2019年6月11日、堀川(ほりかわ)を、宮宿から名古屋城まであるいてきた。まっすぐきたにすすんで8.2キロの行程になる。
宮宿の渡船場 > 1.大瀬子橋 > 2.白鳥橋 > 3.御陵橋 > 4.熱田記念橋 > 5.旗屋橋 > 6.瓶屋橋 > 7.住吉橋 > 8.尾頭橋 > 9.鉄橋 > 10.古渡橋 > 11.山王橋 > 12.松重閘門と松重橋 > 13.日置橋 > 14.岩井橋 > 15.洲崎橋 > 16.新洲崎橋 > 17.天王崎橋 > 18.納屋橋とほの界隈 > 19.錦橋 > 20.伝馬橋 > 21.桜橋 > 22.中橋 > 23.五条橋 > 24.景雲橋 > 25.小塩橋 > 26.幅下橋 > 27.朝日橋 > 28.大幸橋 > 29.鷹匠橋 > 30.筋違橋
◇ ◇
しゅっぱつ地点は宮宿(みやじゅく)の渡船場(とせんば)。むかしは、こっからおきに七里のわたしで桑名(くわな)につながっとって、ぎゃくに内陸に堀川で名古屋城につながっとった。いまは、おきがうめたてられたのにともなって、堀川もおきのほうまでのびとって、のびた区間の堀川にかかる鉄橋を新幹線がいきかうのがみえる。9時半、しゅっぱつ。みぎにむきをかえてすすむ。
みぎにむきをかえたとこで、さんばしのむこうにまあはい大瀬子橋(おおせこばし)がみえとる。
大瀬子橋までいって、はしのまんなかからかわかみをみる。みぎに公園。ひだりに愛知時計電機の工場。
公園のある東岸をきたにすすんで、白鳥橋(しろとりばし)がみえてくる。
白鳥橋までいって、はしのまんなかからかわかみをみる。ひだりに白鳥庭園(しろとりていえん)。
東岸をきたにすすんどるとこで、アーチ橋(あーちきょう)ごしに名駅の摩天楼がみえてくる。まんだこのへんまではしおのかおりがするだけど、ほんなとこから都心のふうけいがみえるってのがおもしろい。
アーチ橋のなまえは御陵橋(ごりょうばし)。歩行者専用のうつくしいはしだ。
はしにのぼって、記念さつえい。
記念さつえいをおえて、かわかみをみる。みぎに高層住宅群。ひだりに名古屋学院大学。
東岸をきたにすすんで、熱田記念橋(あつたきねんばし)。しろくぬられたつりばしのうつくしいこと。これも歩行者専用。
はしのまんなかまでいって、かわかみをみる。みぎに熱田公園。なかに断夫山古墳(だんぷさんこふん)や熱田球場がある。ひだりに名古屋国際会議場。1989年世界デザイン博覧会の会場になったとこだ。名古屋はこれをきっかけに劇的にうつくしい都市にうまれかわった。
東岸をきたにすすんで、旗屋橋(はたやばし)。こんどはクルマもわたるはしで、ひがしにちょこっといくと地下鉄名城線(めいじょうせん)の西高蔵(にしたかくら)のえきがあって、にしにいくと地下鉄名港線(めいこうせん)の日比野(ひびの)のえきがある。このふたつのえきが1989年世界デザイン博覧会の観客輸送をになった。
かわぞいの歩道からは階段をあがってはしにあがって、はしのまんなかまでいって、かわかみをみる。みぎに神社仏閣や立体駐車場。筆者がまえにおとずれた青大悲寺(せいだいひじ)もこんなかにある。ひだりに名古屋市中央卸売市場。こんなとこに名古屋市中央卸売市場があったのか。正面にみえる摩天楼もおおきくなってくる。
東岸をきたにすすんで、瓶屋橋(かめやばし)。
はしのまんなかまでいって、かわかみをみる。みぎに高層住宅群。ひだりに西濃運輸やいくつかの事業所。
東岸のうつくしい歩道をきたにすすむ。
住吉橋(すみよしばし)。アーチ橋の鉄骨がみどりいろにぬられとって、欄干(らんかん)はいしづくり、欄干のりょうわきにも石柱がたっとるっていう、しゃれたはしだ。欄干に「このさき航路はば減少、航行注意」っていう横断幕もかかっとる。いや、いまも堀川をいきかうふねがあるだ。
はしのまんなかまでいって、かわかみをみる。みぎはいくつかの事業所があったり、こだての住宅があったり、高層住宅があったり。ひだりは高層住宅群。
東岸をきたにすすみかけたとこでティーレインっていう喫茶店があって、いっぷく。じもとのひとたちのいこうみせで、期待したモーニングセットもついとった。
ふたたび東岸をきたにすすんで、尾頭橋(おとうばし)。いや、こんなとこに尾頭橋のはしがあるとはしらんかった。東海道線にあたらしくできた尾頭橋のえきは、こっから西北にちょこっとはなれたとこにあるだ。はしのすぐ西南に山二製材所。むかしは木曽川をくだって伊勢湾をよこぎってきた木曽ヒノキなんかの木材が、堀川をさかのぼってはこばれてきとっただ。堀川ぞいには製材所がいっぱいあった。
はしのまんなかまでいって、かわかみをみる。みぎもひだりも高層住宅群なだけど、ほれより鉄橋をわたる電車にめがいく。JR東海道線の313系電車がいく。JR中央線の211系電車がいく。名鉄名古屋本線のあっかい電車がいく。いっぱい電車がいきかう、たのしい光景だ。
西岸をきたにすすんで鉄橋のとこまでいったとこで、また名鉄名古屋本線のあっかい電車がいく。
みぎに橋脚、ひだりに橋台をみながら鉄橋をくぐっていく。JR東海道線、名鉄名古屋本線、JR中央線の順番にあるだけど、どれも年季のはいったもんだ。
ここでふねを発見。堀川をくだってきたふねが、鉄橋の寸前で転回してひきかえしていく。いや~、かっこいいな~。船体のひだりうしろに「名城から宮のわたし」の文字。ほんとなら宮宿までくだっていくはずなだけど、試験運航だったのか。
鉄橋をくぐりおえたとこからかわかみをみる。左右に高層住宅群。
西岸をきたにすすんで、古渡橋(ふるわたりばし)。すぐかわしもで、かわんなかにやいたをたてたりさんばしをつくったりして工事をしとるのは、かわを浄化する工事か、あるいは水深を確保するための浚渫(しゅんせつ)工事か。
はしのまんなかまでいって、かわかみをみる。左右に高層住宅群。
東岸をきたにすすんどるとこで、かわにうかぶ木材を発見。后藤木材工業や加藤材木店のへんだ。クレーンには桂川木材工業ってかいてある。木材はいかだではこばれてきたもんじゃないだらあで、にさばきのばしょとしてかわをつかっとるのか。このへんまできて、左右にぽつぽつと木材関係の事業所がある。
山王橋(さんのうばし)。にしにちょこっといくと名鉄山王駅がある。はしのうえをはしるのは名古屋高速。
はしのまんなかまでいって、かわかみをみる。すぐひだりに製材所があって、ちょっととおくのみぎがわにふなつきばがみえる。
東岸をきたにすすんで、ひだりに松重閘門(まつしげこうもん)をみる。閘門ってのはききなれんことばだけど、要は水門だ。てまえの水門がひらいたとこで、堀川からふねがはいっていく。てまえの水門とおくの水門のあいだにふねがはいったとこで、てまえの水門もとじて、このあいだのみずをぬいて水位をさげる。水位がさがったとこでおくの水門がひらいて、ふねがほのむこうの中川運河(なかがわうんが)にでていく。水位のたかい堀川から水位のひくい中川運河への航行を可能にするのがこの松重閘門だ。学校でならったパナマ運河のしくみといっしょだ。いまは、てまえの水門とおくの水門のあいだはうめたてられて、幹線道路とほのうえをいく名古屋高速になっとって、ふねがとおっていくことはできん。てまえの水門の左右のはしらのあいだからさらにおくの水門の左右のはしらのあいだをとおしてむこうに、名鉄名古屋本線をいくパノラマスーパーがみえる。すてきな光景だ。
松重閘門のとこからすぐきたに松重橋(まつしげばし)。このすぐかわしも、ひがしがわでも、また、なにやらかわの工事をやっとる。
このはしも、きれいな欄干がついとって、欄干のりょうがわの石柱のうえにはおおきなシャンデリアもあるっていう、しゃれたはしだ。
はしのまんなかから、かわかみをみる。左右に高層住宅群。
東岸をきたにすすみかけたとこで、みぎに木材会館ってのがあるのをかくにん。
東岸をきたにすすんで、日置橋(ひおきばし)。きいろいはしだ。
もともとのはしにいしづくりの欄干があって、ほのそとがわにつくられた歩道にきいろい欄干がある。1881年。1938年9月改築。
はしのまんなかから、かわかみをみる。みぎに高層住宅群。ひだりはすぐのとこにおおきなパチンコやさんがあるほか、高層住宅群。つぎのはしとのまんなかへんのひがしがわでは、また、なにやらかわの工事をやっとる。
東岸をきたにすすんで、岩井橋(いわいばし)。はしを西岸にわたって、はしのかたちをかくにん。いしづくりの欄干のついたうつくしいアーチ橋だ。欄干のりょうわきの石柱とほのうえのシャンデリアも風格がある。
はしのまんなかまでもどって、かわかみをみる。左右にビル群。
東岸をきたにすすんで、洲崎橋(すざきばし)。いしづくりの欄干のついたうつくしいはしだ。
洲崎橋のうえからすぐかわかみに新洲崎橋(しんすざきばし)。ほのうえをはしるのは名古屋高速。新洲崎橋もうつくしい欄干のついたはしで、このはしをひがしにわたったとこからとおりのはばがいっぺんにひろがって、名古屋名物100メートル道路の若宮おおどおり(わかみやおおどり)になってのびていく。
新洲崎橋からにしは、ちょこっといったとこからとおりがみちなりにみぎ45度にまがって、西北方向に名駅につながる。名鉄バスセンターから栄(さかえ)方面にむかう名鉄バスも、このみちをとおってきて、このはしをわたって若宮おおどおりをとおっていく。
新洲崎橋のまんなかから、かわかみをみる。名鉄バスセンターからのったバスの車窓からみるふうけいだ。みぎにまねきねこのカラオケビルがどかんってあって、ひだりにビル群のなかにエディオンの立体駐車場。
東岸をきたにすすみかけたとこで、とおりに木挽町どおり(こびきちょうどおり)っていうなまえがついとることにきづく。木挽(こびき)ってのは「きをひく」っていう意味で、原木にちかい木材から、角材などの材木に加工する作業のことをいう。往時はこの堀川ばたでさかんに「こびき」がおこなわれとっただ。まねきねこのカラオケビルをすぎてから、東岸には事業所がたちならぶ。
東岸をきたにすすんだとこで、対岸のエディオンの立体駐車場のとなりに津島社のほこら。堀川をいきかうふねの安全をねがってたてられたもんか。
まあちょこっといったとこで、あしもとに「名古屋大学の源流」っていういしぶみを発見。名古屋大学医学部の前身の愛知医学校と愛知病院が、1877年から1914年までの37年間、この堀川東岸にあっただげな。このいしぶみのへんから堀川の左右は高層住宅群。
さらに東岸をきたにすすんで、天王崎橋(てんのうざきばし)。
はしのまんなかまでいって、かわかみをみる。左右は高層ビル群で、完全な都心のふうけいだ。
東岸をきたにすすんで、テラッセ納屋橋(てらっせなやばし)っていう再開発ビルまでいったとこで、かわに面してたっとる福島正則(ふくしままさのり)の銅像を発見。となりにいしぶみもあってよんでみると、この福島正則が堀川を開削しただげな。豊臣がたから徳川がたに転身したあとのこと。
ほいから銅像のそばに納屋橋ほりわりあとっていういしぶみがあって、よんでみる。20世紀になって名古屋港が開港して外国貿易がはじまって、もともと尾張藩の倉庫がたちならんどったここ納屋橋にもかわみなとができただげな。納屋橋が堀川のなかでいちばん重要な地点だったわけだ。
東岸の遊歩道をきたにすすんで、納屋橋(なやばし)のはし。意匠をほどこされたうつくしいアーチ橋だ。
遊歩道からはしのたもとにあがったとこで、みちのきたがわにふぜいのあるいしづくりのたてもんを発見。しらべたら、外米なんかの輸入貿易をやっとった旧加藤商会ビルで、いしづくりじゃなくて、たてかえまえのレンガづくりのたてもんに意匠をにせてつくった鉄筋コンクリートづくりのたてもんだった。
みちは、にしに名駅に、ひがしに栄につながる、名古屋ずいいちの東西のめぬきどおり、広小路どおり(ひろこうじどおり)。とりあえず、はしをにしにわたって堀川ぞいにみなみに繁華街にはいっていく。
東岸の遊歩道をあるいとるときに対岸にみつけといたハナっていうみせにはいって、ひるごはん。たのんだのはサムギョプサル定食。堀川をながめながらゆったりとたべる。
また、はしをひがしにわたっとるとこで、ちょうどふねがやってくる。いや~、のりたいな~。
はしのまんなかから、かわかみをみる。両岸にぎっちりたちならぶ高層ビル群に、きれいに整備された遊歩道。
東岸の遊歩道をきたにすすむ。
錦橋(にしきばし)。これも意匠をこらされたうつくしいはしだ。とおりは錦どおりで、にしに名駅に、ひがしに栄につながる。また、このとおりのしたを地下鉄東山線がはしっとる。
はしのまんなかまでいって、かわかみをみる。左右にすきまなくビルがたちならぶ。
東岸の木挽町どおりをきたにすすんで、伝馬橋(てんまばし)。東岸からははしがみえるとこがなくて、西岸にまわってかくにん。
美濃路(みのじ)がひがしからきて、このはしをわたったとこできたにまがっていくっていう、重要なはしだ。地形はひがしにたかく、にしにひくい。たかだいにある城下からにしにむけて土地がひくくなっていく、ほの斜面の中間に等高線にそうかたちで南北にほられたのが堀川なだ。ブラタモリでいっとったほのことが、はっきりとわかる。
はしのまんなかから、かわかみをみる。かわもは工事中の鉄板におおわれてみえんけど、左右にビル群。鉄板のいちばんむこうにおいてあるこがた重機のすぐさきに、まあはい桜橋(さくらばし)がみえとる。
東岸をちょこっときたにすすんで、桜橋(さくらばし)。とおりは桜どおりで、にしに名駅に、ひがしに栄につながる。また、このとおりのしたを地下鉄桜通線がはしっとって、ちょっとにしにいったとこに国際センターのえきがあって、ちょっとひがしにいったとこに丸の内(まるのうち)のえきがある。
はしのまんなかまでいって、かわかみをみる。左右にビル群。ひだりすぐには東京シャトールージュ、ゴールデンハンターっていう風俗店のかんばんもみえる。
東岸をきたにちょこっとすすんで、中橋(なかばし)。都会のにぎわいからはずれたしずかなたたずまいだ。
はしのまんなかから、かわかみをみる。また左右にビル群があるだけど、ひだりのビル群のうしろには、ふるいまちなみののこる四間道(しけみち)がある。
東岸をきたにすすんで、五条橋(ごじょうばし)。
欄干がいしづくりで、みちがいしだたみになっとるしゃれたはしだ。七条橋も六条橋もなくいきなり五条橋になったわけだけど、このはしはほういう意味じゃない。名古屋のまちは、清州ごしっていわれるとおり、江戸時代に清洲からひっこしてきてできただけど、この五条橋も清洲からひっこしきたはしで、もともと清洲の五条川にかかっとったことからこのはしのなまえになったわけだ。ひがしに京町どおり、にしにアーケードのかかる円頓寺(えんどうじ)商店街につながる。また、さっきいった四間道もこの円頓寺商店街にあたるまでのびてきとるだけど、四間道から円頓寺商店街ってあるくのもたのしい。
はしのまんなかから、かわかみをみる。かわぎしからはえるきが、けっこうかわもをおおっとる。
東岸をきたにすすんで、景雲橋(けいうんばし)。はしのうえをはしるのは名古屋高速。
はしのまんなかまでいって、かわかみをみる。ビルはあんまりなくて、かわぎしからはえるきがめだつ。
東岸の木挽町どおりをきたにすすみかけたとこで、みぎに旧堀川駅あと。いまはからぼりになっとる名古屋城のそとぼりの西南のはしがここになるだけど、むかし堀川駅(ほりかわえき)があったことなんか想像もできん。いまは栄町駅(さかえまちえき)が起点にかわった名鉄瀬戸線の起点が堀川駅だっただ。せともんを電車でここまではこんできて、堀川の水運にうつしかえる。ほんな重要なやくめをはたしとったえきだ。いまはむかし。
また、木挽町どおりをきたにすすむ。みちのりょうがわにたちならぶのはひくいたてもん。
小塩橋(こしおばし)。東岸からははしがみえるとこがなくて、西岸にまわってかくにん。
はしのまんなかまでもどって、かわかみをみる。
東岸をきたにすすんで、幅下橋(はばしたばし)。東岸からははしがみえるとこがなくて、西岸にまわってかくにん。国道22号線のとおるおおきなはしだ。
はしのまんなかまでもどって、かわかみをみる。すぐさきに朝日橋(あさひばし)があって、ほのてまえ、みぎがわにふなつきば。まんだ左右に高層ビルはみえるけど、だいぶひなびたふんいきになってきた。
東岸をちょこっときたにすすんで、ひだりにまがったみちがほのまま朝日橋につながる。
はしのまんなかまでいって、かわかみをみる。完全にひなびたふんいきで、左右は中高層住宅からこだての住宅まである。
東岸をきたにすすんで、大幸橋(たいこうばし)。西岸には美濃路がここまでつづいてきとる。
東岸のみちがつきあたりになって、すぐひだりにまがってはしをわたっていく。
はしのまんなかから、かわかみをみる。
西岸にわたったとこでふりかえると、はしをわたったみちがつきあたったむこうに名古屋城のおほりがあるのがみえる。からぼりじゃなくて、みずのはってあるおほりだ。
美濃路につきあたるかたちで合流して、右折。筆者はこっから西岸をきたにすすんでいくだけど、美濃路はすぐに左折してにしにむかう。
鷹匠橋(たかじょうばし)。このはしのちょっとてまえにたっとった説明がきのかんばんをみてわかっただけど、むかし、このはしのにしがわに鷹匠がすんどったことから、このはしのなまえがつけられただげな。いま、はしのひがしがわにホテルナゴヤキャッスルがそびえたつ。
はしのたもとまでいったとこで、ホテルナゴヤキャッスルのわきから名古屋城がみえる。終着点はちかい。
はしのまんなかまでいって、かわかみをみる。堀川がゆるやかにみぎにまがっていく。
ゆるやかにみぎにまがる堀川の西岸をきたにすすむ。のどかなふうけいだ。
筋違橋(すじかいばし)。みどりいろのラーメン橋(らーめんきょう)だ。はしげたの鉄骨と欄干がみどりいろにぬられとる。
はしのうえからかわかみをみる。方向は東北方向になる。
はしは筋違橋のなまえのとおり、西岸からだとみぎに鋭角に堀川にかかっとる。ほのため、はしをわたる方向はみなみむきになっとって、おほりのすぐむこうに名古屋城の西北すみやぐらや、ちょっとひだりがわのとおめに天守閣がみえる。ここで午后2時半。堀川をあるくたびをおえて、おほりばたをほのままみなみにあるく。
(さんこう)
- 堀川をあるく - 経路図
- 鷹匠橋 - おぼえがき(ゆめてつどう)|2019/06/17
- 瀬戸線の堀川駅のあと - 2019年6月11日 - おぼえがき(ゆめてつどう)|2019/06/17
- 堀川にかかる五条橋 - おぼえがき(ゆめてつどう)|2019/06/17
- 納屋橋ほりわりあと - おぼえがき(ゆめてつどう)|2019/06/17
- 堀川にたつ福島正則の銅像 - おぼえがき(ゆめてつどう)|2019/06/16
- 愛知医学校・愛知病院あとのいしぶみ - 堀川東岸の天王崎町 - おぼえがき(ゆめてつどう)|2019/06/16
- 納屋橋で…|いわせあきひこ|フェースブック|2019年6月11日13:10
- 納屋橋でサムギョプサル定食♪ まどのそとに堀川♪
- 納屋橋でサムギョプサル定食♪ まどのそとに堀川♪
- 断夫山古墳、熱田記念橋、青大悲寺 - 神宮前からぶらぶら - あきひこゆめてつどう|2019/02/17
- 断夫山古墳のきたをとおりぬけ、熱田球場のみなみをとおりぬけたとこで、あった、あった。熱田記念橋(あつたきねんばし)があった。堀川(ほりかわ)にかかる歩行者専用のしろいつりばしだ。
- 津島社(名駅南)|名古屋神社ガイド|2017.7.31
- 松重閘門(まつしげこうもん) - あきひこのいいたいほうだい|2016/06/11
- また、ほのおくがちょっとした公園になっとって、ほの一角になにやら説明がきがある。おお、この水門、松重閘門っていうのか。くわしくよまあっておもったとこで、しろいおおきないぬをつれたおじいさんがちょうどやってきて、説明をはじめてくれる。
- 堀川MAP - 名古屋市〔PDF〕
- 名古屋市:舟運でにぎわった堀川(くらしの情報)
- 熱田の浜と城下を結ぶ舟運
- 堀川は名古屋城下の住民が必要とする大量の物資輸送の動脈でした。「尾張志」には「諸国の商船、米穀、炭、薪、竹木、器財、魚菜の類、諸雑物を運送するに此川を出入りし、府下第一の用川也」と記載されています。沿川には多くの豪商が住まいを構えて、川沿いには荷物を保管する蔵が堀川に向かって建てられていました。
- また、尾張藩領であった木曽からは良質のヒノキなどが木曽川を下り伊勢湾を横切り堀川をさかのぼって城下に搬入されました。当時の河口近くには広大な貯木場が設けられ、上流の市街地には木材を扱う商人等が住み、元木材町や木挽町(現:中区丸の内、錦、栄一丁目)などの地名を残しました。
- この図は、名古屋市博物館所蔵の広井官倉に貢米を納る図(尾張名所図会)です。
- 堀川は名古屋城下の住民が必要とする大量の物資輸送の動脈でした。「尾張志」には「諸国の商船、米穀、炭、薪、竹木、器財、魚菜の類、諸雑物を運送するに此川を出入りし、府下第一の用川也」と記載されています。沿川には多くの豪商が住まいを構えて、川沿いには荷物を保管する蔵が堀川に向かって建てられていました。
- 熱田の浜と城下を結ぶ舟運
- 旧加藤商会ビル - Wikipedia
- 名古屋に本拠を置き、主に外米などの輸入貿易を行っていた加藤商会の本社として堀川に面する納屋橋のたもと(広小路通と木挽町通の交差点)に建築された。1916年に煉瓦造りの旧社屋(地上3階・地下1階)が建てられたが、1931年には現在の鉄筋コンクリート造りのビルに建て直された。ちなみに外観のデザインは旧ビルとほとんど変わらないという。1935年、加藤商会の創業者でビルの所有者であった加藤勝太郎がシャム国(現在のタイ王国)より名誉領事に任命された事から、1945年まで領事館が置かれた。
- 加藤勝太郎の死后、1957年に加藤家は加藤商会へとビルを売却。1967年には中埜産業(ミツカングループの資産管理会社)へと再度売却されて同社の名古屋支店となったが1971年には倉庫となり、その后はビル全体を看板で覆って広告塔となっていた時期が長く続いた。2000年、中埜産業から名古屋市に建物が寄付され、翌年2001年4月、国の登録有形文化財に登録。2003年から修復改修工事が行われ、2005年以降は地上部にタイ料理店が、地下1階には市民向けのギャラリーが置かれている。
- 堀川でふなたび♪ - 2022年目標! - あきひこゆめてつどう|2018/01/06 〔ついか〕
- 堀川散策えまき - 2019年6月26日 - おぼえがき(ゆめてつどう)|2019/07/12 〔ついか〕