ともだちのフェースブック投稿で宮城道雄(みやぎみちお)のいしぶみが刈谷駅からひがしにいったとこにあることをしって、さっそくみてきた。2019年2月26日のこと。宮城道雄はごぞんじのとおり、めくらでありながらことの名曲「はるのうみ」を作曲したことでしられる。「公演のため東海道線の列車で移動中に刈谷駅のへんで転落してなくなった」ってことは筆者もしっとっただけど、いしぶみができとるってことはしらんかった。名鉄電車をのりついでいってきた。
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映画『アリータ』をみたあと、しんあんじょう13時24分の岐阜いき急行にのる。にしにすすんで、13時28分、知立(ちりゅう)にとうちゃく。名古屋本線から三河線にのりかえのため、下車。
おんなじホームのむかいにやってきた知立13時31分の碧南(へきなん)いきふつうにのる。三河線は知立からきたに猿投(さなげ)いきとみなみに碧南いきがあるだけど、名古屋本線にしいきから三河線へののりかえは、碧南いきのほうがおんなじホームでのりかえれるようになっとって優遇されとる。
定刻にしゅっぱつ。さいしょはひがしにちょこっとすすんで、ひだりに単線できたいき線が分岐したあと、複線でみぎにぐいーんってまがって、西南方向にすすんでいく。
のろのろとすすんで、重原(しげはら)に停車。えきの所在地は知立市の区域になるだけど、重原のまちはこのさきの刈谷市の区域にまたがる。上重原町(かみしげはらちょう)が知立市に、重原本町(しげはらほんまち)と下重原町が刈谷市にある。
また、のろのろとすすんで、東海道線をこえてほのみなみがわをにしにすすんでいく。この三河線と東海道線のまじわるとこの東南に宮城道雄のいしぶみがあるはずで、電車んなかからよこにめをむけてみる。
しましきホームみぎがわにはんたい電車のまつ刈谷にとうちゃく。下車。空地(くうち)をへだてたみぎがわは、しましきホーム2面4線の東海道線のえき。
橋上かいさつからほのままつながる南北自由通路をみなみにおりて、県道48号線の歩道をひがしにあるきだしたとこで、むこうからきいろい帽子をかぶった小学生の隊列がやってくる。刈谷市交通児童遊園からのかえりにちがいない。こんにちわ! ひとりのおとこのこが元気にあいさつをしてくれる。つられてほかのなんにんかもあいさつをしてくれる。きもちいいな~。
しばらくすすんでさいしょの信号を左折。すぐに三河線と東海道線のまじわるとこにつきあたる。こせんきょうのうえを三河線みなみいきのあっかい電車がいく。
めのまえを東海道線にしいきのステンレス車体の電車がいく。こんなふうにはしっとる列車から宮城道雄は転落したのか。
うしろに宮城道雄のいしぶみ。正確には宮城道雄供養塔だ。おもいもよらず死をむかえた無念におもいをはせ、おまいり。
説明がきに、供養塔は刈谷市、宮城会、にほん盲人会の三者によってたてられたってかいてあるのをかくにん。ほのしたに周辺の周遊地図。刈谷市の区域にかぎられるだけど、重原にも陣屋のあととか三井戸とか、いくつかみどころもあるみたいだ。知立市の区域にある重原もふくめて、また、いっかいあるいてみたいな。
刈谷のえきにひきかえすとこで、どてうえ高架をかけあがってくる三河線のあっかい電車とすれちがい。電車にのっとるぶんにはみることのないおもしろい光景だ。。
刈谷14時23分の知立いきふつうにのる。三河線の電車はぜんぶこのあっかいかんつうがたの電車だ。
東海道線をこえるとこで、また、よこにめをむけてみる。
14時29分、知立にとうちゃく。のりかえでこせんきょうをわたるときに、「知立駅の高架工事のすすめかた」をさいかくにん。ぜんぶで6段階の工事があるうちの第3段階までおわっとって、いまは第4段階の、あたらしく高架になる名古屋本線さがり線をつくっとるとこだ。
いまはかりホームの6番のりばにおりて、知立14時38分の豊橋いき快速特急にのりかえ。宮城道雄のいしぶみをたずねるたびをおえる。
(さんこう)
- 乗車記録 - 2019年2月26日、かようび、平日
- 大垣いき快速 - 2019年2月26日 - おぼえがき(ゆめてつどう)|2019/03/06
- 美少女サイボーグ戦士アリータ♪ - あきひこのいいたいほうだい|2019/02/26
- どてうえ高架を…|いわせあきひこ|フェースブック|2019年2月26日14:43
- どてうえ高架をかけあがってくるあっかい電車♪
たまには沿線からとるのもいいな。
さて、クイズ! ここはどこでしょう?
- どてうえ高架をかけあがってくるあっかい電車♪
- 【宮城道雄供養塔】|澤原和典さん|フェースブック|2019年2月25日14:25
- 知立駅の高架化はこういう順番で - あきひこゆめてつどう|2015/03/22
- 第1段階=2、3番ホームがみなみにいざる。2015年2月28日、供用開始。
- 宮城道雄 - Wikipedia
- 1929年に道雄が発表した箏と尺八の二重奏曲「春の海」は、来日したフランス人女流バイオリニスト、ルネ・シュメーが尺八部分をバイオリンに編曲し道雄との合奏がなされ、世界的な評価を得ることになった。その合奏は1932年にレコードに吹き込まれ日本、アメリカ、フランスで発売された。「春の海」は翌年の歌会始の勅題「海辺巌」にちなんで制作されたもので、かつて道雄が瀬戸内海を船で巡った時の印象を基に、それに波の音や鳥の声、漁師の舟唄などを加えて作られた。
- 1956年6月25日未明、大阪での公演へ向かうため、下りの夜行寝台急行列車「銀河」に付き添いの内弟子牧瀬喜代子と共に乗車中、午前3時頃、愛知県刈谷市の刈谷駅手前で客車ドアから車外に転落した。午前3時半頃現場を通りかかった貨物列車の乗務員から「三河線ガードのあたりで線路際に人のようなものを見た」という通報を受け現場に向かった刈谷駅の職員に救助され豊田病院へと搬送されたが、午前7時15分に病院で死亡が確認された。救助時点ではまだ意識があり、自らの名前を漢字の説明まで入れて辛うじて名乗ったと伝えられる。
- 道雄の死については寝ぼけてトイレのドアと乗降口を間違えたなどの推測や一方では自殺も噂されたが、どれも推測や憶測にとどまり事故の真相は不明である。周囲の人物評では、百閒が道雄の行動を常々観察して「カンの悪い盲人」と評しており、高峰秀子もまたこの訃報を新聞で知った時に、ただちに「宮城先生は誤ってデッキから落ちられたのだ」と思ったという。実際に道雄は晩年(場慣れているはずの)自宅内で転倒して片方の眼球を痛め、眼球摘出手術を受けるという事故も経験しており(その后は義眼を入れていた)、視覚障害者としては歩行感覚が鋭敏でなかったことを窺わせる。
- 墓所は東京都台東区の谷中霊園にある。命日の6月25日は遺作の歌曲にちなみ、「浜木綿忌」と呼ばれている。一周忌に際して水野佐平は邦楽再興に奉じた道雄の死を無意味にしてはいけないと考え、所蔵していた名作筝などを自宅の「和楽荘」及び邸内の「丹水会館」に展示した。また同年には前述の事故現場近くに、宮城会・日本盲人会・刈谷市により供養塔が建立されている。