西三河の鉄道のうつりかわり17回め=挙母線の廃止

17回めのこんかいは1973年。挙母線の廃止。

1973年3月よっか、上挙母(うわごろも)-大樹寺(だいじゅうじ)間が廃止になる。これまでにも1938年の三河岩脇(みかわいわわき)-門立(もだち)間の廃止、1962年の大樹寺(だいじゅうじ)-岡崎井田(おかざきいだ)間の廃止と一部廃止はあっただけど、こんかいの対象が挙母線の大部分であり、こんかいを挙母線の廃止とした。

岡崎電気軌道により1924年、岡崎がわが開業。1927年に岡崎電気軌道を吸収合併した三河鉄道により1929年、豊田がわが開業。1941年に三河鉄道を吸収合併した名鉄により1973年、全線廃止となる。さいしょの開業から49年。

西三河の鉄道のうつりかわり(あきひこ) - 17.拳母線の廃止
△ 西三河の鉄道のうつりかわり(あきひこ) - 17.拳母線の廃止

岡崎がわでつながる岡崎市内線が1962年に廃止になった時点で、挙母線の廃止もみえとったわけだけど、直接的なきっかけは、廃止前年の1972年に豪雨で矢作川鉄橋が破損したことじゃないかって推測する。ふたつきのあいだ一部区間が運行休止になって、復旧してからも時速15キロの速度制限がつづいたっていう。

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(さんこう)