石川県には、いま北陸線と七尾線がはしっとる以外は、金沢からでとる北陸鉄道の石川線と西金沢からでとるおなじく北陸鉄道の浅野川線の2本があるだけだけど、むかしはまっといっぱい鉄道がはしっとった。大聖寺(だいしょうじ)から、動橋(いぶりはし)から、粟津(あわづ)から、小松(こまつ)から、寺井(てらい)から、羽咋(はくい)から、穴水(あなみず)から鉄道がでとっただ。まるで「えだはをいっぱいにのばすおおきなき」みたいだっただ。
きょう紹介する尾小屋鉄道(おごやてつどう)もほんなえだはの一部だった。
北陸線と連絡する新小松(しんこまつ)を起点に、東南方向、白山(はくさん)にむかって、尾小屋ってとこまでの16.8キロが尾小屋鉄道の路線だった。わが名鉄西尾線の新安城(しんあんじょう)から西尾(にしお)までが15.0キロだで、ちょうどほれぐらいのきょりだ。
1919年から1920年にかけて鉱山鉄道として開業するも、軌間762ミリの軽便鉄道(けいべんてつどう)からふつうの鉄道とおんなじ軌間1067ミリの狭軌へと進化することもなく、35キロっていうおそろしくおそい最高速度をあげることもなく、1977年3月19日に廃線となった。
石川県の廃止鉄道
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いまはむかしの車両が保存されとるだけの尾小屋鉄道だけど、いつのひか線路から復活させる。石川県の鉄道をむかしみたいな「えだはをいっぱいにのばすおおきなき」にするだ。
(さんこう)
- 中日新聞:思い出と走れ 尾小屋鉄道 小松の汽車展示館:石川(CHUNICHI Web) (井上真典氏)|2013年8月25日 〔※ まあはいリンクぎれ〕
- 尾小屋鉄道|二邑亭駄菓子のよろず話
- 軽便鉄道の全盛期をしらんわたしにとって、かろうじてみることのできた軽便らしい軽便が尾小屋鉄道である。
大杉谷口駅に到着するキハ2 - 1977.3 - レールのはばは762mmで、新幹線の半分ちかく。むかしはにほん全国いたるところで、このような光景が展開されとったはずである。さいしょの訪問は1976年なつ、つぎの訪問は廃止をまぎわにひかえた1977年3月のことであった。
- (※ 本文中の路線図はこのサイトから拝借)
- 軽便鉄道の全盛期をしらんわたしにとって、かろうじてみることのできた軽便らしい軽便が尾小屋鉄道である。
- 尾小屋鉄道|懐想石川の鉄道
- この軽便鉄道がよくも1977年までもちこたえられたものと感心します。非電化ナローではにほんでいちばんおそくまでいきのびておったのではないでしょうか。
無人化となった直后の尾小屋駅 1972年5月 - さいしゅうびはおおゆきのため尾小屋まで運転ができんままおわってしまいました。
- わたしにとってゆきと尾小屋鉄道はおおいに関係があります。っていうのは尾小屋鉱山あとちの大倉岳スキー場へ尾小屋鉄道にのってすべりにいきました。
- 当時の石川県ではトップクラスのスキー場でしたけど尾小屋駅からスキー場までスキーをかついで40分ほどあるくのにはまいりました。
- 当時尾小屋町(おごやまち)にはスキー客用の民宿もたくさんありにぎわっておりましたけど、ほのにぎわいもあんまりながくはつづきませんでした。
- この軽便鉄道がよくも1977年までもちこたえられたものと感心します。非電化ナローではにほんでいちばんおそくまでいきのびておったのではないでしょうか。
- 尾小屋鉄道|ちょっと古い鉄道のお話
- 『尾小屋鉄道』 - 1919年鉱山鉄道として開業した軽便鉄道で、新小松-尾小屋間16.8kmをむすんどった。晩年は、希少な軽便鉄道として、鉄道ファンはもちろん、映画やテレビのロケなど注目をあびたけど、1977年3月、廃止されちゃった。
キハ3がまつ金平駅に進入するキハ1 - ほんな尾小屋鉄道にいったのは、まあ最晩年の1976年なつのこと。ほのとしの高校の鉄道研究会の年間テーマ『軽便鉄道』の合宿でおとずれただった。わたしのひとつしたの鉄研メンバーは、バリバリの鉄ちゃんばかり。のちに、ほのすじでは有名なトロッコの愛好団体『羅須地人鉄道協会』に参加したメンバーもおる。『軽便鉄道』っていうテーマはまあ必然としかいいようがない。
- 『尾小屋鉄道』 - 1919年鉱山鉄道として開業した軽便鉄道で、新小松-尾小屋間16.8kmをむすんどった。晩年は、希少な軽便鉄道として、鉄道ファンはもちろん、映画やテレビのロケなど注目をあびたけど、1977年3月、廃止されちゃった。
- 尾小屋鉄道廃線跡を訪ねて|減速進行
- (すばらしいできばえの路線図が掲載してある)
- 尾小屋鉄道|はーさんの思い出の鉄道画像
- 尾小屋鉄道をたずねて
- 尾鉄通信トップページ
- なつかしの尾小屋鉄道を守る会
- 尾小屋鉄道 - Wikipedia
- 石川県|日本の廃止鉄道路線一覧 - Wikipedia