになる。ひだりしたはたんぼで、みぎしたは住宅街。道路と用水は完全に分離。しばらくすすんで、左右の土地もたかくなって、左右とも市街地になる。坂上橋交差点まできたとこで、とおくに豊橋創造大学がみえてくる。あっこまでいきゃあいいだ。若宮橋交差点をすぎると、みちがみぎに屈折して進行方向が東北方向にかわる。みぎは住宅街でひだりに豊橋創造大学があらわれる。正門もすぎて豊橋創造大学のしきちがおわるとこで、ひだりみちばたに「牛川のわたしいりぐち」のちゃいろいみちしるべを発見。きいとったとおりだ。

2019.8.6 (8) とよがわ - 牛川のわたし 2000-1500

みちしるべを鋭角に左折してすぐにとよがわの堤防にでる。下流にふねがみえる。あそこが牛川のわたしにちがいない。豊橋創造大学のたてもんをひだりにみて、堤防道路をにしにあるいていく。たてもんもすぎたとこで牛川のわたしにとうちゃく。堤防のうえのこやにおったおじさんとめがあって、でてきてくれる。船頭さんだ。むこうぎしにわたって、どっかあるいていけるかきいたら、とくにみどころはなくて、またひだりにぐるーってまわって、豊橋市役所のほうにもどってくるしかないとのこと。往復乗船をおねがいする。時刻表なんかはなくて、おきゃくさんがきたらふねをだしてくれるだ。ただわたしぶねにのりにきたひとにいやなかおをすることもない。いや、ただわたしぶねにのりにくるだけのひとが9わりだっていう。

2019.8.6 (9) 牛川のわたし 2000-1500

ふねをきしにつけてもらって、のりこむ。しろとあおの席であわせて10席あるだけど、しろの席にすわったほうがあっつくなくていいっていう。ほのとおりしろの席にすわっただけど、あおの席にてをおいてみたらあっついこと、あっついこと。いろによってこんなに太陽熱の吸収がちがうことにおどろく。10席しかないのにゆかがひろくとってあるとのことで、これは人間だけじゃなくて自転車やリヤカーなんかものせれるようにしてあるためとのこと。むかしはやさいをつんだリヤカーなんかもはこんだらしい。

2019.8.6 (10) 牛川のわたし 2000-1500

かわもにこぎだしたとこで、かわかみ正面にげじげじやま。石巻山(いしまきさん)かってきいたらほのとおりだった。まえに水上ビルにあるヒグラシ珈琲っていうみせにはいって、ほこの美人ママさんがおしえてくれたやまだ。とくちょうてきなやまでおぼえとった。船頭さんによると、石巻山はたびびとのめじるしになっとるとのこと。これをめじるしに姫街道にでて静岡方面にいけるとのこと。姫街道東海道の迂回路だ。ほいから、ずーっとひだりのほうにある本宮山(ほんぐうさん)もめじるしになっとるとのことで、本宮山と石巻山のあいだをいくと新城方面にいけるとのこと。

2019.8.6 (11) 牛川のわたし 2000-1500

ふねはゆっくりゆっくりすすむ。かわぞこはあさくて、船頭さんがたけざおをさしてふねをおしていくだ。容赦ないひざしのもと、かわもをふきぬけるかぜがきもちいい。みどりのおおいかわべののどかなけしきもいい。船頭さんがいろいろはなしをしてくれる。下流の吉田大橋と上流の下条橋(げじょうばし)のあいだにこの牛川のわたしがあるだけど、ふたつのはしのきょりは4キロもあること。むこうぎしは川北(かわきた)地区っていうなまえだっていうこと。文字どおりだ。川北地区のむこうはとよがわ放水路で、ふたつのかわにはさまれて川北地区は輪中をなしとること。川北地区のなかだけでコミュニティーバスがはしっとって、ほのコミュニティーバス主催のバスハイクできょうこの牛川のわたしに団体客がくること。むかしはとよがわにはいっぱいわたしがあったこと。なかでも姫街道のとおる当古(とうご)のわたしが重要だったこと。江戸時代、大地震がおこって東海道も新居の関なんかがつなみでやられちゃってとおれんくなっただけど、家康が迂回路の姫街道をとおっていくときは、ほかのわたしからもみんな当古のわたしまで応援にいったこと。いま、牛川のわたしは道路管理の一環にあること。あくまで道路交通とつながっとってこそのわたしだってことで、ほうなっとるだな。自転車通学につかっとるおんなのこがひとりおること。はしまでおおまわりしていくと45分もかかるだけど、わたしぶねだと数分でいっちゃうとのこと。ここにカヌーをやりにくるひともおおいこと。たしかに、堤防をあるいてくるとこで、カヌーをやねにのせたクルマとすれちがったし、このおだやかなながれはカヌーをやるのに最適にちがいない。

2019.8.6 (12) 牛川のわたし 2000-1500

つりびとのおるむこうぎしにとうちゃく。ふねをおりる。つりびとにえんりょして、船頭さんをよぶ用の3連のかねをそーっとたたいて、またふねにのる。3連のかねはガードレール柱のあたまをきって、てづくりしたもんだとのこと。ちなみに、のったほうのきしには、かねじゃなくていたがおいてある。いたをたたいて船頭さんをよぶだ。また、ゆっくりゆっくりすすんでもとにもどって、牛川のわたしのたびをおえる。


(さんこう)