2019年11月13日、牛田(うしだ)から東海道にはいって知立宿(ちりゅうじゅく)まであるいてきた。なお、「ちりゅう」の表記については、江戸時代につかわれた「池鯉鮒」じゃなくて、もともとつかわれとっていまもつかわれとる「知立」を採用した。
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名古屋方面いきのふつう電車を牛田のえきでおりる。おりたホームをうしろ豊橋よりにはしっこまであるいて、ほのままゆるやかに地面におりて、つきあたりになったとこををみぎにおりかえして、かいさつをでる。名鉄名古屋本線の線路のみなみがわに、にしむきにでたかたちだ。ほのままちょこっとすすむと地下道のいりぐちがあって、階段をおりていく。階段をおりきって地下道をみぎにまがっていって、線路のしたをみなみからきたにくぐる。くぐりきってほのままのむきで階段をあがって、線路のきたがわにでる。でたとこをみぎにまがっていくと豊橋方面ホームのかいさつにいけるだけど、直進。ひだりがわにちいさなえきまえロータリーがあるのをかくにん。牛田でおりるのはこれが2回めで、まえのときは線路からみなみがわをあるいただけだけど、みなみがわにはこんなロータリーはない。きたがわがえきのおもてになるだ。知立市ミニバスの牛田駅バス停もある。1日9便。
えきからすぐの牛田交差点で、国道1号線をきたにわたる。横断歩道はなくて、地下道でわたらにゃいかんのがざんねんだ。国道1号線も、このあとあるく東海道も、名鉄名古屋本線に平行して東西にのびる。わたったむこうがわの左右にみせ。すすんで、みぎに富士病院。知立市ミニバスの富士病院バス停もある、おおきな病院だ。ひだり、はすむかいにタブチ住設機工KK。ほかは左右住宅街。T字に東海道につきあたって、左折。いやいや、住宅街なのにクルマのとおりのおおいこと。東海道をいきかうクルマもおおいし、T字交差点を右折左折するクルマもおおい。クルマがおおいのに信号がなくて、いつまでたっても右折できんくて、あきらめて左折していくクルマもあるぐらいだ。
このT字交差点のとこが牛田のまちのにしのはずれってかんじのとこで、こっから東海道をにしにすすむ。ふりかえってひがしをみると、東海道のふぜいをかんじる。にしにすすんで、左右は住宅街。みぎの電柱に、東海道っていう文字と左右やじるしのはいったかみがまきつけてあるのをかくにん。知立市観光協会ともかいてあるだけど、このみちが東海道にまちがいないよってことがわかる。この電柱のうらにあったお地蔵さんにおまいり。交通事故の犠牲者をとむらうためのもんって推測。ここで、リュックをしょって東海道53次の本をてにもってあるいていくおんなのひとにおいぬかれる。
牛田のまちもはずれのはずれになって、めのまえに高架の衣浦豊田道路がたちはだかったとこで、明治用水にかかる西井筋橋(にしいすじばし)をわたる。いや、用水は地中化されとって、はしだったとこをわたるっていうべきか。コンクリートづくりの欄干だけがのこっとって、ひがしづめにいしぶみがたっとる。よんでみると、「こっからきたに八橋(やつはし)の無量寿寺(むりょうじゅじ)にいける」ってかいてある。在原業平がかきつばたをうたったあの八橋だ。「在原業平の観音がある」ともかいてあるだけど、観音ってしらん。
新田北交差点で、高架の衣浦豊田道路のしたの道路をよこぎる。横断歩道はなくて、陸橋でわたらにゃいかんのがざんねんだ。
陸橋をわたったむこうからまつなみきがのびる。いかにも東海道なまつなみきだけど、左右は工場地帯。りょうがわのまつなみきには歩道がついとって、ひろいほうのひだりがわの歩道をいく。さいしょに、みちしるべのいしぶみ。みなみ面に「旧道街道39番めの宿池鯉鮒」、ひがし面に「江戸日本橋84里17町」、にし面に「京都三条41里」、きた面に「贈、社団法人知立青年会議所、1995年6月24日」ってかいてある。日本橋から84里17町っていうと、338キロぐらいか。歩道にはビオトープになっとるとこがあったり、造形美術品がところどころにおいてあったり、いろんなことの説明がきのかんばんがたっとったりするだけど、知立宿の説明がきにこんなことがかいてある。池鯉鮒宿がおおいににぎわったこと。池鯉鮒大明神(知立神社)がおおくの信仰をあつめとったこと。うまいちや木綿いちがあったこと。といやばや本陣、はたごがあったこと。
あるていくとちゅうで、みぎがわ、工場のあいだからみどりいろのミニバスがでてくるのをかくにん。
造形美術品のひとつにかきつばたひめの像。永井はな子さん作。おもしろいな。
国道1号線とななめに交差する御林(おはやし)交差点まですすんで、まつなみきがつきる。いったんみぎがわの歩道にわたったとこで、お地蔵さんを発見しておまいり。「交通安全、福寿無量、奉祈願」ってかいてある。ここもやっぱり交通事故がおおいにちがいない。すすんで、イズモ葬祭のまえから、地下道にもぐる。横断歩道がなくて、地下道にもぐっていかんと東海道をすすんでいけんだ。ざんねんなことだ。
地下道のでぐちはふたつ。県道51号線につながる道路にでるでぐちがとちゅうにあるけどみおくり。さいごまでいったとこのでぐちをでて東海道にでる。でたとこに、みちしるべのいしぶみ。ひがし面とにし面に「東海道池鯉鮒宿」ってかいてあって、きた面に「鳴海みぎ、ひだり岡崎」ってかいてある。
みちしるべのとこから東海道をにしにすすむ。左右は住宅街。ひだりに小塩歯科医院がひとつ。また、すすんで、ひだりにいざかやがひとつ。
すすんで、三河線のふみきりをわたる。三河線は、こっからひだりに三河知立駅、知立駅につながる。ちなみに三河知立駅は、知立駅高架工事によってこのばしょからは消滅することになる。また、三河線は、このふみきりのすぐみぎがわで県道51号線をくぐる。知立駅からつづいてくる高架はこのふみきりのあたりで地平におりるはずだ。ふみきりむこうがわみぎの住宅のとこで、補償調査をしとる業者を発見。この部分の線路は高架にはならんけど、線路の布設がえかなんかの関係でこの住宅が支障になるのか。
ふみきりからちょこっといって、ひだりK字交差点。ひだり鋭角方向のみちから左折して、東海道をにしにはいっていくクルマがいっぱいある。ひだり鈍角方向のみちは、三河線と平行して三河知立駅のえきまえにつながる。みぎに知立市消防団第1分団つめしょのたてもん。また、すすんで、左右住宅街のなか、みぎに愛知県知立土木事務所が管轄する知立水防倉庫のみずいろのたてもん。
知立水防倉庫をすぎて、ほれまでの住宅街から急にまちのふんいきにかわる。左右にみせ。すすんで、みぎT字交差点を直進。この交差点を右折するとすぐに国道51号線の山町(やままち)交差点になるだけど、東海道から右折して山町交差点のほうにいくクルマがいっぱいある。ほれから、ひだりからこの交差点につながってくる道路があたらしくできつつあるのをかくにん。T字交差点から十字路にかわるわけだけど、知立駅高架工事にあわせてやっとる区画整理事業の一環として、このあたらしい道路をつくっとるもんって推測する。
すすんで、みせがへって、左右がまた住宅街になるなかで、ひだりに1軒ふるい住宅。すすんで、ひだりにお料理、しだし、会席の魚茂本店。大根切干大和屋の買入所。いや、うっとるじゃなくて、かいいれるのか。きりぼしだいこんは、知立市のとなり刈谷市北部の名産品なだけど、ほれをこのみせでかいいれとるのか。すすんで、左右はまた住宅街。みぎに、2階が土蔵になっとるふるいうちもある。
すすんで、ひだりT字交差点のとこから、また、にぎやかになる。交差点てまえひだりがわに常夜灯。むこうがわひだりに学生衣料のかどや。ちなみにあとで地図をみてみたら、このT字交差点からひだりにいくみちが三河知立駅につきあたるみちだった。
すすんで、ひだりに木造かわらぶき総2階の2連たてもん。てまえのたてもんはいりぐち部分が改装されて、ビューティーサロン Daiman っていうみせになっとる。
すすんで、県道51号線と合流。国道1号線とも交差する御林交差点のとこからふたまたになってわかれた、東海道と県道51号線がここでまた合流しただ。
合流してすぐに中町(なかまち)交差点。
なまえのとおり、まちの中心ってかんじの交差点で、東南かどの八百勘とか西南かどのゑびすやとほのとなりの香味園茶舗山城屋とか、むかしながらのおおだなってかんじのみせもある。
さて、中町交差点からみぎ45度の方向にあるみちにはいっていく。にしにのびる県道51号線ときたにのびるみちとの中間のみちが、東海道なだ。電柱にも、東海道っていう文字と左右やじるしのはいったかみがまきつけてあるで、まちがいない。いや、知立市はわがあんじょうしのとなりの市で、なんべんもきとる市なだけど、このみちはしらんかった。東海道はこんなとこをとおっていっとっただ。
みぎにゆみなっていくみちの左右にみせがたちならぶ。むこうに、ひだりのホテルクラウンパレス知立とみぎのリリオコンサートホールをつなぐ空中歩道がみえる。ふたつのたてもんをつなぐ空中歩道が、東海道のうえをよこぎっとるだ。
すすんで、みぎにコーヒーのみせ茶煎房(ちゃせんぼ)があって、ほの駐車場のおく、みちから土地がさがっていったとこにふるい土蔵を発見。このへんが問屋場(といやば)あとか。
東海道にもどって、茶煎房のにしどなりの駐車場みぎわきに池鯉鮒宿問屋場あとのいしぶみを発見。駐車場のおくに食品館美松があって、ほのうしろに高層マンションがたっとる。いしぶみは、ひがし面に「設立は1601年、しきちは135つぼ(445平方メートル)、まぐち15メートル、最終建築1857年、1971年とりこわし」、きた面に「1972年3月知立市文化財保護委員会」ってかいてある。1971年にとりこわしたって、まんださいきんまでたてもんがのこっとっただ。
ホテルクラウンパレス知立2階の和食処祭でひるごはん。注文したのはかきフライ御膳。かきフライもちゃわんむしも、ほっくほくでうまい。こいみそしるもうれしくて、おかわり。
ホテル西北の信号交差点で南北のクルマどおりをよこぎって、また、にしにすすむ。クルマどおりはひだりに、知立駅北交差点、知立駅前交差点っていって、知立駅につながるみちだ。
ひだりにみせがつづく。さいしょに池鯉鮒銘菓都築屋美広。木造かわらぶき2階だての、いかにもなつくりの商家だ。つづいて、知立本町郵便局。さっきは中町だって、ここは本町。ここもふるくからのまちの中心なだ。さらに神谷眼科、シャッターのしまった清水屋、村瀬商店。みぎに神谷自転車店。ほっからは左右住宅街。
すすんで、東海道をはずれてみぎにはいってみると、おもむきのあるたてもんのならぶくだりざか。
東海道にもどって、また、にしにすすみかけたとこで、みぎに料亭岐阜屋。門と塀があるだけど、ほのたたずまいのしぶいこと。門も塀もかわらやねがついとって、門の部分だけたかくなっとる。門と塀のうえをまつのえだがおおっとる。塀は、こしからしたがくろいいたでおおってあって、うえのほうは、しろぬりの土蔵かべに連続してしかくいあながあいとって、それぞれにくろいかざりいたがはめこんである。門のすぐなかにクルマがなんだいかとまっとって、ほのおくに土蔵風のたてもん。BMW もとまっとる。もどって、くだりざかをおりてきたがわにまわって、日本料理花扇のとこから岐阜屋をみてみると、斜面にふるいたてもんがいっぱいたっとるのがわかる。またまた東海道にもどったとこで、みせから BMW がでていくのをかくにん。
にしにすすんで、ひだりにほた金物店。つづいて、本町公民館と本町山車蔵(ほんまちだしぐら)。いや、だしぐら、でっかいな。知立に5台あるだしのひとつがここにあるだ。知立のだしは、ほのうえでからくりや文楽の上演もあるっていうめずらしいもんだ。まいとし5月みっかに知立神社でおこなわれる知立まつりに5台のだしがでるっていう。みにいかにゃいかんな。
だしぐらのへんから、左右は高層マンションやアパートがおおくなる。ところで、そろそろあるはずの本陣あとがない。
ひきかえして都築屋美広のむかいがわにある東海道の案内看板をようみてみると、本陣あとは東海道からみなみにはずれたとこにあるみたいだ。みなみに知立駅北交差点までいって、右折。県道51号線をにしにすすんだとこで、みぎがわに知立宿本陣あとのいしぶみを発見。いやいや、こんなとこにあったとは。説明がきのかんばんをよんで、しきち3,000つぼもあった知立宿本陣が1875年にとりこわされたことをしる。みとるうちにおじさんがやってきて、こえをかけてくれる。往時の本陣のひろさをしっとるみたいで、ちゃんと東海道に面してあったことをおしえてくれる。おじさんも、いしぶみは東海道に面したとこにたてとかにゃいかんっていう意見だ。いしぶみのおくのたかいとこには、明治天皇行在所聖蹟のいしぶみ。明治になって早々の1868年に明治天皇がここをおとずれたみたいだ。もちろん、まんだ鉄道はないときのことだ。
本町山車蔵のとこまでもどって、にしにすすんで、すぐにT字にあたる。
T字交差点のかどに、みちしるべのいしぶみ。ひがし面に「鳴海みぎ」、きた面に「ひだり岡崎」ってかいてある。東海道がここでみぎにまがるだ。
みぎにまがって、つきあたりにおてらをみながらきたにすすむ。みぎにカネ幸商店。
ひだりに知立古城址。いやいや、知立におしろなんてあったのか。説明がきのかんばんをよんでみると、「知立古城は桶狭間のたたかいで落城し、江戸時代のはじめには将軍の休憩用の御殿になっとった」ってかいてある。東海道に面して設置してある往時のえちずもおもしろい。
すすんで、ひだりに恵比寿屋陶器店、みぎに細川こんにゃく店。
みせがあいとる恵比寿屋陶器店のほうにはいってみる。さいしょ、むかしの商家を改装して商売をはじめたみせなのかっておもったら、いやいや、むかしながらに商売をつづけとる陶器店だ。
いきなりおどろいたのが土間。「つちのま」ってかいて土間(どま)っていうとおりの土間だ。コンクリートがうってあるわけでもない、石板がひいてあるわけでもない、ほんもんの土間だ。いいな、この独特のつちのかおり。わがやもむかしはこうだった。むかしながらのたてぐに、むかしながらのはしら、むかしながらのはりや天井、はしらどけい。どれもこれもすてきなだけど、ほんなことさえどうでもいいぐらい、この土間はすてきだ。ここにしばらくねそべっとりたいぐらいだ。
「ただ、この土間がでこぼこになってきちゃっただけど、いまはこれをなおす職人さんがおらんくてこまっとる」って店主のおばあさんがいう。いや~、この土間、なくなってほしくないな~。さて、ちゃわんやさらがいっぱいならべてあるなかで、おくのほうにすてきなはいざらを発見。「これ、いい!」っていうと、作家さんがためしにつくったやつで非売品とのこと。ほかのもんをみせてもらったなかで、たぬきがはいざらをかかえとるかたちのはいざらをかいもとめる。1,200円。また、店主のおばあさんとはなしをするなかで、「しゅくばまちをあるいたりしてブログもかいとるだよ」っていうと、先客のおんなのひとが「わたしもブログよみたいです」っていってくれる。土間にであえたこととならんで、うれしかった。
つきあたりの了運寺をひだりにまがって、にしにすすむ。みぎT字のむこうに小松屋本家。かどに常夜灯があって、みなみ面にあっかいポストもある。おー、ここがあんまきの元祖として有名な小松屋か。ところがどういうわけか「銃砲」のかんばんもべつにでとって、おそるおそるみせにはいってみる。いや、あんまきをうっとるほかに、銃砲もうっとるだった。みやげにあんまきを3本かう。やきあがるのをまって、もらっていく。藤田屋みたいな大量生産はむりみたいだ。
さかをくだって国道155号線にあたる。ここも横断歩道はなくて、地下道をくぐっていく。ざんねんなことだ。
左右住宅街のなか、みぎに1軒 HAIR SALON 床彦(とこひこ)っていうとこやさん。1896年創業ってかいてあるけど、みせのたてもんは近代的なたてもんだ。とちゅう、みぎに知立神社にはいっていくみちがあるのをかくにん。
ずーっとすすんで、ひだりに総持寺。うえにかねつきどうののった中国風の山門をはいって、本堂におまいり。わきのみずこ地蔵にもおまいり。ほのよこに洗心水琴窟があって、指示がきにしたがってつづけて7杯みずをかけて、ほのおとをきく。総持寺のとなりに知立保育園。左右はアパートがおおくなる。
がっちりしたしかくいコンクリート護岸の、でっかい排水溝みたいなかわをわたって、みちはひだりにゆみなっていく。
逢妻川(あいづまがわ)にかかる逢妻橋のたもとにでたとこで、知立宿をあるくたびをおえる。
(さんこう)
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- 【地名の由来15】「知立」が「池鯉鮒」とかかれたのはなぜ?|達人にきけ!|中日新聞プラス(ノンフィクション作家谷川彰英さん)|2012/10/4
- 「知立」と書いて「ちりゅう」と読めと言われれば、「なるほど」と納得するのですが、それにしても珍しい地名ですね。関東では「ちりゅう」と「ち」にアクセントを置いて読んでしまうのですが、愛知ではもちろん「ちりゅう」と「りゅう」にアクセントを置いて発音します。
- この地は古代から「知立」「智立」と表記され、そのルーツはこの地に鎮座する知立神社にあることは事実のようです。由来に関しては諸説ありますが、いちばん信憑性の高い説は、知立神社の御祭神とされる「伊知理生命」(いちりゅうのみこと)の「知理生」(ちりゅう)に由来するというものです。ただし現在祀られている神様の中には「伊知理生命」はなく、この神様は謎に包まれております。
- この「知立」はなぜか鎌倉期以降になると「智鯉鮒」と書かれることになり、江戸時代になると「池鯉鮒」が一般的になります。東海道の宿場としては岡崎宿(三十八次)に次いで池鯉鮒(知立)宿が三十九次でした。
- 神様に由来する「知立」がなぜ「池鯉鮒」つまり「池の鯉や鮒」に変わってしまったのでしょう。それは昔の人々のユーモラスな遊び心によるものといえるでしょう。今の知立神社に行ってみればわかることですが、土地の低い所に神様は鎮座されております。いわばここに池があって昔は鯉や鮒の産地であったということです。
- きっとこの地でとれる鯉や鮒は美味で、旅人があの宿に入れば美味しい川魚が食べられるという思いで池鯉鮒宿を目指したに違いありません。現代でも旅の楽しみは現地の美味しいものを食べることに尽きると言ってもいいからです。
- 東京の上野の北に「日暮里」という街があります。戦国時代に開発された時は「新堀」(にいほり)、つまり「新しい堀」だったのですが、江戸時代の後期には「日暮里」と書かれるようになり、誰いうともなく「日暮らしの里」と呼ばれるようになっていったのです。これは江戸文人の高貴な遊び心によるものでした。
- この「知立」にも同じことが言えます。知立神社近くの池で獲れる鯉や鮒を食べるのを楽しみに必死に歩き続ける昔の旅人の姿が目に見えるようです!「日暮らしの里」が絵になるように、この知立も立派な絵になっておるのです。知立には昔からそのような文人墨客が行き交っておったのでしょう。
- 医療法人深谷会富士病院 - 脳神経外科,内科,外科,整形外科,消化器外科,消化器内科,小児科,小児外科,形成外科,神経内科,精神科,リハビリテーション科,泌尿器科脳ドック,知立市,胃,脳
- 知立宿からかえる - 2019年11月13日 - おぼえがき(ゆめてつどう)|2019/11/26 〔ついか〕
- 東海道がない! - おぼえがき(ゆめてつどう)|2022/02/28 〔ついか〕