まえの名鉄社長にきく - よみうりの記事から

おとついたまたまてにしたよみうり新聞に、まえの名鉄社長でいまは名古屋商工会議所会頭をつとめる山本亜土(やまもとあど)氏のはなしがのっとった。バブル景気崩壊からリーマンショックってつづくきびしい経済状況の時代に、名鉄の業績を回復させたっていう興味ぶかいはなしであり、さいごにすこしばかりの感想をつけくわえて紹介しとく。

山本亜土氏(よみうり 2019.5.17) 675-1120

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このひとにきく=名古屋商工会議所会頭山本亜土氏70才(下)
名鉄の業績どう回復させた?
接客、財務、みがいた本業

名鉄の社長に就任したのはリーマンショック翌年の2009年6月でした。想定よりにほん経済へのえいきょうはおおきく、「こりゃ、やばい。社長職はながくもたん」って家族につたえました。ほいでもやるぞ、って覚悟をきめました。社長としてさいしょに着手したのが祖業の鉄道の徹底改革でした。

当時、名鉄名古屋駅はあさ、電車が4、5分おくれるのが常態化しており、「絶対、定時で運行しろ」って指示しました。げんばからは無理だとも抵抗されましたけど、みみをかしませんでした。「徹底して遅延ゼロのダイヤにしてくれ」って。結果的に鉄道部門のみなさんのたいへんな努力で目標をなしとげてもらいました。同時におきゃくさまにたいする接客態度も改善されよくなりました。ほの効果は、グループ会社にも自信としてひろがりました。

【任期中に業績はV字回復した】

バブル崩壊后の経営はながらくくるしかった。なかでも記憶にのこるのが2003年3月期連結決算。55年ぶりに無配におちいった。当時の木村操社長から辞令をうけ、2002年6月に人事部長に就任したばっかりでした。会社の経営を正常にもどすにはグループ全体の根幹を改革する必要があるとのことで、全国にひろがっとった経営資源の中部への集中、不採算事業からの撤退などをすすめました。

社長職はほのたいへんな時代の延長線上にありました。就任直后の中間連結決算は、リーマンのえいきょうであかじに転落し、改革をさらに徹底しました。「けちけち経営」で経費削減をすすめ、あかじをだしつづけとるこがいしゃの整理をさらにすすめ、最終利益をしっかり確保できるような財務体質をめざしました。

投資は減価償却の範囲内にとどめ、有利子負債も3わり圧縮。市場の信認もえられ、かぶかもかくづけもあがりました。おいかぜもふきました。低金利は資金調達にプラスで、本業の鉄道は自動車製造の業績拡大などにより利用がのびております。

在任期間は投資の抑制に尽力し、はでなことはできませんでした。しかし、中長期をみすえた「戦略投資」にふみきる余力がひろがった時期でつぎの安藤隆司社長にバトンをわたせました。
名鉄の業績回復の軌跡(よみうり 2019.5.17) 585-840

【経営改革は未来へのたねまきにつながった】

戦略投資対象のうち再開発をきめた名鉄名古屋駅は、うちのほんまるであり、かつ最大の弱点でした。

当時の新名古屋駅は1941年に開業しましたけど、ほれは資材もかねもない戦時中。ちいさくてせばいえきをつくるのでていっぱいだったみたいです。戦后には周囲の開発がすすみ、えきの拡張はさらにむづかしくなった。1957年完成の名鉄ビル(いまの名鉄百貨店本館)などは老朽化がすすみましたけど、たてかえには多額の費用が必要。どうするかかんがえあぐねとったときにもちあがったのがリニア中央新幹線計画。再開発はこの機会をのがしたらまあないって判断しました。

再開発はほんまるをとりこわすで工事中の収益はおおはばにへります。マイナス分を成長分野などへの「戦略投資」による収益でいくぶんでもおぎなえたらってかんがえております。

名鉄名古屋駅は当社でもっともご利用がおおいえきですけど、線路2本、ホーム3面のみで運用しておりおきゃくさまにご不便をおかけしております。名鉄を将来にわたってご利用いただくためにも、おきゃくさまに快適にのりおりいただけるえきをつくることがもっともたいせつだっておもっております。
このひとにきく=山本亜土氏(下)(よみうり 2019.5.17) 2000-1260
(ききて=岡崎哲さん、写真=中根新太郎さん)
(よみうり新聞=2019年5月17日)

名鉄
愛知県、岐阜県が地盤の私鉄おおて。起源となる愛知馬車鉄道は1894年設立。旅客営業きょりは計およそ444キロと全国3位で、年間輸送人員はおよそ3億9千万人。鉄道、バス、タクシー、トラックなど交通、運送のほか、不動産、博物館明治村などのレジャー、百貨店まで多様な事業を展開する。グループ従業員数はおよそ3万人。2019年3月期の連結うりあげだかは6,225億円

山本亜土氏
やまもとあど。1948年うまれ、70才。岐阜県出身。1971年、早稲田大学第一政治経済学部卒業、名鉄入社。秘書室長、総務部長、人事部長などを歴任し、2008年に副社長。2009年社長、2015年6月から会長。名古屋商工会議所は2013年に副会頭に就任し、2016年11月から会頭

改革一巡、名駅でせめ
名鉄は高度経済成長期、関東、関西のおおて私鉄と同様に国内外の交通、レジャー、ホテル事業などに積極投資し、事業を多角化した。
だけど、バブル崩壊にともなう不況や民営化で発足したJR東海との競争もあり業績が悪化。1994年以降、箕浦宗吉氏(日銀)、木村操氏(旧運輸省)、木下栄一郎氏(日銀)って外部出身者が3代にわたり社長として、グループ事業の整理、統合など「みをきる」改革をすすめた。ほの改革にかかわったのが山本亜土氏で、2009年に社長に就任。15年ぶりのはえぬき社長たんじょうは「大政奉還」ってよばれた。
ほれまでの改革路線を継承して業績をV字回復させたことが、会社発足以来最大規模の投資となる名駅再開発の伏線となった。
名鉄名古屋駅は2027年度をめどに面積を2倍に拡張。駅上には、南北400メートル、30階だてていどの巨大ビルが完成するみとおしだ。

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以上が新聞記事で、以下にほのまとめとわが感想をしるしとく。

撤退
2002年6月に山本亜土氏が人事部長に就任。2003年3月期連結決算で、名鉄が55年ぶりの無配におちいる。ほこで、全国にひろがっとった経営資源の中部への集中、不採算事業からの撤退などをすすめる。
かんそう)福井鉄道からの撤退なんかは記憶しとるよ。愛知県内でも三河湾観光からてをひいちゃったね。路線も、岐阜県内で美濃町線谷汲線揖斐線、愛知県内で三河線の末端部なんかをいっきに廃止しちゃった。いや、ほれも55年ぶりの無配っていうきびしい現実があったでだ。
鉄道の徹底改革
リーマンショック翌年の2009年6月に山本亜土氏が社長に就任。祖業である鉄道の徹底改革にとりくむ。当時、名鉄名古屋駅はあさ、電車が4、5分おくれるのが常態化しており、「絶対、定時で運行しろ」、「徹底して遅延ゼロのダイヤにしてくれ」って指示。定時運行の実現とともに、接客態度も改善。グループ会社にも自信をあたえる。また、「けちけち経営」や、あかじをだしつづけとるこがいしゃの整理をして、最終利益をしっかり確保できるような財務体質としたり、投資を減価償却の範囲内にとどめることで、有利子負債を3わり圧縮したりした。
かんそう)2009年当時にほんなに遅延が常態化しとったとはしらんかった。ほれを社長の指導力で定時運行を実現しただ。あわせて、接客態度の改善。まあ、もともとほんなに名鉄の接客態度がわるいとはおもっとらんかっただけどね。でも、こうした鉄道の根幹をきちんとすることで名鉄グループ全体としての自信がついただ。けちけち経営や投資の抑制については、沿線にくらすもんとしてひしひしとかんじとるね。たとえばみなみあんじょうでも売店はなくなっちゃったし、自販機もついさいきんなくなっちゃったってなぐあいだ。投資の抑制は、2005年にミュースカイ2200系こおろぎが登場したあと、しんがた特急の投入がないことをみてもわかる。いや、さびしい。だけど、こうしたことで余力ができただ。
戦略投資
余力ができたとこで、戦略投資対象として再開発をきめたのは名鉄名古屋駅新名古屋駅として1941年に開業しただけど、当時は資材もかねもない戦時中で、ちいさくてせばいえきをつくるのでていっぱいだった。線路2本、ホーム3面のみで運用しとる。1957年完成の名鉄ビルも老朽化がすすんどる。なんとかせにゃっておもっとったとこにもちあがったのが、リニア中央新幹線計画。再開発はこの機会をのがしたらまあないって判断。名鉄名古屋駅は2027年度をめどに面積を2倍に拡張。駅上には、南北400メートル、30階だてていどの巨大ビルを建設することにした。
かんそう)名鉄名古屋駅の再開発。線路を4本にふやして面積を2倍にふやすってことだけど、ぜひ、将来をみすえて、複々線対応、改軌対応、近鉄連絡線対応のみっつもおこたりなくやってほしい。
后任社長
2015年6月、社長を后任の安藤隆司氏にわたす。

(さんこう)