2019年8月はつか、竹鼻線(たけはなせん)は江吉良(えぎら)からつづく線路あとをたどった。
◇ ◇
さいしょは西尾線。ふるい6時49分の岩倉いき急行にのる。あっかい電車は6000系統鉄仮面。きたにすすんで、6時57分、名古屋本線に合流するしんあんじょうは3番のりばにとうちゃく。下車。対面の4番のりばにきた6時59分の一宮いき急行にのる。あっかい電車は3500系きんぎょばち。車内はすいとって、たちきゃく2わり。
にしにすすんで、7時4分、知立(ちりゅう)にとうちゃく。下車。ホームに設置してある券売機で特別車両券をかわあっておもっただけど、どの電車も満席。あきらめとったとこで、やってきた知立7時14分の岐阜いき特急の特別車にわずかに空席があるのをかくにん。のりこむ。パノラマスーパーはあいとった2号車3Dにすわっていく。ひだりまどがわのはしらまえ。車掌さんがまわってきて車内精算。360円。列車番号は75。名古屋市内にはいって、神宮前でかなりおりる。金山でもかなりおりる。名古屋でのこっとったひとのほとんどがおりる。
きたにすすんで庄内川をわたる。ひだり曲線のちょくごに鉄橋をわたるかたちになるだけど、うしろから2両めの2号車のまどから全8両編成の電車のまえ4両がみえるぐらいの急曲線だ。津島線がひだりに分岐する須ヶ口(すかぐち)を通過したとこで、ふみきりをわたっていく男子中学生ふたりをみる。
濃尾平野をきたにすすんで、一宮に停車。ひだりに停車中の尾西線(びさいせん)津島いきふつうに高校生らがいっぱいのっとるのをかくにん。木曽川をわたってすぐ、8時2分、笠松は2番のりばにとうちゃく。下車。えきがみぎ曲線のなかにあるだけに、停車中の電車のかたむきのすごいこと。さて、こっからひだりに反転分岐する竹鼻線にのっていくだけど、いっかいかいさつをでる。
まんだあさの通勤時間帯で、電車にのるひとがつぎからつぎへと竹鼻線のふみきりをわたってやってくる。これからのる笠松8時14分の新羽島いきふつうも、まあはい1番のりばにとまっとるのがみえる。あっかい電車は6007編成4両の6000系かんつうがた。かいさつをはいりなおして、電車にのりこんでしゅっぱつ。さっきわたった木曽川に平行するかたちで、西南方向にすすんでいく。ベンチシートにぬのカーテンの車内に、乗客は座席に8わり。これまでもちこたえとった天気だけど、笠松をでたとこであめがふりだす。西笠松に停車。はんたい電車のとうちゃくをまって、しゅっぱつ。あっかい電車は3525編成4両の3500系きんぎょばち。柳津(やないづ)でなんにんかおりて、乗客は座席に5わりにへる。
南宿(みなみじゅく)に停車。はんたい電車のとうちゃくをまって、しゅっぱつ。ぎんいろ電車は4両編成の3300系。
きのまくらぎの線路を電車は時速80キロですすむ。不破一色(ふわいしき)のへんであめがこやみになる。
ひだりかためんホームの竹鼻に停車。なんにんかがおりるだけど、ホームにまっとったひとたちはのってこん。はんたい電車をまっとるだ。笠松からここ竹鼻までの8.6キロが竹鼻線の第1次開業区間になる。
竹鼻をでて電車はぐいーんってひだりにまがる。みなみにむきをかえて、あっかい電車がはんたい線にまっとる羽島市役所前に停車。はんたい電車は3505編成4両の3500系きんぎょばち。路線のなまえも竹鼻線で、むかしは竹鼻が羽島市の代表駅だったはずだけど、いまはこっちの羽島市役所前にほの座をゆずったみたいで、ここでわが新羽島いきふつうからもようけおりて、乗客は座席に2わりにへる。竹鼻からさきは、竹鼻線の第2次開業区間になる。
8時35分、みぎかためんホームの江吉良にとうちゃく。下車。ここでおりたのは筆者のほかにひとりだけ。あめはやんだ。こっからみなみが竹鼻線の廃線区間だ。竹鼻線の江吉良からみぎに分岐して、東海道新幹線岐阜羽島と連絡する新羽島までいく羽島線があとからできただけど、いまは江吉良からみなみの竹鼻線は廃線になって、竹鼻線から羽島線へと直結になった線路を電車はみぎにまがっていく。 電車をおりたホームからまあはい線路あとがみなみにつづいとるのがみえる。どこまでつづいとるのか。
江吉良のえきからちょこっとみなみにいったとこのふみきり、いや、もとふみきりっていうべきかもしれんけど、あえてふみきりっていう、からさらにみなみに線路あとがつづく。レールこそないもんの、砕石はむかしのままにひいてあって、ちょっとむこうからはソーラーパネルが線路あとをおおっとる。
このあと自転車をかりにいって、ほの自転車で移動。やんどったあめがまたふってきて、ちょっとたいへん。
まあちょっとみなみのふみきりからきたをみる。くさばえのむこうにソーラーパネルがあって、ほのむこうに新羽島いきのあっかい電車がまがっていくのがみえる。むかしはまっすぐにこっちにきとった電車だ。
おんなじふみきりからみなみをみる。くさばえだ。
いったんひだりがわの住宅街をまわってから線路あとのほうにもどって、牧野のえきをさがす。もちろんえきのあとだ。ちょうど、あめんなかそとにでとったきれいなおんなのひとがおって、きいてみると「すぐほこにありますよ」とのこと。あった。線路あとをおおうソーラーパネルのひだりがわにしっかりホームがのこっとる。
また、ひだりがわの住宅街をまわってから線路あとのほうにもどって、渡六毛織のこうばのとこのふみきりからみなみをみる。ソーラーパネルがしっかり線路あとをおおっとる。
ひだりがわの住宅街からみなみにいったとこで、線路あとと交差。道路自体が変則的な五差路になっとるとこを、線路あとがみぎうしろからきてひだりむこうにとおっていく。こっからみなみ、とうぶんのあいだ、道路がみぎがわ、線路あとがひだりがわっていう位置関係がつづく。道路はこのさき、木曽川と長良川にはさまれた輪中地帯の田園集落をむすんで八神(やがみ)の集落につながるもんで、便宜的に八神街道ってよぶことにする。八神街道がみぎ、線路あとがひだりだ。
(※ 名神高速のしたからきたむきにさつえい)
八神街道をちょこっとみなみにいって、交差する名神高速のしたに長間(ながま)バス停があるのをかくにん。バス停は、この八神街道をはしる羽島市コミュニティーバスのもんだ。ほっから名神高速のしたをひだりにいったとこで、あっけなく長間(ながま)のえきのみぎかためんホームを発見。線路あとはあんまりくさばえになってなくて、いまにも電車がやってきそうなふんいきだ。
長間のえきからみなみをみる。東海道新幹線のしたをくぐって、線路あとがみなみにのびる。
すぐひだりに線路あとをみながら八神街道をみなみにすすむ。あめもあがってきた。
線路あとがちょこっとひだりにはなれて、八神街道ぞいのまちなみをみながらいく。
みちのひだりがわ、円空(えんくう)資料館バス停にとうちゃく。中区(なかく)のえきのあったとこだ。名古屋市の中区じゃなくて、羽島市上中町(かみなかちょう)のなかの中(なか)っていう地区だ。
円空資料館バス停となりのふみきりからみなみをみる。くさばえがちょこっとつづいたむこうに、やっぱりソーラーパネルがみえる。
おんなじふみきりからきたをみる。はばのひろいあたらしい道路ができとって、おおきなトラックなんかもいきかっとる。ちょこっとの区間、線路あとが道路に転換されとるだ。
このふみきりをわたってちょっといったとこにある、円空資料館によりみち。ここが円空上人のうまれたとこ。円空上人はきぼりの仏像をいっぱいほったことでしられる。まえに竹鼻のまちをおとずれたときに、クルマどおりのりょうがわにふしぎなかたちの木像がたちならんどってふしぎにおもっただけど、羽島市の象徴としてほういうふうにしてあっただ。円空上人うぶゆのいどをみたあと、拝観料300円をはらって中観音堂にはいる。数人はいると満員になっちゃうぐらいのちいさなお堂で、正面に本尊十一面観音像があって、左右にもなんたいかの仏像。さつえい禁止。テープの説明をきいて、かかりのおじさんの説明をきく。べつむねの円空資料館に移動。こっちはさつえいだいじょうぶ。また、テープの説明をきいて、かかりのおじさんの説明をきく。ところで、線路あとのことをちょこっときいてみると、さっき一部区間が道路に転換されとるのをみたとこだけど、じもととしてはほかのとこも道路にしてほしいっていう要望があるとのこと。いや、ほれは八神街道ぞいの田園集落の生活環境や景観をそこなうもんでしかないじゃないかって内心おもった。じっさい、羽島市南部の輪中地帯を南北にはしる道路は、この八神街道よりにしに、おおきなトラックががんがんはしれるみちが2本もあるだ。さて、かえりぎわになって、かかりのおじさんが「じつは、わたしたちはボランティアでこの中観音堂と円空資料館の当番をしとる。中地区の住民が半日交代で当番にあたっとるだ」っておしえてくれる。いや、ふつうなら市の職員なり市の委託をうけた人間なりがやるべきとこを、住民がボランティアでやっとるとはおどろきだ。中地区のひとたちがいかに円空上人をほこりにおもっとるかだ。
また八神街道をみなみにすすんで、上中コミュニティーセンターのとこのふみきりからきたをみる。砕石のあいさから雑草がのびてきとる。このふみきりからみなみのへんに沖のえきがあったはずだけど、ようわからん。
またみなみにすすんで、八神街道のみぎにおおきな廃工場があるとこをひだりにはいったとこのふみきりからみなみをみる。くさばえのむこうにソーラーパネルがみえる。
八神街道をずーっとみなみにすすんで、市之枝(いちのえだ)バス停。
市之枝バス停から線路あとのほうにいったとこで、ふみきりのすぐみなみ、ソーラーパネルのしたに市之枝のえきのホームを発見。ここは線路あとだけじゃなくて、ホームまでソーラーパネルでおおっとるだ。
また八神街道をみなみにすすんでいくとこで、羽島市コミュニティーバスとすれちがい。さいしょはこのバスで移動することをかんがえとった。
石田バス停にとうちゃく。
石田バス停から線路あとのほうにいったとこのふみきりからみなみをみる。ソーラーパネルがある。このへんに美濃石田のえきがあったはずだけど、ようわからん。
このふみきりをほのままわたって住宅街にはいったとこで、おてらのかねがなるのがきこえる。こんなひるまにおてらのかねがなるのか。いってみると、おてらのわかおくさんがかねをついとるとこで、つきおわったとこできいてみたら「毎日11時半についてます」とのこと。「ひるごはんのしたくをしてくださいねってつたえるかねですね」って感想をつたえて、おてらにおまいり。
おてらからほのままみなみに住宅街をぬけて、たんぼんなかをすすんでいくとこで、みぎ、線路あとにずらーってソーラーパネルがならんどるのがみえる。
ひだりはまあすぐほこに木曽川の堤防がみえる。
またしばらくみなみにすすんでから、線路あとのほうにもどったとこのふみきりからみなみをみる。やっぱりソーラーパネルがある。
八神街道をちょこっとみなみにすすんで、正専寺(しょうせんじ)のまえに北河原バス停をかくにん。
また線路あとのほうにいって、ふみきりからみなみをみる。さっきのふみきりよりちょこっとみなみのとこだけど、ここもソーラーパネルがある。このへんに正専寺前のえきがあったはずだけど、ようわからん。
また八神街道をみなみにすすんでいくとこでひだりをみると、ソーラーパネルのおいてある線路あとがぐいーんってみぎにまがっていくのがわかる。ほのむこうには、ひるごはんを予定しとる魚勝(うおかつ)もみえる。
八神街道を八神の集落のまんなかの交差点までいったとこで、左折。東西のみちをちょこっとひがしにいったとこでふみきり。このふみきりから東北方向に線路あとをみる。さっきぐいーんってみぎにまがっていくのがみえた線路あとがここにつながってきとるだ。
おんなじふみきりからうしろ、西南方向にすぐ八神のえきのホーム。半壊の状態で、くさにうもれかけとる。
ホームの部分もまんだみぎ曲線のとちゅうにあって、湾曲したホームのいちばんむこうのはしは、にしむき。ほっから八神街道をこえて線路あとがにしにつながっとるだけど、やっぱり線路あとにはソーラーパネルがある。ここまでたしかめたとこで、どっからかチャイムがきこえてくる。さっきはおてらのかねをきいただけど、こんどはチャイムだ。ちょうど12時。ひるごはんの時間になったことをしらせるチャイムだ。
八神のえき東北のふみきりからひがしにちょこっといって、魚勝にとうちゃく。くつをぬいでうえにあがって、さいしょにうけつけ。うなぎどんぶりは、なみ、上、特上ってあるうちの特上を注文。2,110円をはらうのとひきかえに57番の番号ふだをもらって、席さがし。たたみじきのひろまがいくつかあるだけど、どこもあいた席がない。とほうにくれとったとこで配膳のひとがあっちのひろまがあいとるよっておしえてくれて、やっと席につく。さきにすわっとったひとたちも、まんだ料理がきてないひとたちがおおい。ちょっとして、となりの46番のひとの席に料理がはこばれてくる。さきはながいぞ。まつあいだに、これまでとってきた写真のかくにん。12時45分、ついに57番の特上うなぎどんぶりがはこばれてくる。いや~、満足、満足。配膳のひとがまちがえてもってきちゃったすいもんを、まちがいにきづきつつおいてってくれるっていうおまけつき。
はらごしらえができたとこで、ちょこっと観光。魚勝からすぐひがしの木曽川堤防のしたにいって、八神渡船のあとのいしぶみをみる。桑原町八神から対岸の祖父江町(そぶえちょう)にわたるもんで、八神城主であり名古屋藩宿老である毛利氏が名古屋城登城のために設置されたもんだとのこと。ほー、この羽島市南部のかたいなかに名古屋藩の高官もつとめる有力な城主がおって、ほの城主が名古屋城にかようためにできたのが八神渡船ってわけだ。さらに、明治以降も個人経営から県営とひきつがれるも、1976年馬飼大橋の完成で八神渡船は廃止になったとのこと。いや、やむをえんだらあな。馬養大橋はいま地図をみてみると、木曽川をこっから2キロくだったとこにあるはしだ。
木曽川堤防にあがって、往時をしのぶ。
つぎに、八神の集落のみなみのほうにいって、八神城あとをみる。見当をつけてすすんでいったとこで、はんたいから自転車にのってやってきたおじさんがあって、きいてみると「まあちょっといったすぐみぎにあるよ。標柱がたっとるだけだけどね」とのこと。たしかに民家のにわさきに標柱がたっとるだけだった。かくにんできたことでよしとして、観光をきりあげる。
八神の集落のまんなかの交差点までもどる。いや、集落って表現しとるけど、じっさい魚勝以外にも食堂があったり、みせがいくつかあったり、郵便局もあったりで、そこそこのまちだ。交差点を左折して、東西のみちをにしにすすむ。この東西のみちのひだりがわに線路あとが平行するっていうかたちになる。
ちょこっとにしにすすんで左折。ちいさな集落をぬけたとこで、線路あとと交差するふみきり。このへんに桑原のえきがあったはずだけど、ようわからん。ふみきりからひがしの線路あとは、くさばえになっとる。
おんなじふみきりからにしの線路あとは、また、ソーラーパネルがならんどる。
(※ 大須橋のうえからひがしむきにさつえい)
東西のみちにもどって、またにしにすすんで、大須橋をわたるとこで、うしろむきに線路あとをかくにん。やっぱりソーラーパネルがならんどるだけど、ちょうどおとこのひとがでてくるのをかくにん。ソーラーパネルの管理をするひとだったのか。
東西のみちを桑原町東方(くわばらちょうひがしかた)交差点までいって左折。ちょこっとみなみにいったとこで、線路あとと交差。にしに、くさばえになっとる線路あとのほうにはいっていく。
線路あとがいきどまりになったとこで、みぎにくさばえのひろば。くさかりをしとったおじいさんにきいてみると、ここが竹鼻線の終点、大須のえきのあったとこだった。竹鼻からここ大須までの8.4キロが竹鼻線の第2次開業区間で、ほのうち江吉良から大須までの6.7キロが2001年10月ついたちに廃止になった区間だ。
大須のえきのきたがわはごく小規模のまちになっとって、ほのまちのきたがわに大須観音がある。「大須観音があって門前町があった」っていう関係だったのかもしれん。大須観音におまいりして説明がきをよんでみると、「この地にあった大須観音を1612年に徳川家康が名古屋に移転。ほのあと、この地に村民があらたな大須観音をたてた」とのこと。
線路あとをたどるたびをおえて、かえりの電車にのるべく新羽島のえきにむかう。
(さんこう)
- 乗車記録 - 2019年8月はつか、かようび、平日
- ふるい 6:49 → (岩倉いき急行) → 6:57 しんあんじょう
〔5.7km、8分、42.8km/h〕 - しんあんじょう 6:59 → (一宮いき急行) → 7:04 知立
〔4.8km、5分、57.6km/h〕 - 知立 7:14 → (岐阜いき特急【特別車】) → 8:02 笠松
〔52.0km、48分、65.0km/h、ふるいから笠松まで1,400円(乗車料金1,040円+特別車料金360円)〕 - 笠松 8:14 → (新羽島いきふつう) → 8:35 江吉良
〔10.3km、21分、29.4km/h、350円〕
※ 笠松でとちゅう下車せんかったら=ふるいから江吉良まで1,620円(乗車料金1,260円+特別車料金360円)
- ふるい 6:49 → (岩倉いき急行) → 6:57 しんあんじょう
- 東岡崎いきふつう - 2019年8月はつか - おぼえがき(ゆめてつどう)|2019/08/22
- 特上うなぎどんぶり♪…|いわせあきひこ|フェースブック|2019年8月20日12:50 〔※ 限定公開〕
- 特上うなぎどんぶり♪
すいもんはたのんでなかったけど、配膳のにいちゃんが「まちがえてもってきちゃったけど、どうぞ」ってことでいただく♪
竹鼻線旧八神駅ちかくの魚勝で
- 特上うなぎどんぶり♪
- おちょぼいなりでうなどん♪ - 2019年8月16日 - あきひこのいいたいほうだい|2019/08/16
- 竹鼻線のたび〔前編〕 - 2018年7月18日 - あきひこゆめてつどう|2018/08/02
- 2018年7月18日、竹鼻線(たけはなせん)のたびをした。岐阜をしゅっぱつして名古屋本線で笠松までいって、笠松で竹鼻線にのりかえて竹鼻までいって、竹鼻のまちあるきをして、竹鼻のつぎの羽島市役所前からまた竹鼻線と羽島線で新羽島までいって、新幹線の岐阜羽島のえきをみて、おりかえし江吉良(えぎら)でとちゅう下車しながら岐阜にもどるっていうたびだ。
- まずは前編として、岐阜をしゅっぱつしてから竹鼻のまちあるきをするまでのようすを紹介する。
- いっかい竹鼻商店街からはなれて、平成橋をにしにわたったとこのクルマどおりにいってみると、ふしぎなかたちの木像のたちならぶとおりになっとった。説明がきもみあたらんかっただけど、あとでしらべたらこれは円空像だった。竹鼻は円空の出生地ともいわれとるだげな。ほー。
- 名鉄竹鼻線 - Wikipedia