津島街道を甚目寺から須ヶ口まであるく - 2018年11月12日

2018.11.12 (99) 萱津神社 - とりい 2000-1500

甚目寺(じもくじ)のあさいちにいったあとのはなしで、津島街道を須ヶ口まであるいたようすを紹介する。2018年11月12日のこと。

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さいご、まごころっていうみせのみだらしだんごをたべて、南大門から甚目寺の境内をみなみでる。でたすぐのとこがちょうどT字路のつきあたりになっとって、交差点の西南に石柱のみちしるべがある。「どっちかが佐屋みち、どっちかが津島みち」とかかいてあるみたいなだけど、字がうすれとってようわからん。おまけに、きゅうくつな位置におかれとるし石柱もかたいどるしで、まったく放置された状態だ。貴重な遺産であるだけにまあちょっときちんと整備、管理してほしいもんだ。

つぎに、ちょこっとみなみにあるいたひだりがわにある甚目寺民俗資料館にはいる。こそだて関係の施設とたてもんを共用しとるだけど、玄関がとざされとってよこにまわってはいっていく。まえにきたときもおんなじ状態だってはいるのをあきらめただけど、このひは1階をおくにすすんでみる。なにかご用でしょうかってでてきたおんなのひとにきいてみると資料館は3階にあるとのことで、あがっていく。あがっていったとこの事務室におんなの事務員さんがおって、いらっしゃいませっていって、おくにある資料館の電気をつけてくれる。ひとがこんときは消灯しとるだ。いや、こんな状態じゃあだあれもくるわけないだけどね。案内人もつかんまま、ひとり資料館にはいっていく。

2018.11.12 (87) 甚目寺民俗資料館 - 甚目寺観音の歴史 1130-1650

甚目寺観音の歴史についてかいてある。597年建立(こんりゅう)っていうのがすごい。当初は甚目(はだめ)氏の私寺だったってかいてある。甚目って、いまはきくことのない苗字だけど、ほういう豪族がおっただ。戦国時代末期から江戸時代にかけては支配者から寺領をもらってにぎわった。なるほど。

2018.11.12 (85) 甚目寺民俗資料館 - 甚目寺村絵図(1826年) 2000-1900

ほいから古地図がある。1826年のもんで、甚目寺観音の位置、ほっから東西にのびる津島街道の位置をみてみると、いまとかわりないみたいだ。

ほかにもいろいろ資料があるなかで、どうも萱津(かやつ)ってことになんかあるらしい。神社があって戦場にもなったとこだ。

2018.11.12 (88) 甚目寺民俗資料館事務室 - 甚目寺の地図 2500-1875

おんなの事務員さんに萱津神社へのみちをきいてみるだけど、てきとうな地図がないらしくて事務室にはいらせてくれて、かべにはってある地図をみせてくれる。津島街道をまっすぐひがしにいって、五条川にあたったとこでみなみにまがやあいいだ。まっといろんなこともきけたらっておもっただけど、このおんなの事務員さんも臨時職員で学芸関係の職員は旧美和町(みわちょう)のほうにおるとのこと。旧甚目寺町(じもくじちょう)、旧七宝町(しっぽうちょう)、旧美和町のみっつが合併してあま市になったけど、本拠地は旧美和町になっちゃっただ。甚目寺にはあんまりちからがはいっとらんのかもしれん。

2018.11.12 (89) 角屋 - みそにこみうどん定食 800-600

津島街道の一部でもある甚目寺のめぬきどおりのほうにいって、えきまえどおりにまがるかどのとこにある角屋にはいってひるごはん。注文したのはみそにこみうどん。

2018.11.12 (90) 甚目寺からひがしえ(めぬきどおりから) 2000-1500

はらごしらえができたとこで、津島街道をひがしにすすむ。

2018.11.12 (91) 甚目寺からひがしえ(2車線に) 2000-1500

しばらくいっておおきな信号交差点をこえたとこから、みちは2車線になる。いや、このきいろいセンターラインってどくどくしい。

2018.11.12 (92) 甚目寺からひがしえ(五条川てまえ) 1800-1350

角屋からあるくこと10分あまりで、堤防道路がみえてくる。五条川の堤防で、ほのむこうは清須市(きよすし)だ。甚目寺観音からここまで、まちなみがとぎれることはなかった。

2018.11.12 (94) 五条川 - 須ヶ口いきふつう 1600-1200
2018.11.12 (95) 五条川 - 須ヶ口いきふつう 1600-1200

五条川にかかるはしは法界門橋っていうはしで、すぐ上流の名鉄津島線をあっかい電車がいく。

2018.11.12 (96) 五条川から名駅摩天楼をみる 2000-1500

はしのにしづめから下流とおくに名駅の摩天楼がみえる。甚目寺って名古屋からこんなにちかいのか。

2018.11.12 (97) 五条川 - 法界門堰あと 1600-1200

にしがわ堤防をみなみにいって、「一級河川五条川にあった法界門堰」っていうかんばんを発見。江戸時代以来つかわれてきた農業用水の堰(せき)がここにあったことを記念してのもんだった。ちなみに法界門堰はたぶん「ほっかいもんぜき」ってよむ。

2018.11.12 (99) 萱津神社 - とりい 2000-1500

萱津神社にとうちゃく。堤防道路に面してとりいがあって、ほっから階段をおりて境内にはいっていく。

2018.11.12 (108) 萱津神社 - 拝殿 1600-1200

階段をおりたとこからまっすぐいったとこに拝殿があって、おまいり。家内安全をいのる。いや、おみやさんなのに拝殿がひがしむきってのはかわっとる。おみやさんはみなみむき、おてらはひがしむきってのがふつうだ。

2018.11.12 (106) 萱津神社 - かやぬひめ 2000-1500

かやぬひめ、かわいい! おもわずさけんだ。拝殿のみなみに萱津会館っていう鉄筋コンクリートのりっぱなたてもんがあって、ほのひがしがわがひろい駐車場になっとるだけど、ほの駐車場のいちばん堤防よりのとこにあったのが、萱津神社のかみさまであるかやぬひめのこの銅像だ。いや、こんなにかわいいかみさまみたことがないだけど、こうみえてつけもんのかみさまだげな。やまとたけるのみことの故事もあって、つけもんの別名を「こうのもの」っていうのもこの故事によるもんらしい。ほー。ここでもおまいり。家内安全をいのる。

2018.11.12 (93) 五条川 1200-900 2018.11.12 (109) 五条川東岸 1000-750

法界門橋にもどって五条川をひがしにわたって、清須市の区域にはいる。

2018.11.12 (110) 須ヶ口交差点 1800-1350 2018.11.12 (111) 須ヶ口えきまえ 1600-1200
2018.11.12 (112) 須ヶ口駅 1560-1200 2018.11.12 (113) 須ヶ口 - かいさつ 1200-900

津島街道はひがしにまっすぐ、いまの名古屋本線新川橋駅のへんにいっとったらしいだけど、ひだりにむきをかえて須ヶ口駅につながるいまのみちをほのまますすんでいく。清須市の区域もずーっとまちなみがつづいとる。須ヶ口駅にとうちゃく。みじかいみじかい津島街道のたびをおえて、かえりの電車にのる。

津島街道 - 起点から旧甚目寺町(Network2010.org) 950-730
△ 津島街道 - 起点から旧甚目寺町(Network2010.org)

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(さんこう)