くるしむ 只見線 (ただみせん)

福島県から 新潟県へ いくのに 2本の 路線が ある。ひとつが 郡山から 会津若松を 経由して 新津 (にいつ)まで いく 磐越西線 (ばんえつさいせん)で、ひがしにほん地震の あと、寸断された 東北線に かわって、被災地に ガソリンに はこんだ ことが 記憶に のこる。まあ ひとつが 磐越西線会津若松で 分岐して 小出 (こいで)って いう とこまで いく 只見線で、きょう とりあげるのが この 路線だ。


磐越西線 (ばんえつさいせん) 只見線 (ただみせん) 路線図
磐越西線 (ばんえつさいせん) 只見線 (ただみせん) 路線図

まず、只見線の 歴史を みて みる。


かんたんに いうと、会津若松 がわと 小出 がわの りょうほうから 線路が のびて きて、さいご 水源 開発の からみも あって、まんなかが つながって 1本の 線路に なった、って いう とこだ。会津若松 がわは 1926年から 1963年に かけて 只見まで 開通。小出 がわは 1942年に 大白川 (おおしらかわ)まで 開通。まんなかの 只見から 大白川までが 1971年に 開通して 全線 開通。


いま、この 只見線が くるしんどる。


2011年 3月 11日の ひがしにほん地震で、全線 運行 休止に なる。ちょこっと ずつ 運行を 再開して、2011年 4月 12日に 全線 復旧を はたす。2011年 7月 23日には 「只見線全線開通40周年号」を 会津若松と 只見の あいだで 運行。よろこびも つかのま、ほの 1週間 あとの 2011年 7月 30日の 新潟・福島豪雨で ふたたび 会津坂下 (あいづばんげ)から 小出の あいだが 運行 休止と なる。全線 135.2キロの うちの 113.6キロだ。ほれから また ちょこっと ずつ 運行 再開 区間を のばして きたけど、いまも 会津川口から 只見までの 27.6キロが 運行 休止の ままで、代行 バスが はしる。


ところで、只見線って どれ ぐらい 列車の 運行が あるのか。


全線 単線 非電化の この 路線。会津若松 がわが、会津川口までの あいだを 1日 6往復と、ほかに 会津坂下 おりかえしが 1日 1往復。小出 がわが 只見までの あいだを 1日 3往復と、ほかに 大白川 おりかえしが 1日 1往復。なるほど、典型的な 閑散 線区だ。ひがしにほん地震や 新潟・福島豪雨に あう まえの 2009年度の データだけど、輸送 密度が たった 388人で、JR東日本の うちで ワースト 2位に おる。輸送 密度って いうのは 「全線 とおしに して、1日に なんにんの ひとが のっとるか」って いう 数字で、おんなじ 2009年度の データで 山手線は 100万人を ほこる。


こんな 只見線だけど、こんどの ダイヤ 改正で 駅が ひとつ なくなるげな。


JR東日本 仙台支社は 2013年 2月 25日、只見線田子倉駅 (たごくらえき)を 2013年 3月 15日で 廃止する ことを 正式に 発表した。この 駅は 4月から 11月までの 臨時駅だけど、JR東日本は 「輸送 密度が ひとり ていど」と して、はるの ダイヤ 改正で 廃止する 意向を じもとの 只見町 (ただみまち)などに つたえとった。 〔あさひ〕


田子倉ってのは 只見と 大白川の あいだの ゆいつの 駅で、只見ダムの ダム湖 田子倉湖の ほとりに ある 駅だけど、まあ 地図を みて みても まわりに 人家が ある ふうも なく、廃止も しょうがないって とこか。


最高 時速が たった 65キロの 只見線。起点の 会津若松から 終点の 小出まで、5時間を かけて 列車が はしりとおす ひが ふたたび くるのは いつの ことか。




(さんこう)