かみいしづ

晩秋の一日、上石津(かみいしづ)ってとこにいってきた。上石津はひろく、揖斐川(いびがわ)の支流、牧田川(まきたがわ)をみなみにさかのぼるかたちで、きたから順に牧田(まきだ)、一之瀬(いちのせ)、多良(たら)、時(とき)とよっつのむらがならんどるなかで、中心の多良のむらにいってきた。さらに多良は、きたから順に下多良(しもたら)、祢宜上(ねぎかみ)、宮(みや)、三ツ里(みつさと)、上多良(かみたら)といつつの郷(ごう)が、牧田川左岸の河岸段丘(かがんだんきゅう)のうえにならんどるなかで、下多良、祢宜上、宮のみっつの郷をあるいた。ちなみに、このうちの宮が多良の中心、つまり上石津の中心になる。

2016.11.16 上石津 (5) 宮 - 上石津郷土資料館

◇            ◇

みや

大垣えきまえからバスにゆられて1時間、宮のバス停にとうちゃく。バス停から河岸段丘を一段あがったとこに西高木家陣屋あとがあり、ほの長屋門のまえで記念さつえい。まわりでくさとりをしとったおばさんが親切にもとってくれただよ。

2016.11.16 上石津 (1) 宮 - 西高木家陣屋あと
(1) 宮 - 西高木家陣屋あとで記念さつえい

ひがしむきに養老山地をさつえい。いきをのむ。

2016.11.16 上石津 (4) 宮 - 上石津郷土資料館
(4) 宮 - 上石津郷土資料館

郷のなか、ちょっとめをみぎにむけると、しろいけむりがたちのぼるのがみえる。仁徳天皇もこんな光景をみておよろこびになったのか。

2016.11.16 上石津 (5) 宮 - 上石津郷土資料館
(5) 宮 - 上石津郷土資料館

2016.11.16 上石津 (6) 宮 - 西高木家陣屋あと
(6) 宮 - 西高木家陣屋あと

いしがきをしたにおりる。

2016.11.16 上石津 (7) 宮 - 西高木家陣屋あと
(7) 宮 - 西高木家陣屋あと

バスをおりたみちに面して土蔵がたっとる。土蔵のしたにいしぶみがあって、みると伊勢街道ってかいてある。下多良、祢宜上、宮とバスがとおってきた郷のなかのみちは伊勢街道だっただ。上石津は美濃(みの)のくにの西南のはずれにあって、みなみは伊勢のくににつながるだ。

2016.11.16 上石津 (9) 宮 - 土蔵
2016.11.16 上石津 (8) 宮 - 伊勢街道いしぶみ
(9) 宮 - 土蔵 (8) 宮 - 伊勢街道いしぶみ

しもたら

いったん伊勢街道からはずれて、祢宜上をぬけ河岸段丘をおりて、下多良までもどったとこで、牧田川にでる。うさぎおいしかのやま、こぶなつりしかのかわ。こころがあらわれるようなふうけいだ。

2016.11.16 上石津 (10) 下多良 - 牧田川
(10) 下多良 - 牧田川

国道ぞいのサークルKでひるをすませて、また、下多良にはいる。民家もみちもいしがきがある。

2016.11.16 上石津 (11) 下多良
(11) 下多良

ねぎかみ

伊勢街道を下多良から祢宜上にはいったとこで、木造二階だての旅館があらわれる。ひとがではいりするようすもなく、まあ、やってないのか。

2016.11.16 上石津 (12) 祢宜上
(12) 祢宜上

伊勢街道をみなみにすすむ。くるときにバスでとおった祢宜上バス停もある。

2016.11.16 上石津 (13) 祢宜上(下多良) - 祢宜上バス停
(13) 祢宜上(下多良) - 祢宜上バス停

また、ひがしむきに養老山地をさつえい。

2016.11.16 上石津 (14) 祢宜上(下多良)
2016.11.16 上石津 (15) 祢宜上(下多良)
(14) 祢宜上(下多良) (15)

にしに河岸段丘をあがっていくこみちから鈴鹿山脈がかいまみえる。上石津は、牧田川をまんなかに、ひがしは養老山地に、にしは鈴鹿山脈にはさまれたやまざとだ。

2016.11.16 上石津 (16) 祢宜上
(16) 祢宜上

郷のはずれで、りっぱないしがきとりっぱな門塀にかこまれた邸宅をみる。

2016.11.16 上石津 (17) 祢宜上
2016.11.16 上石津 (18) 祢宜上
(17) 祢宜上 (18)

いえなみがつきる。

2016.11.16 上石津 (19) 祢宜上
(19) 祢宜上

牧田川の支流にかかるねぎかみばしをわたる。

2016.11.16 上石津 (20) 祢宜上 - ねぎかみばし 2016.11.16 上石津 (21) 祢宜上 - ねぎかみばし
2016.11.16 上石津 (22) 祢宜上 - ねぎかみばし
(20) 祢宜上 - ねぎかみばし (21) (22)

ふたたびみや

はしをわたると宮になる。

2016.11.16 上石津 (23) 宮
(23) 宮

のぼりざかのとちゅうでふりかえると、祢宜上の郷がみえる。

2016.11.16 上石津 (24) 宮
(24) 宮

ひだりに人家が、みぎにいしがきあらわれる。いしがきは西高木家陣屋のいしがきだ。

2016.11.16 上石津 (25) 宮
(25) 宮

伊勢街道のむこうに養老山地がみえる。

2016.11.16 上石津 (26) 宮
(26) 宮

また、みぎがわに西高木家陣屋がせまってくる。ここは、いしがきはうえのほうだけで、あとは河岸段丘の地形をいかしとる。

2016.11.16 上石津 (27) 宮 - 西高木家陣屋あと
(27) 宮 - 西高木家陣屋あと

さいしょにみた土蔵のとこまでもどってきた。

2016.11.16 上石津 (29) 宮 - 土蔵
(29) 宮 - 土蔵

ほのまま伊勢街道をきたにすすんだとこに、JAにしみの多良支店がある。農協があるってことが、ここがこの地域の中心だってことの証明だ。

2016.11.16 上石津 (30) 宮 - JAにしみの多良支店
(30) 宮 - JAにしみの多良支店

またまた、ひがしむきに養老山地をさつえい。

2016.11.16 上石津 (31) 宮
(31) 宮

ひだりにかわのほうにくだっていくみちとのふたまたのとこに、佐古商店っていうみせがある。ひとがではいりするようすがなく、やっぱりやってないみたいだ。

2016.11.16 上石津 (32) 宮 - 佐古商店
(32) 宮 - 佐古商店

みぎがわの伊勢街道ぞいの巨大なすぎなみきは、神社をかこうすぎだった。

2016.11.16 上石津 (33) 宮 - 大神神社
(33) 宮 - 大神神社

説明がきをよんでみる。なんと、大神神社(おおみわじんじゃ)だ。大神神社っていやあ大和のくににあるっておもっとったけど、美濃のくにのこんなやまざとにも大神神社があっただ。

2016.11.16 上石津 (34) 宮 - 大神神社ごゆいしょ
(34) 宮 - 大神神社ごゆいしょ

ふるびたおやしろ。そびえるすぎの巨木。

2016.11.16 上石津 (35) 宮 - 大神神社
2016.11.16 上石津 (36) 宮 - 大神神社
(35) 宮 - 大神神社 (36)

境内をでるとこで、ちょうどやってきたご婦人とはなしをする。むかし本家の大神神社からひとがやってきて、ここにも大神神社をたてたとのこと。しるひとぞしる神社で、わがあんじょうからもここにつきまいりするひとがおるとも。

大神神社からまた伊勢街道をきたにいく。

2016.11.16 上石津 (37) 宮
(37) 宮

しらかべのはがれた土蔵がある。

2016.11.16 上石津 (38) 宮
(38) 宮

でっかい土蔵がある。このやまざとにこんなにとみをたくわえとったのか。

2016.11.16 上石津 (39) 宮
2016.11.16 上石津 (42) 宮
(39) 宮 (42)

宮の郷がつきたとこで、河岸段丘のしたに牧田川をみる。なんかいみてもきれいなかわだ。

2016.11.16 上石津 (40) 宮 - 牧田川
(40) 宮 - 牧田川

きたみちをおりかえす。バス停は上宮バス停だ。

2016.11.16 上石津 (41) 宮 - 上宮バス停
(41) 宮 - 上宮バス停

大神神社までもどって、よこのこみちからにしに一段河岸段丘をあがったとこに、多良小学校あとのいしぶみがある。したにもどって、農協のとなりにも多良小学校あとのいしぶみがある。おおきな小学校だっただ。

2016.11.16 上石津 (43) 宮 - 多良小学校あと 2016.11.16 上石津 (44) 宮 - 多良小学校あと 2016.11.16 上石津 (45) 宮 - 多良小学校あと
(43) 宮 - 多良小学校あと (44) (45)

西高木家陣屋のしたまでもどる。いしがきのむこうに鈴鹿山脈がみえる。

2016.11.16 上石津 (46) 宮 - 西高木家陣屋あと
2016.11.16 上石津 (47) 宮 - 西高木家陣屋あと
(46) 宮 - 西高木家陣屋あと (47)

まあいっかい西高木家陣屋あとにあがると、となりに上石津郷土資料館ってのがあったけど、やすみだった。

2016.11.16 上石津 (51) 宮 - 上石津郷土資料館
(51) 宮 - 上石津郷土資料館

あらためて、ひがしむきに養老山地をさつえい。

2016.11.16 上石津 (52) 宮 - 西高木家陣屋あと
2016.11.16 上石津 (53) 宮 - 上石津郷土資料館
2016.11.16 上石津 (54) 宮 - 上石津郷土資料館
(52) 宮 - 西高木家陣屋あと (53) 宮 - 上石津郷土資料館 (54)

伊勢街道におりる。バスがくるまで時間があって、まあいっかい伊勢街道を下多良まであるくことにする。

2016.11.16 上石津 (58) 宮
(58) 宮

ふたたびしもたら

宮から祢宜上をぬけ、下多良もほとんどぬけたとこで、牧田川の支流にかかるしもたらばしとなる。ひとつ上流方向のはしは農林水産省の農業農村整備事業でできた道路のはしで、うしろに鈴鹿山脈がみえる。

2016.11.16 上石津 (59) 下多良 - しもたらばし 2016.11.16 上石津 (60) 下多良 - しもたらばし
2016.11.16 上石津 (61) 下多良 - しもたらばし 2016.11.16 上石津 (62) 下多良 - しもたらばし
(59) 下多良 - しもたらばし (60) (61) (62)

ちかくに下多良のかやってのもある。いずみもわきでとったらしく、伊勢街道をとおるたびびとがあしをとめてやすみをとったとこだって説明がきにかいてある。

2016.11.16 上石津 (64) 下多良 - かや
2016.11.16 上石津 (63) 下多良 - かや
(64) 下多良 - かや (63) 説明がき

さいごに、まあいっかい国道ぞいのサークルKでひとやすみして、下多良のバス停にもどる。じきにやってきたバスにのって、上石津のたびをおえる。

2016.11.16 上石津 (65) 下多良 - 下多良バス停
(65) 下多良 - 下多良バス停


(さんこう)

  • みしらぬやまざとをひとりたび。|いわせあきひこ|フェースブック|2016年11月16日11:38
    • みしらぬやまざとをひとりたび。上石津ってとこまできた。
  • グーグル地図で地形図がみれるってしらんかった。|いわせあきひこ|フェースブック|2016年10月29日0:49
    • グーグル地図で地形図がみれるってしらんかった。 でも、ふつうの地図からどうやってきりかえるかわからん。とほほ・・・。
    • 「ふれあいかみいしづ」まつりがおこなわれたっていう大垣市上石津町をさがすなかで、この地図にでっくわしました。こんなにおおきな面積の土地がとびちっておどろきですよね。養老山地と鈴鹿山脈で外界から隔絶され、鉄道もはしってない土地。愛知県からこんなちかくにこんなしらん土地があったのか!ってかんじです。たびごころをくすぐられますよね(^_^)
  • 上石津町 - Wikipedia
    • 1955年1月15日、牧田村(まきだむら)一之瀬村(いちのせむら)多良村(たらむら)時村(ときむら)が合併し上石津村(かみいしづむら)発足。
    • 1969年4月1日、町制施行し上石津町となる。
    • 2006年3月27日、安八郡(あんぱちぐん)墨俣町(すのまたちょう)とともに大垣市に編入した。
    • 岐阜県の西南端に位置し、まちの東西を養老山地、鈴鹿山脈のやまやまにかこまれとる。盆地となっとるまちの中心部を国道365号線がとおり、交通の要衝である関ケ原方面へぬける。
    • 編入さきの大垣市とは隣接してないためとびちとなっとる。なお、墨俣町も同様にとびちである。
  • 多良村 - Wikipedia
    • 江戸時代末期、この地域は美濃国(みののくに)石津郡(いしづぐん)であり、天領のほか、交代寄合の美濃衆(高木氏)などが領有しとった。高木氏は陣屋(西高木家陣屋)をこの地に設置しとった。
    • 1878年、石津郡は上石津郡と下石津郡に分割され、この地域は上石津郡となる。
    • 1889年7月1日、上多良村下多良村宮村、奥村、谷畑村、上鍛冶屋村、上原村、前ケ瀬村、西山村、祢冝上村三ツ里村が合併し、多良村となる。