山形鉄道、開業 100周年!

まずは 山形県の 説明。おおきく よっつの 地域に わかれる。ひとつが にほんかいに 面する 庄内 平野 (しょうない へいや)で、酒田市鶴岡市が ある。あとの みっつは、河口部の 酒田市から 最上川 (もがみがわ)を さかのぼって いく ごとに ひらける 盆地だ。下流から 上流に むかって、きたから みなみに、新庄 盆地 (しんじょう ぼんち)、山形 盆地、米沢 盆地 (よねざわ ぼんち)の 順に ならぶ。

山形県の よっつの 地方と 山形鉄道 フラワー長井線 (あきひこ)
△ 山形県の よっつの 地方と 山形鉄道 フラワー長井線 (あきひこ)

山形鉄道は この よっつの 地域の うち、いちばん みなみの 米沢 盆地の きたの ほうを はしる。路線の なまえを フラワー長井線 (ふらわーながいせん)って いって、東京から 311.2キロの 山形新幹線 赤湯 (あかゆ)を 起点と する。東海道新幹線で 東京から わが 三河安城 (みかわあんじょう)までが 312.8キロだで、ほぼ おんなじ きょりに なる。ちなみに 東京-山形間 342.2キロは 東京-名古屋間 342.0キロと ほぼ おんなじだ。

山形鉄道 フラワー長井線 路線図
△ 山形鉄道 フラワー長井線 路線図

はなしを もどす。山形鉄道 フラワー長井線は 赤湯を 起点に、宮内 (みやうち)、今泉 (いまいずみ)、長井と 経由して 終点の 荒砥 (あらと)に いたる、全長 30.5キロ、単線、非電化の 路線だ。もともとは 国鉄の 路線だった ものを、1988年に 三セクの 山形鉄道が ひきついだ。2009年には もと 読売旅行 山形営業所長の 野村浩志さんが 公募 社長と して 就任。以後、企画 列車を はしらせるなど、いろんな アイデアを だして 集客に つとめる。

【山形鉄道の 集客 作戦】

  • 無人化に なっとった 宮内駅を まあ いっかい 有人化して、うさぎの 駅長を おく。
  • 緊急 雇用 創出 事業を 活用して、鉄道 ずきの 社員を よにん つかう。
  • NHKの 「天地人」が 放送されて、米沢 盆地の 知名度が たかくなった 台湾からの 観光客を よびこむ。
  • フィンランドから サンタクロースを まねいて 「サンタ 特急」を はしらせる。

こんなに がんばっとる 山形鉄道だけど、まだまだ 経営は くるしいらしい。

【2013年 10月 18日の よみうりの 記事から】 

  • 南陽市 (なんようし)、川西町 (かわにしまち)、長井市 (ながいし)、白鷹町 (しらたかまち)を むすぶ 山形鉄道の フラワー長井線が 2013年 10月 25日 (※ ウィキペディアでは 26日)、開業 100周年を むかえる。国鉄 民営化に ともない、バス 輸送への 転換を もとめられた あかじ 路線だけど、山形県や 沿線 自治体が 出資し、地域の あしと して 高校生らの 通学を ささえとる。だけど、マイカーの 普及などで 乗客数は 低迷し、あかじ 体質からの 脱却は はたせとらん。
  • 「国鉄 時代は 1日 数千人が おとずれ、まちは おおにぎわいだった」。宮内駅前商店会の 高橋節行 会長 64才は 往時を なつかしむ。宮内駅は 「日本三熊野」の ひとつと して しられる 熊野大社の もより駅。農閑期の 1月 上旬から 3月 上旬は、臨時 列車で 新潟県や 福島県などから 参拝客が おしよせた。高橋節行 会長は 「ほの 時期の うりあげ だけで、1年間 くらせた ほど」って はなす。
  • もと 長井市 職員で、長井駅 構内で 展示 スペースを 運営する 市民 団体 「ギャラリー停車場の会」の 小口昭 会長 82才も、「昭和の ころは 自家用車が すくなく、サラリーマンの おおくは 電車 通勤 (※ 列車 通勤の あやまり。フラワー長井線は 非電化)。まいあさ 列車が 到着すると、駅から ちかくの 工場や 高校まで ながい ひとの 列が できた」って ふりかえる。
  • しかし、マイカーの 普及などで 鉄道 ばなれが すすみ、国鉄は 1986年、長井線を 廃止 路線と した。山形県や 沿線の 2市 2町などの 支援で 存続が きまり、1988年に 三セクと して 再出発したけど、年間 乗客数は、1990年度の 144万人を ピークに、去年度は 70万人と 半分にまで へった。
  • 2009年に もと 読売旅行 山形営業所長の 野村浩志氏 45才が 公募 社長と して 就任してからは、「芋煮会列車」、「方言ガイド」などを つぎつぎと 企画。宮内駅に うさぎの 駅長 「もっちぃ」を たんじょうさせ、写真集も 発売するなど、収益 増に むけた とりくみが つづく。ただ、定期券 販売を 中心と した 収入は 低迷、補助金を ふくめても 1997年度から あかじが つづき、累積 あかじは 3億円 以上に ふくらんどる。
  • ローカル線に くわしい 東北芸術工科大学の 吉田朗 教授は 「人口 減 社会の なかで、料金 収入を ふやすのは 困難だが、クルマを 運転できん 住民に とって、鉄道は 貴重な 地域の あし」と 指摘。ほの うえで 「地域の 企業から 運営 資金を つのるなど、ひろく ささえる しくみを つくり、交通や 観光など、地域の 課題を 解決する 企業と して いきのこる みちを さぐるべきだ」と 提言しとる。

う~ん、「国鉄 時代は 1日 数千人が おとずれた」とか、「駅から 工場や 高校まで ながい ひとの 列が できた」とか いう 時代が あっただね。いまは 公募 社長の がんばりなんかも あって、三セクと して 運行は つづけとる ものの、乗客数は どんどん へって いって、あかじも ふくらみつづけとる わけか。

当分、くるしい 時代は つづくだらあけど、なんとか がんばって、鉄道の ほうが クルマより 便利じゃん!って いう 時代が くる ことを いのるよ。

これからの 100年も がんばれ、山形鉄道!


(さんこう)

(ついか)