晩秋の一日、上石津(かみいしづ)ってとこにいってきた。上石津はひろく、揖斐川(いびがわ)の支流、牧田川(まきたがわ)をみなみにさかのぼるかたちで、きたから順に牧田(まきだ)、一之瀬(いちのせ)、多良(たら)、時(とき)とよっつのむらがならんどるなかで、中心の多良のむらにいってきた。さらに多良は、きたから順に下多良(しもたら)、祢宜上(ねぎかみ)、宮(みや)、三ツ里(みつさと)、上多良(かみたら)といつつの郷(ごう)が、牧田川左岸の河岸段丘(かがんだんきゅう)のうえにならんどるなかで、下多良、祢宜上、宮のみっつの郷をあるいた。ちなみに、このうちの宮が多良の中心、つまり上石津の中心になる。
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みや
大垣えきまえからバスにゆられて1時間、宮のバス停にとうちゃく。バス停から河岸段丘を一段あがったとこに西高木家陣屋あとがあり、ほの長屋門のまえで記念さつえい。まわりでくさとりをしとったおばさんが親切にもとってくれただよ。
ひがしむきに養老山地をさつえい。いきをのむ。
郷のなか、ちょっとめをみぎにむけると、しろいけむりがたちのぼるのがみえる。仁徳天皇もこんな光景をみておよろこびになったのか。
いしがきをしたにおりる。
バスをおりたみちに面して土蔵がたっとる。土蔵のしたにいしぶみがあって、みると伊勢街道ってかいてある。下多良、祢宜上、宮とバスがとおってきた郷のなかのみちは伊勢街道だっただ。上石津は美濃(みの)のくにの西南のはずれにあって、みなみは伊勢のくににつながるだ。
しもたら
いったん伊勢街道からはずれて、祢宜上をぬけ河岸段丘をおりて、下多良までもどったとこで、牧田川にでる。うさぎおいしかのやま、こぶなつりしかのかわ。こころがあらわれるようなふうけいだ。
国道ぞいのサークルKでひるをすませて、また、下多良にはいる。民家もみちもいしがきがある。
ねぎかみ
伊勢街道を下多良から祢宜上にはいったとこで、木造二階だての旅館があらわれる。ひとがではいりするようすもなく、まあ、やってないのか。
伊勢街道をみなみにすすむ。くるときにバスでとおった祢宜上バス停もある。
また、ひがしむきに養老山地をさつえい。
にしに河岸段丘をあがっていくこみちから鈴鹿山脈がかいまみえる。上石津は、牧田川をまんなかに、ひがしは養老山地に、にしは鈴鹿山脈にはさまれたやまざとだ。
郷のはずれで、りっぱないしがきとりっぱな門塀にかこまれた邸宅をみる。
いえなみがつきる。
牧田川の支流にかかるねぎかみばしをわたる。
ふたたびみや
はしをわたると宮になる。
のぼりざかのとちゅうでふりかえると、祢宜上の郷がみえる。
ひだりに人家が、みぎにいしがきあらわれる。いしがきは西高木家陣屋のいしがきだ。
伊勢街道のむこうに養老山地がみえる。
また、みぎがわに西高木家陣屋がせまってくる。ここは、いしがきはうえのほうだけで、あとは河岸段丘の地形をいかしとる。
さいしょにみた土蔵のとこまでもどってきた。
ほのまま伊勢街道をきたにすすんだとこに、JAにしみの多良支店がある。農協があるってことが、ここがこの地域の中心だってことの証明だ。
またまた、ひがしむきに養老山地をさつえい。
ひだりにかわのほうにくだっていくみちとのふたまたのとこに、佐古商店っていうみせがある。ひとがではいりするようすがなく、やっぱりやってないみたいだ。
みぎがわの伊勢街道ぞいの巨大なすぎなみきは、神社をかこうすぎだった。
説明がきをよんでみる。なんと、大神神社(おおみわじんじゃ)だ。大神神社っていやあ大和のくににあるっておもっとったけど、美濃のくにのこんなやまざとにも大神神社があっただ。
ふるびたおやしろ。そびえるすぎの巨木。
境内をでるとこで、ちょうどやってきたご婦人とはなしをする。むかし本家の大神神社からひとがやってきて、ここにも大神神社をたてたとのこと。しるひとぞしる神社で、わがあんじょうからもここにつきまいりするひとがおるとも。
大神神社からまた伊勢街道をきたにいく。
しらかべのはがれた土蔵がある。
でっかい土蔵がある。このやまざとにこんなにとみをたくわえとったのか。
宮の郷がつきたとこで、河岸段丘のしたに牧田川をみる。なんかいみてもきれいなかわだ。
きたみちをおりかえす。バス停は上宮バス停だ。
大神神社までもどって、よこのこみちからにしに一段河岸段丘をあがったとこに、多良小学校あとのいしぶみがある。したにもどって、農協のとなりにも多良小学校あとのいしぶみがある。おおきな小学校だっただ。
西高木家陣屋のしたまでもどる。いしがきのむこうに鈴鹿山脈がみえる。
まあいっかい西高木家陣屋あとにあがると、となりに上石津郷土資料館ってのがあったけど、やすみだった。
あらためて、ひがしむきに養老山地をさつえい。
(52) 宮 - 西高木家陣屋あと (53) 宮 - 上石津郷土資料館 (54)
伊勢街道におりる。バスがくるまで時間があって、まあいっかい伊勢街道を下多良まであるくことにする。
ふたたびしもたら
宮から祢宜上をぬけ、下多良もほとんどぬけたとこで、牧田川の支流にかかるしもたらばしとなる。ひとつ上流方向のはしは農林水産省の農業農村整備事業でできた道路のはしで、うしろに鈴鹿山脈がみえる。
(59) 下多良 - しもたらばし (60) (61) (62)
ちかくに下多良のかやってのもある。いずみもわきでとったらしく、伊勢街道をとおるたびびとがあしをとめてやすみをとったとこだって説明がきにかいてある。
さいごに、まあいっかい国道ぞいのサークルKでひとやすみして、下多良のバス停にもどる。じきにやってきたバスにのって、上石津のたびをおえる。
(さんこう)