2019年6月にじゅうよっかは蒲郡(がまごおり)までいく。ふるい8時ちょうどの吉良吉田(きらよしだ)いきふつうから蒲郡いきふつうにのりかえて、9時ちょうどに蒲郡につく。
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ふるいからみなみいきのあっかい電車にのる。8時ちょうどの吉良吉田いきふつうで、4両編成の鉄仮面に30人がのりこんでいく。座席が満席なのはもちろん、たちきゃくも定員の8わりっていうこみようだ。
桜井(さくらい)に停車。あんじょうみなみ高校の生徒らがおりたりして、なんにんかいれかわる。
南桜井(みなみさくらい)に停車。アイシンエイダブリュの社員さんらがどばーっておりて、たちきゃくはなくなる。
いまおりたひとらが列をなしてふみきりまちするとこを、わが吉良吉田いきふつうはいく。アイシンエイダブリュの会社はみぎがわだ。
あんじょうしの区域から西尾市の区域にはいって、米津(よねづ)に停車。あっかい電車といきちがい。しんあんじょういきふつうは2両編成のかんつうがた。ここでのってきたぶんだけたちきゃくになる。
矢作川(やはぎがわ)をわたって、桜町前(さくらまちまえ)に停車。わが母校西尾高校の生徒らがおりる。
西尾口(にしおぐち)に停車。
西尾(にしお)に停車。はんたい線にまっとったあっかい電車がでていく。新可児(しんかに)いき急行はかんつうがた。
乗客がどばーっていれかわって、うしろ2両をきりはなして、西尾をしゅっぱつ。こっからは西尾鉄道が布設した区間になる。西尾線は、ふるいをふくむしんあんじょうから西尾までのあいだは、名鉄の前身愛知電鉄のこがいしゃ碧海電鉄(へっかいでんてつ)が1926年から1928年にかけて布設しただけど、西尾から吉良吉田までのあいだは、いまはなき西尾鉄道が1915年に布設しただ。岡崎から西尾をとおって平坂(へいさか)までいっとった西尾鉄道の線を、西尾でみなみ方向に分岐するかたちで延伸しただ。いや、おどろくことにこっからさきの区間のほうが歴史がふるいだ。
福地(ふくち)に停車。あっかい電車といきちがい。しんあんじょういきふつうは2両編成のきんぎょばち。ここでぞんがいにのってくる。
上横須賀(かみよこすか)に停車。2、3人のってくる。ぞんがいにすくない。
すきでたっとるひとをすわらせると満席になってたちきゃくはなくなるっていう状態で、8時27分、終点の吉良吉田(きらよしだ)は3番のりばにとうちゃく。下車。西尾線ののりばはこの3番のりばとむかいの4番のりば。
のりかえかいさつをとおって蒲郡線(がまごおりせん)ののりばである2番のりばに移動したとこで、むかいがわにまぼろしの1番のりばがあるのをかくにん。相対ホームをなすこの1、2番のりばがいまはなき三河線ののりばだって、以前は西尾線と直通運行しとった蒲郡線ののりばは、西尾線ののりばとおんなじ3、4番のりばだっただ。
ところでこの1、2番のりばのにしがわのふみきりを、高校生らがみなみにわたっていくのがみえる。
どこにいくのかっておもったら、1番のりばのみなみがわにある自転車おきばだった。吉良高校の生徒らがこっから自転車にのりかえていくのか。
ちょっとして2番のりばにあっかい電車がはいってくる。おりかえし蒲郡いきふつうになる吉良吉田いきふつうは、6011編成2両のかんつうがた。いや、いつも蒲郡線にのりかえるときはさきに電車がまっとって、乗客のまっとるホームに電車がはいってくるっていう光景が新鮮だ。
方向幕が蒲郡いきふつうにかわるのをまって、電車にのりこむ。いや、ほかのひとたちはさっさとのりこんどる。
8時33分、吉良吉田(きらよしだ)をしゅっぱつ。乗客は座席に4わり。こっから終点の蒲郡(がまごおり)まで電車はひがしにすすむ。
いつもははんたい電車のまっとる三河鳥羽(みかわとば)は、いきちがいなし。
わずかなのりおりがあって、しゅっぱつ。
うみだ。西幡豆(にしはず)をでて東幡豆(ひがしはず)のまちがみえてきたとこで、みぎてに三河湾(みかわわん)のうみがみえてくる。
こどもの国(こどものくに)はのりおりなし。ここが西尾市の区域のはずれになる。
蒲郡市の区域にはいって、西浦(にしうら)に停車。どういうわけか、わかいおんながなんにんかのってくる。おそい出勤のひとたちで、こっからひがしは蒲郡への流動があるのか。
はんたいからあっかい電車がくるのをまって、しゅっぱつ。
形原(かたはら)に停車。10人のってくる。
ふみきりをとおって、しゅっぱつ。
国道247号線をこえていくとこで、道路ごえの部分だけみぎに複線用地があるのをかくにん。
三河鹿島(みかわかしま)に停車。6人のってくる。しゅっぱつしたとこで、乗客は座席に5わり。吉良吉田をしゅっぱつしたときよりちょこっとふえとる。
ひだりからきた東海道線ととなりあわせになって、蒲郡競艇場前(がまごおりきょうていじょうまえ)に停車。おどろくことに、ここで数人おりる。つぎが東海道線と連絡する、終点の蒲郡だっていうのにだ。こせんきょうで東海道線の三河塩津(みかわしおつ)のえきとつながっとるだけど、みんなここで東海道線にのりかえたのか。ちなみに、ホームでひとりまっとったひとは、のってこんかった。蒲郡でおりかえしてきたとこでのるだったのか。
高架をあがって、東海道線とならんでいく。
定刻の9時より2分ぐらいおくれて、しましきホームの蒲郡(がまごおり)はひだりがわの2番のりばにとうちゃく。下車。
地平のかいさつをぬけて、きたぐちにでる。
えきまえロータリーきたがわにみつけた CHATARO っていうみせにはいって、モーニングセットを注文。店内をみると、「大峰山(おおみねさん)陀羅尼助丸(だらにすけがん)西浦清六」だの「陀羅尼助屋(だらにすけや)」だののかんばんがはってある。みせの大将もただもんじゃないふんいきをただよわせとる。きいてみると、大将は大峰山で山伏(やまぶし)の修行をやっとったことがあるとのこと。あの、断崖絶壁のいわばにロープ1本でさかさづりにされるような修行だ。おそるべし。ほいから、このみせのほかに、すぐめとはなのさきにある地下街にやきとりやもやっとって、3時半からはほっちにいくだげな。喫茶店のほうはおくさんと交代するだげな。いや、また、やきとりやのほうにもいって、大将のはなしがききたいな。
いっぷくしたとこで、蒲郡北駅前交差点からきたにのびるとおりにはいっていく。はいいろのブロック舗装のしてある、はばのせばい、歩行者優先のとおりだ。えきまえからこういうとおりがのびとるってのが、すばらしい。
広小路交差点で市役所どおりをよこぎって、さらにきたへ。
広小路交差点から街路灯のかんばんが「駅前商店街」にかわって、とおりはずーっとつづいていく。
銀座どおりにあたるとこで、駅前商店街はおわり。このあとは、銀座どおりをふくむ、西町と東町のまちあるきをする。
(さんこう)
- 乗車記録 - 2019年6月にじゅうよっか、げつようび、平日
- 西ノ郡村と蒲形村が合併して蒲郡村になる - あきひこゆめてつどう|2019/04/18
- 1890年の地図で、開通したての東海道線のちょっときたに蒲郡村がある。東西のとおりに宅地が密集しとる。中心よりちょっとにしの、とおりがクランクしとるとこからみなみにみちがのびとるだけど、ほのみちが東海道線と交差するとこの東北がわにわずかに宅地がみえるだけど、ひょっとしたらここができたてほやほやの蒲郡のえきのとこだったのかもしれん。かかりいんのひとのはなしで、蒲郡のえきはさいしょ、いまのとこよりにしにあったっていうことだった。
- ほいで、いまの蒲郡市のうちのどのへんになるのかきくと、住宅地図をだしてしめしてくれる。1890年の地図のクランクのとこが、いまの中央本町交差点になるだげな。交差点の東北かどに小池商事っていうみせがある。ほー、ほんとのまちなかだ。いまも、往時のおもかげがあるのかないのか、にぎわっとるのかさびれとるのか。また、おとずれてたしかめてみるよ。
- 西三河の鉄道のうつりかわり5回め=西尾鉄道の延伸と三河鉄道の延伸 - あきひこゆめてつどう|2017/08/05