今週のすいようび、2019年9月よっか、笠置(かさぎ)っていうちいさなまちにいってきた。関西線で三重県から京都府にはいるってかたちでだ。いや、この、三重県から京都府に直接鉄道ではいっていけるってことにおどろいたのがはんとしまえのことで、ほれからずーっと「いかにゃいかん」っておもっとったことをついに実行した。行程はJR東海区間を名古屋から亀山まで、JR西日本区間を亀山から笠置までっていう2段階になるだけど、それぞれの乗車のようすに、いったさきで笠置山の観光をしたようすをあわせて以下に紹介する。
〔名古屋駅 → 亀山駅 → 笠置駅 → 笠置山〕
◇ ◇
しゅっぱつは名古屋から。かいさつをはいってホームにあがってまっとるとこで、12番のりばに4両編成の313系電車がはいってくる。JR東海の高性能通勤車両だ。これがおりかえし亀山いきふつうになる電車なだけど、とまってとびらがひらくや、なかからどばーって乗客がでてくる。あさの通勤ふうけいだ。しらべると桑名始発の名古屋いきふつうだ。
おりきるのをまって、名古屋8時26分の亀山いきふつうにのりこむ。車両番号は、先頭車両がクモハ313-1101。シートはあおいろの転換クロスシートで、乗客は座席に3わり。
ひだりにワイドビューが停車するなか、みぎに鳥羽いき快速みえがはいってきて、さらにみぎのあおなみ線から金城ふ頭いきふつうがでていったのをおうように、わが亀山いきふつうもしゅっぱつ。新鮮な光景だ。進行方向はみなみむき。新幹線がいくしたをくぐってみぎにまがって、進行方向をにしむきにかえる。
ひだりにあおなみ線ささしまライブのえきがあるとこで、名古屋いき区間快速とすれちがい。こっちとおんなじ313系電車。みぎにひろがる車両基地をすぎたとこで、線路はほれまでの複線から単線にかわる。
単線で高架をあがったとこで、みぎに近鉄の名古屋いきふつうとすれちがい。あおい車体に、したにきみどりとみどり、ふかみどりの3本のおびがはいっとるっていうおもしろい塗装だ。
線路が上下線に分岐して、ひだりかためんホームの八田(はった)に停車。はんたい線はしましきホーム。
しゅっぱつするとこで、関西線電車と近鉄電車といっぺんにすれちがい。関西線が313系の名古屋いきふつうで、近鉄が、近鉄標準塗色であるあかちゃいろの車体の名古屋いき急行。
えきをでて、また単線で高架をいく。地平におりて、近鉄の線路が関西線のうえをこえてひだりにでる。庄内川をわたる。わが亀山いきふつうが時速90キロで快調にすすむ。絶対的な速度はぜんぜんはやくないけど、線路がとってもよう整備されとって、はしりあじがじつになめらかなだ。JR東海の美点だ。どてうえ高架になって、またコンクリート高架になる。
線路が上下線に分岐して、相対ホームの春田(はるた)に停車。えきをでて、また単線になって、高架をおりる。地平をすすんで、福田川っていうちいさなかわをわたる。愛知県内、関西線はゼロメートル地帯をいく。
線路が上下線に分岐して、相対ホームの蟹江(かにえ)に停車。上下線のほか、ほのあいだにホームのないなか線もある。ここで3分まち。
はんたいホームは、ひとがいっぱいまっとるとこに4両編成の名古屋いき快速みえが通過していく。ほれからしばらくして、わが亀山いきふつうがしゅっぱつ。つぎのはんたい電車がきてしゅっぱつになったのかっておもったら、はんたい電車もなくしゅっぱつ。はんたいホームにおるひとたちはまんだまたにゃいかんのか。
えきをでて、また単線をいく。蟹江川(かにえがわ)っていうちいさなかわをわたる。架線柱がひだりかたもち式の電柱になる。
しずしずと日光川をわたる。
線路が上下線に分岐して、相対ホームの永和(えいわ)に停車。さきにまっとった313系の名古屋いきふつうが、いきちがいにでていく。蟹江のはんたいホームでまっとったひとたちは、この電車をまっとっただ。ここも上下線のほか、なか線がある。えきのみぎにたんぼがひろがる。
えきをでて、また単線をいく。善太川(ぜんたがわ)っていうちいさなかわをわたる。
線路が上下線に分岐して、白鳥信号場(しらとりしんごうじょう)をいく。単線区間のなかにいきちがいのためにつくってある設備だ。左右はたんぼ。まあちょっとで単線にもどるっていうとこで、一旦停車。とまった電車のすぐめのまえにはふみきりがあって、ふみきりまちをしとるクルマがいっぱい。この一旦停車にはいらついただらあな。また単線にもどって、時速90キロでなめらかにすすむ。
線路が上下線に分岐して、ひだりかためんホームの弥富(やとみ)に停車。ここもやっぱり上下線のほか、なか線がある。なか線があるえきがいっぱいあるのは、貨物輸送のために必要なのにちがいない。はんたい線はしましきホームで、うちがわに313系2両編成の名古屋いきふつうが停車中。そとがわは、こっからみぎに分岐する名鉄尾西線(びさいせん)ののりばになるだけど、とまっとるかっておもったあっかい電車はとまっとらん。
弥富をしゅっぱつ。こっから複線だ。
しましきホームの長島に停車。上下線のあいだがおおきくあいとって、しましきホームだけどホームりょうはしがすぼまってない。ひだりにちょっとはなれたとこに、近鉄長島のえきがかいまみえる。
揖斐川鉄橋で長良川と揖斐川をいっぺんにわたる。すぐひだりは近鉄の鉄橋。わたってすぐ、ひだりにぐいーんっておおきくまがって、進行方向をみなみむきにかえる。すぐひだりに近鉄の線路がならんできて、まるで複々線みたいにみえる。近鉄の線路が関西線のうえをこえてみぎにでる。
名古屋いき快速みえとすれちがい。蟹江でもすれちがった快速みえだけど、伊勢志摩と名古屋をむすぶ高性能気動車だ。
ひだりかためんホームの桑名に停車。はんたい線はしましきホーム。
はんたいホームそとがわに、313系の名古屋いきふつうがとまっとるのをかくにん。桑名をしゅっぱつして、単線になる。
みぎ近鉄の益生(ますお)のえきをすぎたとこで、また複線にもどる。
複線をすすんで、町屋川鉄橋をわたる。ひだり曲線になったっておもったら、みぎ曲線。直線になって、時速100キロですすむ。
相対ホームの朝日に停車。はんたいホームに簡易改札機があるのをかくにん。
ひだり曲線をすすんで、朝明川(あさけがわ)鉄橋をわたる。
くろい貨車もとまっとるだだっぴろい構内にはいって、富田(とみだ)はしましきホームのひだりがわ3番のりばに停車。はんたい線はかためんホーム、1番のりばで駅舎に直結しとる。ここで7分停車。
まつあいだに、1番のりばを名古屋いきワイドビュー南紀がかけぬけていく。
まえのほう、ひだりがわに電気機関車を発見。DF200-205はレッドベアー。北海道におるもんだっておもっとっただけど、こんなとこにもおったのか。このあと太平洋セメントのくろい貨車に連結。三岐鉄道沿線のセメント採掘場から三岐鉄道できたやつにちがいない。
鳥羽いき快速みえが2番のりばをかけぬけていく。わが亀山いきふつうが名古屋をしゅっぱつするときに、となりののりばにおった列車だ。これにのってこのさきの四日市で亀山いきふつうにのりかえることもできただけど、亀山まで1本の列車でいけることを優先した。
1番のりばに2両編成313系の名古屋いきふつうがとうちゃくして、富田をしゅっぱつ。また単線になる。関西線は複線になったり単線になったり、いそがしい。
単線から複線になって、すぐに相対ホームの富田浜(とみだはま)に停車。みぎに富田中学校。校庭に体操服をきて体育ずわりをしとる生徒らがみえる。富田浜をしゅっぱつ。複線の直線を時速110キロですすむ。
海蔵川(かいぞうがわ)をわたるとこで、ひだりに四日市のコンビナート群。
えきからでてきた名古屋いき区間快速とすれちがい。313系電車じゃなくて、ふるい211系電車だ。
だだっぴろい構内の四日市はしましきホームひだりがわに停車。四日市は三重県ずいいちの大都市なのに、関西線四日市のえきはこのしましきホームひとつだけとは。線路群のひろがる貨物駅のなかにぽつんって旅客駅がある。とまっとるあおい貨物列車はガソリン貨車。四日市のコンビナートはにほんでさいしょの石油化学コンビナートだ。
えきをでて単線になって、ひだりに工場へのひきこみ線もある。左右は工場地帯。時速100キロですすむ。
線路が上下線に分岐して、しましきホームの南四日市に停車。
いきちがいにめずらしいあおい列車がとまっとるなあっておもったら、伊勢鉄道の四日市いきふつうだ。伊勢鉄道は関西線の四日市と紀勢線の津を短絡する非電化の路線で、四日市から南四日市までのあいだ関西線と線路を共用する。この列車も単行気動車。
南四日市をでて複線になる。しばらくひだりに単線のひきこみ線もならんではしる。
鈴鹿川の支流、内部川(うつべがわ)をわたって、すぐにみぎに分岐。単線で上下線のあいだにもぐりこむかたちでしたにおりて、みぎにまがってはんたい線をくぐっていく。複線でまっすぐすすんでいくのが伊勢鉄道の路線で、単線になってみぎにまがっていくのが関西線なだけど、ふるくからある関西線のほうが支線みたいなかんじだ。こっから終点の亀山までずーっと単線になる。
線路が上下線に分岐して、相対ホームの河原田(かわらだ)に停車。まんだ伊勢鉄道の路線もすぐひだりのどてうえをはしっとって、伊勢鉄道のホームにも関西線のこせんきょうをあがったとこからいけるようになっとる。いや、ほれにしてもこの道路の陸橋を転用したこせんきょうはかなしいな。こせんきょうのうえってあめかぜもつよくなるのに、やねもかべもないふきっさらしだ。
ぐいーんってひだりにまがって、鈴鹿川ぞいにでる。これから鈴鹿川をひだりにそってさかのぼるかたちで西南方向にすすむ。みぎは丘陵地帯。
相対ホームの河曲(かわの)に停車。
はんたいホームに男子高校生がなんにんかおって、こせんきょうをわたっておりていくひともおる。はんたいホームのうしろはたんぼ。
2両編成313系の名古屋いき快速がくるのをまって、しゅっぱつ。あめがふってくる。
ひだりにかわのせき(堰)。わが亀山いきふつうは時速90キロで軽快にはしる。JR東海は線路の整備に余念がない。ひだりかわむこうにみえてきたのは鈴鹿のまちか。
2面3線の加佐登(かさど)はしましきホームのひだりがわに停車。はんたい線はかいさつ直結のかためんホームで、りっぱなこせんきょうがふたつのホームをつないどる。ほかに、ひだりがわに側線もある。
ちいさな曲線で、ぴーっ!ぴーっ!って警笛をならしていく。直線にはいって、時速90キロですすむ。左右はたんぼ。
鈴鹿川の支流、安楽川(あんらくがわ)をわたる。
相対ホームの井田川(いだがわ)に停車。けっこうなんにんかおりて、道路の陸橋を転用したこせんきょうをわたって駅舎のあるはんたいホームのほうにわたっていく。えきまえにはタクシーもとまっとるのがみえる。多少のにぎわいはあるみたいだ。
えきをでたとこで、乗客は座席に2わり。あめんなか電車は時速90キロで快調にはしる。阿野田(あのだ)ふみきりをすぎたとこで、時速60キロに減速。
亀山のえきがみえた。
ひだりから紀勢線が合流してくる。
9時52分、3面5線の亀山は、みぎから2番めの2番のりばにとうちゃく。下車。名古屋からここ亀山まで59.9km、1時間26分、41.8km/h。表定速度は時速40キロちょっとしかないけど、電車ののりあじは上質なもんだった。複線化をおしすすめて、表定速度が向上することをのぞむ。ところで、このホームのはばのひろいこと。ほのホームをおおうばかでっかい木製のうわや。伊勢鉄道もできるまえ、関西線から紀勢線が分岐するえきとしてこの亀山のえきがさかえとったころのなごりだ。
いちばんひだりの5番のりばにとまっとるのはキハ25がたの鳥羽いきふつう。紀勢線を多気(たき)までいって、ほっから参宮線にはいって終点の鳥羽までいくやつだ。キハ25がたはJR東海の高性能気動車。
いったんかいさつのそとにでる。かいさつは1番のりばに直結で、こせんきょうをわたって移動。自動改札機にマナカをかざしてでる。えきまえロータリーにはタクシーやバスはおるけど、まわりにはりついとるみせはほとんどしまっとる。にぎわったむかしをしっとるわけじゃないけど、このさびれようはかなしい。
さて、まどぐちで亀山から笠置までのきっぷをかって、また、かいさつをはいる。おんなじ関西線だけど、こっからはJR西日本の非電化単線区間になる。
こせんきょうから3番のりばにおりたとこで、まあはいこれからのる加茂いきふつうがとまっとる。いや、ちっこい。キハ120-14っていう車両番号で、はいいろの車体に前面と側面下部にあおい塗装のしてある、1両編成の気動車なだけど、さっきおったJR東海のキハ25がたみたいなりっぱなやつじゃない。列車っていうよりはレールバスってかんじだ。
10時14分、亀山をしゅっぱつ。にしにむかってすすむ。乗客はベンチシートに満席で、わずかにたちきゃく。おんなのひとのこえで自動放送。とびらは車両の前后のはしっこにあって、かたがわにある便所の部分をのぞいて、まえからうしろまでずーっとつづいとるベンチシートにずらーって乗客がすわっとるのは、みなれんだけにへんな光景だ。
えきをでてすぐのとこで、ひだりに分岐する留置線にわが加茂いきふつうとおんなじかたの列車が2本とまっとるのをかくにん。
架線のない、きのまくらぎの単線を、左右にごとごとゆれながらすすむ。ほいでも時速85キロ。ひだりにたんぼ。みぎにトラックセンターがあって、国道1号線もならんでくる。いや、国道1号線ってこんなとこ、とおっとるだ。ひだり、ソーラーパネルが地面においてあるとこもある。
相対ホームの関に停車。岐阜県の関は有名だけど、三重県にも関はあるだ。かえりの車内できいただけど、東海道関宿もある。ここで2、3人おりただけど、駅舎のあるはんたいホームのほうもふくめて、なんともひとけのないえきだ。ときがとまっとるっていうべきか。こせんきょうは道路の陸橋を転用したやつで興ざめ。
やまんなかにはいっていく。列車は時速75キロでがんばってすすむ。のぼりざかにかかって、時速60キロ台におちる。さらに時速50キロにおちる。ずーっと鈴鹿川の流域をさかのぼってきとったけど、支流の加太川(かぶとがわ)の流域をさかのぼっていく。加太川をひだりにわたって、すぐに金場(かねば)トンネルをくぐる。
つづいて、坊谷トンネルをくぐって、すぐに加太川をみぎにわたる。
相対ホームの加太(かぶと)に停車。駅舎はひだりにあって、こせんきょうは道路の陸橋を転用したやつ。ところで、自動放送の車内放送に英語放送はいらんよ。
えきをでて、またやまんなかにはいっていく。ひだりしたに加太川(かぶとがわ)のながれがみえる。かわをわたって、また、かわをわたる。加太川をひだりにわたって、また、みぎにもどっただけだ。ひだりにちょこっとまちがあらわれるけど、えきはない。時速60キロですすむ。ひだり曲線のとこで運転士さんが警笛をならす。
むこうにやま。
ひだりした、たんぼをへだてたむこうに名阪国道がみえる。みぎに、かためんホームのあと。いや、あとでたしかめたら中在家(なかざいけ)信号所だった。
加太トンネルをぬける。ながーいトンネルだ。
トンネルをでてすぐに、ひだりに鴉山池(からすやまいけ)。木津川(きづがわ)水系の柘植川(つげがわ)最上流部にあるいけだ。加太トンネルが分水界で、伊勢湾にそそぐ鈴鹿川水系から、大阪湾にそそぐ木津川水系にうつっただ。
にしにすすんで、ひだりにまちがあらわれる。
ぐいーんってみぎにまがって、柘植(つげ)はひだりかためんホームの1番のりばに停車。拓殖(たくしょく)じゃなくて柘植(つげ)だ。みぎのしましきホームが2、3番のりばで、うちがわの2番のりばにとまっとるあおい列車が、はんたいの亀山いきふつうで、そとがわの3番のりばにとまっとるみどりいろの電車が、こっから分岐する草津線の草津いきふつうだ。草津線は電化路線で電車がはしる。ほかに、1番線と2番線のあいだになか線があって、3番線のそとがわに側線がある。
3分停車のあと、柘植をしゅっぱつ。すぐに、直進する草津線とはなれて、ひだりにまがっていく。
たんぼんなかをすすんでいく。ちょうどいねかり時期で、コンバインがおいてあったりするなかを、列車は時速80キロですすむ。
みぎ曲線のとちゅうでしましきホームの新堂(しんどう)に停車。道路の陸橋を転用したこせんきょうのなんとさっぷうけいなこと。
また、たんぼんなかを時速90キロですすんでいく。線路もよくなくて列車も高性能じゃないだけど、けっこうがんばってはしる。
柘植川の支流をこえて、ひだり柘植川にちかづく。
相対ホームの佐那具(さなぐ)に停車。こせんきょうは道路の陸橋を転用したやつで、駅舎はひだりがわ。なか線はとりはらわれとる。
えきをでて、また、左右にたんぼ。線路のすぐみぎに道路がならんでくる。みぎにいくつかの集落。ひだりに柘植川。
だんだんまちになってくる。
りっぱなこせんきょうのある伊賀上野は2番のりばに停車。なんにんかがおりていく。このえきは、上野盆地の中心、上野のまちにつながる伊賀鉄道が分岐するえきだ。こっからひだりに分岐して、みなみにすすんでかわをわたって、上野のまちにつながる。伊賀鉄道ののりばは2番のりばのはんたいがわの1番のりばだけど、てまえ半分は駅舎とかいさつで、むこう半分だけがホームになっとる。とまっとるかっておもった伊賀鉄道の忍者電車はとまっとらん。こせんきょうをみぎにわたったとこが関西線のはんたいホームでしましきホームりょうがわが3、4番のりばになっとる。
時速70キロでにしにすすむ。上野盆地からやまにはいっていく。時速80キロにあがる。ひだりしたにたんぼ。時速60キロにおちる。ひだりしたに木津川がみえる。柘植川がこの木津川に合流してきただ。
相対ホームの島ヶ原(しまがはら)に停車。こせんきょうに道路の陸橋を転用したやつがつかってあるのはいやだけど、ひだりがわの木造駅舎がうれしい。えきまえひろばもあって、ちょっとしたまちみたいだ。温泉もあるってかいてある。いっかいこのえきでおりてみてもいいな。
はんたい列車の亀山いきふつうがはいってきて、島ヶ原をしゅっぱつ。
やまんなかにはいっていく。すぐに島ヶ原トンネルっていうみじかいトンネルをくぐる。このトンネルをでて、くだっていく。ひだりしたにちいさなかわがみえる。
みぎ曲線のとちゅうで月ヶ瀬口(つきがせぐち)に停車。たにのうえにつくったみたいなえきだ。いや、あっけなく京都府にはいった。島ヶ原が三重県さいごのえきだっただけど、島ヶ原トンネルをでてくだってくるとちゅうで府県ざかいをこえたみたいだ。ところで月ヶ瀬口の月ヶ瀬ってどこだ。しらべたら、みなみに隣接する奈良県のむらだった。いやいや、ほんなとこからなまえをかりてこにゃいかんかったとは。さらに、地図をみてみると、このえきの西北に月ヶ瀬ニュータウンってのがあるのにもおどろく。こんなとこにニュータウンがあるのかっていうおどろきと、月ヶ瀬でもないとこに月ヶ瀬のなまえをつかっとるのかっていうおどろきだ。このえきとつぎのえきは京都府南山城村(みなみやましろむら)の区域にある。
えきのむこうにみえるのは笠置(かさぎ)中学校。南山城村なのに笠置中学校だ。
ここで車内をみてみると、乗客はベンチシートに満席で、わずかにたちきゃく。たちきゃくはじぶんをふくめて、すきでたっとる3、4人だ。いや、この状況は亀山をしゅっぱつしたときとかわりない。こんなにひなびたえきばっかりとおってきとるのに、ずーっと座席はうまっとる。
えきをでて、やまんなかにはいっていく。線路のとこからはみえんけど、このみぎがわに月ヶ瀬ニュータウンがあっただ。
大河原(おおがわら)トンネルをくぐる。
つづけて、大河原大トンネルをくぐる。
やまんなかをすすむ。ひだりしたに道路とうちがみえてくる。
相対ホームの大河原(おおがわら)に停車。3人のってくる。いや、まちをとおりすぎたとこにえきがあるってかんじだ。こせんきょうは道路の陸橋を転用したやつ。
えきをでて、ひだりしたに木津川の渓流。
かわからはなれて、みぎに国道がならんでくる。
やまんなかをいく。
鉄橋をわたって、木津川のみなみがわにいく。
みぎしたに木津川の渓流をみながら、時速55キロでにしにすすむ。ひだりはすぐやまで、やまとかわにはさまれたせばいとこを列車はとおっていく。ひさしがでとるだけみたいなかんたんなトンネルもふたつみっつくぐっていく。
かわんなかにおおきないわがごろごろしてくる。
むこうにつりばしがみえてくる。
こせんきょう、たっかっ! つりばしのとこをすぎて、11時25分、しましきホームの笠置(かさぎ)にとうちゃく。下車。亀山からここ笠置まで54.3km、1時間11分、45.9km/h。きっぷはとっときたくて、運転士さんにおねがいして「使用ずみ」のおくがきをしてもらった。えきのすぐきたがわに木津川。
さて、のってきた列車をみおくってかいさつをでるだけど、このたっかいこせんきょうをわたってひだりがわの駅舎におりていかにゃいかんのか。線路におりてよこぎってもかいさつのある駅舎にははいれんようになっとって、あきらめてこせんきょうをわたる。バリアフリーとは無縁のえきだ。いや、ここにくるまでもバリアフリーとは無縁のえきばっかりだった。
ところで、こせんきょうのうえで笠置いこいの館営業休止のはりがみをかくにん。温泉にはいれてごはんもたべれるっていう公営施設で、ずーっとあてにしとっただけど、この2019年8月31日で営業休止になっちゃっただ。
かいさつをでるとこでびっくり。こんなひなびたえきなのに、駅員さんがおるじゃんか。むかしながらの駅舎も健在で、軽食のたべれるステーションっていうみせまで併設しとる。えきまえにはちいさなロータリー。笠置のまちはえきからひがしにあって、ひがしからきたクルマがこのちいさなロータリーで転回して、また、ひがしにでていくっていうような構造になっとる。駅舎のすぐまえに観光案内図と説明がきのかんばん。鎌倉幕府をたおすべくたちあがった后醍醐天皇(ごだいごてんのう)がこもったのが、笠置山(かさぎやま)だっていう。このときのたたかいが元弘の変(げんこうのへん)。いや~、后醍醐天皇って記憶のかなただわ~。南北朝の南朝の創始者で吉野山にこもったっていうことぐらいは、おぼろげにしっとっただけど、ほのまえに笠置山にこもったっていう歴史があっただ。やまはまちのすぐひがしだ。さっき、加茂いきふつうでやまとかわにはさまれたせばいとこをとおってきただけど、ほのやまこそが笠置山だ。
さて、きじ料理で有名な松本亭に電話をいれてみる。当日予約でもできやっておもっただけど、ざんねんながら全席団体予約でうまっとる。松本亭も笠置山にある。つぎにロータリーみなみがわに観光案内所があって、はいってみるけど無人。地図だけとってでる。ロータリーひがしがわの笠置産業振興会館にもはいって、ひるごはんをたべるとこがあるかきいてみるけど、松本亭ぐらいしかないとのこと。このちいさなまちにごはんをたべれるとこはほとんどないだ。コンビニでさえ木津川をきたにわたった国道ぞいにしかないっていう。
とりあえず駅舎併設のステーションにはいって、いっぷく。笠置山にある笠置寺(かさぎでら)にいくことにきめて、みせのひとにタクシーがよべるかきいてみると、電話をかけてよんでくれる。みせのそとにでてのりばをおしえてもらったとこで、ついでに駅舎を背景の記念写真までとってもらう。
しばらくしてやってきた山城ヤサカ交通のタクシーにのる。ちいさな笠置のまちをひがしにぬけていく。ふぜいのあるまちなみではある。すぐに笠置山へののぼりぐちをはいって、つづらおれをあがっていく。標高わずか288メートルのやまではあるけど、あるいてのぼったじゃあすぐにあしがつっちゃいそうだ。タクシーにしてよかった。ここですっていわれてタクシーをおりる。かえりもよんでくださいねってことで、領収書に運転士さんのケータイ番号もかきくわえてくれた。おりたとこはクルマがなんだいもとめれるひろばで、かたすみにトイレもある。ほっからまたうえにあるいていったとこで、松本亭。いや、ここにあったのか。本日は団体予約でいっぱいですっていうはりがみもある。ほっからまたみぎにあがっていく。
いしだんのうえに山門がみえた。いいかんじだ。山門をくぐるとひろくてたいらかなばしょにでる。水平にすすんで、無人のうけつけで自動放送の案内にしたがって拝観料をはらって、おくにすすむ。
ひとつのお堂におまいりしたあと、巨石のよこをとおってさらにおくにすすむ。巨石は薬師石っていうなまえがついとるだけど、じつにばかでかいいしで、ほれがじつに不安定に空中にはりだしとる。こいでようくずれおちてこんもんだ。
十三重石塔があるとこも、ほのうしろにばかでかいいしがいくつかそびえる。
つぎの正月堂をおまいりしたあと、ほのうらをとおっておくにすすむ。いや、うらがわだけ土台部分がこんなにたかゆかしきになっとるのをみるに、この正月堂がいかにやまはだにへばりついてたっとるかがわかる。笠置寺っていうおてらにはいってきたはずだけど、むしろ巨石公園のなかのところどころにお堂があるってかんじだ。
巨石群のかべのしたをおそるおそるとおりぬけていく。いしがあまりにもばかでかくて、よこをとおっていくっていうより、したをとおっていくっていったほうがぴったりくる。人間はまめつぶだ。いちばんむこうの巨石は摩崖仏(まがいぶつ)にもなっとって、表面にほとけさんがほってある。よくぞほったり。
のぼりくだりして、巨石と巨石のあいだをからだをななめにしてとおりぬけたりもしながら、すすんでいく。
ふぉーっ! ゆるぎいしのとこまでいったとこで、したに木津川のながれがみえる。説明かんばんをよんでみると、笠置山にこもった后醍醐天皇が、1331年9月28日に幕府軍のきしゅうをうけたのがここってことで、いしをおとすことでほのきしゅうに対抗すべくおいたのがこのゆるぎいしとのこと。じっさいにはつかわれんかったでここにのこっとるだけど、すぐにでもおとせるように、おすとゆらゆらゆれる状態でおいてあることで、ゆるぎいしっていうなまえがついたとのこと。いや、おしてみたけどいごかんかった。
なでがたいしがあらわれる。みぎしたにとなりのいしとのあいだのわずかなすきまがあって、からだをななめにしてとおりぬけていく。けっこうたいへんだ。
いや~、かぜがすずしい。あせのふきだしたからだに、きもちよくふきつけてくる。二の丸あとにとうちゃく。あずまやがあるほかに説明がきのかんばんがあって、よんでみる。「笠置のしろって太平記にかいてあるけど、古代天皇のかり皇居であり、正式な築城はなされんかった。しかし、室町時代以降、山頂の行在所(あんざいしょ)あとを本丸ってみたてたのか、一段したのこのひろばを二の丸あとってよぶようになった」とのこと。まあ、行在所やかり皇居を本丸や二の丸にみたてたってわけだ。
二の丸あとからも、したに木津川のながれがみえる。いや~、すがすがしいきもちだ。ところで、あめがふってきた。
順路をすすんで、いしだんをのぼったとこに后醍醐天皇の行在所あと。行在所はいしぐみの柵のなかで、はいっていけん。柵のそとの自然石に石板がうめこんであって、后醍醐天皇御製のうたがほりこんである。
「うかりける みをあきかぜに さそわれて おもわぬやまの もみじをぞみる」
この笠置山にこもっとるときにつくったうたで、「しんぱいだらけのじぶんが、あきかぜにさそわれて、また、おもわずやまのもみじをみちゃった」っていうような意味らしいだけど、もみじをみたこともかなしみをふかめるだけのもんだったっていうきもちもこめられとるとのこと。また、行在所いりぐちの鉄とびらのまんなかに、「288メートル/笠置山/イセ愛山会/1993.6.27」っていうふだがかかっとるのをかくにん。
笠置寺の区域をでて、タクシーをおりたとこまでもどったとこで、かみなりもとおくにきこえてくる。いきの運転士さんのケータイ番号に電話して、また、山城ヤサカ交通のタクシーでおりていく。いきもかえりも運転士さんがいろいろはなしてくれる。愛知県からきたっていうと、「めずらしいけど、まえにも愛知県からひとりたびできたひとがおる」とのこと。笠置山はもみじの季節にくるといいともおしえてくれる。后醍醐天皇のうたにもでてきたもみじだ。ほいから、野生のいのししやさる、きじまでおるっていう。いや~、桃太郎の「いぬ、さる、きじ」みたいじゃんか。いや、きじ料理のきじもこのやまでとれるとはおどろきだ。ほいから、木津川のかわらにキャンプ場があるだけど、利用者に好評だっていう。バーベキューをやりながらはなびをみることもできるとのこと。
まちをぬけてえきにもどって、またステーションにはいって、おそいひるごはん。たのんだのはきつねうどん。たべおえて、かえりの列車にのる。きじ料理をたべるのは、つぎにきたときにするよ。
(さんこう)
- 乗車記録 - 2019年9月よっか、すいようび、平日
- はずかしながら…|いわせあきひこ|フェースブック|2019年3月20日23:21
- 笠置町 - Wikipedia
- 笠置町(かさぎちょう)は、京都府相楽郡(そうらくぐん)にある町である。郵便番号は619-1303。2017年5月1日現在の人口は1,298人。
- 「わかさぎのはばたくまち 美しい自然と史跡に恵まれた心ふれあう町」を町の標語に掲げている。町の特産品は、キジ肉、シイタケ。
- 東は南山城村、西は木津川市、北は和束町、南は奈良市に接する。全面積の8割が山林が占められる。町の中央を木津川が流れ、南側から布目川、打滝川が注ぎ、北からは横川、沿岸に耕地が開ける。また、木津川市加茂地区東部に飛び地が点在する。
- 1932年、笠置山とその山麓の木津川一帯が史跡名勝地として国から指定され、史跡探勝の観光地となる。週末には、笠置橋下西の木津川河川敷で、水遊びのレジャーや自然石でのボルダリングに訪れる観光客で、人・車がいっぱいになる。木津川沿いの国道163号でアクセスできる。
- 后醍醐天皇 - Wikipedia
- 后醍醐天皇(ごだいごてんのう、1288年11月26日-1339年9月19日)は、鎌倉時代后期から南北朝時代初期にかけての第96代天皇、南朝の初代天皇(在位:1318年3月29日-1339年9月18日)。ただし、以下で記述するとおり、歴史的事実としては在位途中に2度の廃位と譲位を経ている。諱は尊治(たかはる)。鎌倉幕府を倒して建武新政を実施したものの、間もなく足利尊氏の離反に遭ったために大和吉野へ入り、南朝政権(吉野朝廷)を樹立した。
- 1331年、再度の倒幕計画が側近吉田定房の密告により発覚し身辺に危険が迫ったため急遽京都脱出を決断、三種の神器を持って挙兵した。はじめ比叡山に拠ろうとして失敗し、笠置山に籠城するが、圧倒的な兵力を擁した幕府軍の前に落城して捕らえられる。これを元弘の乱(元弘の変)と呼ぶ。
- 笠置からかえる - 2019年9月よっか - あきひこゆめてつどう|2019/09/10 〔ついか〕