たちなおれ! 信楽高原鉄道 (あんみつ)

きのう 5月 14日は、信楽(しがらき)高原鉄道事故が おこった ひだった。

【事故の 概要】
1991年 5月 14か、信楽発 貴生川(きぶかわ)いきの ふつう列車と、京都発 信楽いきの JR西日本直通 快速列車「 世界陶芸祭 しがらき号」が 正面衝突し、42名が 死亡。
信楽高原鉄道 路線図
信楽高原鉄道 路線図

信楽高原鉄道は 路線長 14.7km、単線非電化の 三セク鉄道だが、当時は 中間地点での すれちがいを ともなう、1日 26往復の 列車が 運行されとった。わが 碧海古井駅の 1日 40本には およばんが、山間部の 鉄道と しては 善戦しとった。


ところが、信楽高原鉄道が 信号無視を して 列車を 発車させた ことが 直接の 事故原因と なった ため、以来、すれちがい運行は 禁止と なり、運行本数が 1日 14往復に 制限されとる。


犠牲者の ご冥福を おいのりすると ともに、信楽高原鉄道の たちなおりを のぞむ。




(さんこう)



(2009年 5月 16日 追記)


事故から 18年 たっても まだ 紛争は つづいとる ようだ。


この 事故の 補償金を めぐっては、すでに 信楽高原鉄道が 約 25億円、JR西日本が 約 30億円を 負担した。しかし、JR西日本は 昨年 6月、「事故の 責任割合は JR西日本が 1、信楽高原鉄道が 9。補償金は 信楽高原鉄道と 出資者の 滋賀県、甲賀市が 9わりを 負担すべき」と し、信楽高原鉄道 などを あいてに、JR西日本が 負担した 補償金の うち 約 25億円を しはらう よう もとめて 提訴した。

  • 信楽高原鉄道事故:発生から18年 癒やされぬ心 /滋賀 - 毎日jp(毎日新聞)|2009年5月15日



(2011年 4月 27日 追記)


信楽高原鉄道 (しがらきこうげんてつどう)で 1991年 5月に おきた 列車 衝突 事故で、信楽高原鉄道JR西日本の 責任の わりあいが あらそわれた 訴訟の 判決が 4月 27日、大阪 地裁で あった。


遺族 がわへの 補償金の 5わり 強に あたる 約 31億円を 負担した 原告の JR西日本は 「あか 信号で 列車を 発車させた 信楽高原鉄道の 責任が 9わりで、JR西日本の 責任は 1わり分の 約 5億円だ」と 主張し、信楽高原鉄道 がわに 約 25億 3千万円の しはらいを もとめとった。


これに たいし、田中敦 裁判長は 「JR西日本の 責任は 3わり」と 判断し、信楽高原鉄道に 約 11億 1,400万円の しはらいを めいじた。被告の 滋賀県と 甲賀市への 請求は 棄却した。


この 事故を めぐっては、業務上 過失 致死傷 罪などに とわれた 信楽高原鉄道の もと 運転 主任らを 有罪と した 2000年 3月の 大津 地裁 判決や 遺族への 損害 賠償を めいじた 民事 訴訟の 判決が JR西日本の 安全 対策の 不備を みとめたけど、責任の わりあいに ついて 司法が 判断を しめすのは はじめて。



(おりじなる)