はずゆめヲークと鉄研にいってきた! - 2019年9月ようか

2019.9.8 (22) はずゆめヲーク - 見影山あな弘法からおりる 2000-1500

きのう2019年9月ようか、はずゆめヲークにいってきた。あわせて同時開催の鉄研にいって、さらに尊皇のさかぐらびらきにもいってきた。はずゆめヲークと鉄研は、西尾線蒲郡線をなくしてたまるか!っていう趣旨で、これまでにも開催されとるもんだ。尊皇のさかぐらびらきは、もちろんつくりざかやの行事として定期的に開催されとるもんなだけど、はずゆめヲークと鉄研を応援するようなかたちになっとる。開催地のもよりえき西幡豆駅までの乗車のようすもふくめて、いくつかの行事のようすを以下に紹介する。

◇            ◇

2019.9.8 (1) ふるい - 西尾いきふつう 1880-1500

ふるい8時14分の西尾いきふつうにのる。にちようびなのに高校生もなんにんかのっていく。車両は、まえ2両が6803編成鉄仮面で、うしろ2両が6804編成鉄仮面。鉄仮面同士の連結なだけど、まえ2両は固定セミクロスシートなのにたいして、うしろ2両はベンチシート。車両番号がひとつちがうだけでシート配列までちがうだ。

2019.9.8 (2) 西尾いきふつう - 桜井南桜井間 1800-1350

高架の桜井をでて地平におりたとこで、4両編成きんぎょばちのしんあんじょういきふつうとすれちがい。

2019.9.8 (3) 西尾いきふつう - 矢作川をわたる 2000-1500

米津をでて、矢作川をわたる。

高架をあがって、西尾口はホームにひとっこひとりおらん。ただし、おりるひとはおった。この時点で乗客は1両めに4人。いつのまにこんなにへったのか。

2019.9.8 (4) 西尾いきふつう - 西尾 1800-1350

8時29分、西尾は1番のりばにとうちゃく。下車。むかいの2番のりばにまっとった鉄仮面の佐屋いき急行がでていく。

2019.9.8 (5) 西尾 - しんあんじょういきふつう 1600-1200

のってきた電車は、しんあんじょういきふつうになっておりかえししゅっぱつするまで、ほのまま停車。むかいの2番のりばにくる吉良吉田いき急行をまつひとがだんだんふえてくる。はずゆめヲークにいくっぽいひともおるし、小学生もおおぜいおる。

2019.9.8 (6) 西尾 - 吉良吉田いき急行 1800-1350

みんながまっとった西尾8時43分の吉良吉田いき急行がやってきて、のる。車両は6004編成4両かんつうがた。シート配列はベンチシートで、まどにはぬのカーテンがかかっとる。乗客は、シートに満席で、たちきゃくが3わり。しゅっぱつしてすぐに小学生らにかぶりつきをゆずる。写真は小学生らのうしろからとる。電車はゆっくりゆっくりすすむ。高架をおりて地平をすすんで、福地に停車。ここでもはずゆめヲークにいくっぽいひとたちがのってくる。時速90キロですすむ。

2019.9.8 (7) 吉良吉田いき急行 - 矢作古川をわたる 1600-1200

ならんでながれる矢作古川と広田川(こうだがわ)をいっぺんにわたる。

2019.9.8 (8) 吉良吉田いき急行 - 上横須賀 1970-1420

上横須賀に停車。さきにまっとった4両編成鉄仮面の佐屋いき急行といきちがい。ここで小学生らにいきさきをきいてみると、愛知こどもの国にいくとのこと。おれがおりる西幡豆のふたつさきのこどもの国でおりるだ。運転席の速度計が時速100キロをさしとるのをみてよろこぶ小学生ら。8時55分、吉良吉田にとうちゃく。下車。ここまでが西尾線だ。

2019.9.8 (10) 吉良吉田 - 蒲郡いきふつう 2000-1500

蒲郡線にのりかえ。のりかえかいさつをとおって、吉良吉田9時1分の蒲郡いきふつうにのる。いや、のりかえかいさつのこんどったこと。車両は6010編成2両かんつうがた。シート配列はベンチシートで、まどにはぬのカーテンがかかっとる。乗客は、シートに満席で、たちきゃくが4わり。なかなかにぎやかだ。しゅっぱつまえに運転士さんから「西幡豆はイベント多数で、全ドアがひらきます」っていう案内放送がはいる。蒲郡線ワンマン運転で、ほいで運転士さんが車内放送もやっとるだ。ほれと、おなじくワンマン運転で、通常なら一部のドアしかひらかんだけど、きょう西幡豆は乗客がおおくて駅員さんも配置しとるで、ほいでぜんぶのドアをひらくよってことだ。

2019.9.8 (11) 蒲郡いきふつう - 三河鳥羽 1570-1200

ひがしにすすんで三河鳥羽に停車。さきにとまってまっとった、2両編成かんつうがたの吉良吉田いきふつうといきちがい。

2019.9.8 (12) 西幡豆 - 蒲郡いきふつう 1970-1440

9時7分、西幡豆にとうちゃく。下車。みんなどばーっておりていく。

2019.9.8 (13) 西幡豆 - 構内ふみきり 1750-1350

列をなして構内ふみきりをわたって、臨時の駅員さんのおるかいさつにすすんでいく。

2019.9.8 (14) はずゆめヲーク - 西幡豆駅 1600-1200

えきをでたとこですぐ女子高生らが案内のちらしをくれる。どこの高校?ってきいたら、蒲郡高校とのこと。ボランティアでやっとるだげな。えらいな~。

2019.9.8 (15) はずゆめヲーク - 西幡豆駅うけつけ 1570-1200

ついで、はずゆめヲークのうけつけ。なまえとどっからきたかをかいて、案内地図をもらう。

2019.9.8 (16) はずゆめヲーク - 西幡豆駅しゅっぱつ 1600-1200

さあ、しゅっぱつ。線路ぞいをちょこっとにしにいって、ふみきりのとこをみぎにまがって、きたにすすんでいく。東西のめぬきどおりをよこぎる。みぎに木造のこぎりやねのこうば。いまはつかっとるようすはない。みぎに本田木型のさぎょうば。ひくい高架道路をくぐって、みぎに小野ケ谷川(おのがやがわ)があらわれる。すすんで、みぎ、かわとのあいだに竹林。ひだりに、たまいしづみのどどめのある農家。また、ひだりに、いしがきづみのどどめのある農家。まっすぐいくと東見影橋(ひがしみかげばし)で小野ケ谷川をわたっちゃうっていうとこをわたらんで、左折。かわをみぎにそってすすむ。ひだりにみかんばたけ。

2019.9.8 (17) はずゆめヲーク - 小町橋からおりかえし 1550-1160

小町橋(こまちばし)のとこを鋭角に左折しておりかえす。いきはかわぞいだったけど、こんどはやますその斜面だ。ひだりがたにがわで、みぎがやまがわ。竹林がいっぱい。すすんで、ひだりしたにみかんばたけ。さっきのみかんばたけだ。

2019.9.8 (18) はずゆめヲーク - 小町橋からみなみえ 1400-1050

ふぉーっ! ひだりにうみがみえてきた。三河湾のうみだ。おきにふねもおる。すすんで、うみがどんどんひろがっていく。住宅街にでて、幹線道路と合流。いきにひくい高架をくぐった国道257号線だ。すぐに見影(みかげ)交差点になって、これを右折。やまにはいっていく。

2019.9.8 (19) はずゆめヲーク - 見影山いりぐちいしだん 1350-1800

ちょこっといって、みぎにいしだんをあがっていく。いしだんをあがったうえはひらばになっとって、またほっからむこうがやまの斜面になっとるっていう地形だ。あがりきったとこはひらばのみぎのほうで、いしだんのあがりぐちから正面に弘法堂っていうおてらがあって、おまいり。弘法堂のひだりにやまの斜面をのぼっていくながいいしだんがあって、これをのぼりきったとこに秋葉山。こわれかけのかんじだ。秋葉山にのぼるながいいしだんのひだりにみじかいいしだんがあって、ほのうえに白山社。いや、神仏まぜまぜでいろいろある。

2019.9.8 (21) はずゆめヲーク - 見影山あな弘法 1600-1200

ひらばをまたひだりおくにいってからやまの斜面に見影山あな弘法(みかげやまあなこうぼう)。やまの斜面に、いしぐみにかこわれたちいさな石仏が88体もある。

2019.9.8 (20) はずゆめヲーク - 見影山あな弘法 1800-1350

石仏のひとつをおまいり。土台のいしに「第1番、霊山寺、本山要吉」ってかいてある。

やまの斜面へのあがりぐちにいしぶみの説明がきがあって、よんでみる。

見影山あな弘法は1892年の調査記録にある。ほれ以前からあったって推測。損傷がひどく、有志のよびかけで2006年3月から2009年3月までの3年間で88か所を復元した。

ほー、まんださいきんに有志のひとたちのちからで復元しただ。おまいりした第1番の石仏の土台のいしにかいてあった、本山要吉さんっていうなまえも、寄付したひとのなまえかな。

べつにあったかんばんの説明がきもよんでみる。

弘法山とあな弘法のはなし
幡豆村のむすめ、さよは、まずしくて巡礼しにいけんははおやのために四国88か所のおすなをもらってきてくれるよう太兵衛にたのむ。すなは見影山の弘法さんのまえにおかれた。88か所のおすなふみはむらびとにひろまり、みんなにたいへんによろこばれた。ほれをみた太兵衛は88体の弘法さんをまつることをおもいたって、むらびとに弘法さんの石仏を寄付してくれるようたのんであるいた。やがてふもとから山頂にかけてあながほられ、ちいさな弘法さんがほられた。むらびとはあな弘法さんってよんでしたしみ、見影山は「弘法山」っていわれるようになった。

ほー、意味がとりづらい部分もあるけど、要はそもそもからむらびとの寄付で88体の石仏ができただ。

もどって、白山社にのぼるいしだんのひだりにあったお堂のなかの、だき弘法をみてみる。ゆかのうえ、ざぶとんにのったいし地蔵さんがあって、ほのいし地蔵さんをらくらくだきあげれたらおもいはかなって、おもたくてだきあげれんかったらおもいはかなわんとのこと。どっかのおじさんがあがっていって、いし地蔵さんをらくらくだきあげる。おれもやってみたらだきあげれたのかな。

2019.9.8 (22) はずゆめヲーク - 見影山あな弘法からおりる 2000-1500

見影山あな弘法からおりるとこで、正面、まちなみのむこうに三河湾のうみ。いいけしきだな~。

見影交差点で国道257号線をよこぎって、みなみにおりていく。住宅街をぬけて、みせもいくつかあるまちにはいる。あとできづいただけど、西幡豆駅にほどちかいとこだった。みぎにヒカリ堂っていう文房具やさんがあって、ほのとなりの自販機でペットボトルをかう。あつかっただ。ひだりをみるとみちぞいにひかげがある。みちから一段たかくなっとるひだりの土地がおてらのおはかになっとって、ほのおはかの塀がうまいぐあいにひかげをつくってくれとるだ。ほのひかげに縁台がおいてあって、おばあさんふたりすわってはなしとる。縁台からちょこっとはなれたとこのひかげでペットボトルをのんどると、すわりなんっていってくれる。おことばにあまえてすわらせてもらって、いろいろはなしをする。とちゅうでまたべつのおばあさんふたりがきて、はなしにくわわったりもした。ようはなすほうのひとは、このヒカリ堂の店主だった。まあひとりのおばあさんはおもにききやく。いろいろはなした結論として、やっぱり幡豆がいいっていう。「うみもある。やまもある。保育園も学校もすぐちかくだ。かいもんもあるいてすぐのとこでできる。えきもすぐほこだ」とのこと。たしかにわがあんじょうにはうみもやまもない。「岡崎がくうしゅうされたけど、幡豆はくうしゅうをうけんかった。こやまがいっぱいあるおかげだ。こんなとこじゃ爆撃機がすぐやまにぶつかっちゃうでだ」とも。保育園、学校、かいもんするとこ、えきなんかがぜんぶちかくにあるってのは、ほんとにいいことだ。たしかにこの西幡豆駅のまわりにまちがかたまっとる。わがあんじょうみたいに、まちがばらけちゃっとって、クルマじゃなきゃいろんな用がたせんとことはちがう。こういうかたちでまちがまっと発展していくことをねがうよ。ほいから、おれがあんじょうからきたってことで、更生病院のはなしもきいた。さいごは更生病院だって。西尾市民病院よりどこより更生病院が信頼できるだげな。更生病院でみてもらってあかんっていわれたら、まああかんだげな。じっさい、おもい病気のひとは幡豆からでもあんじょうの更生病院にいくだげな。戦前、あんじょうが農都としてさかえた時代にできた更生病院だけど、三河湾に面するまちのひとたちにもよられる大病院なだ。ヒカリ堂にしいれのしなをとどけにきたトラックがやってきて、はなしをおえる。

ヒカリ堂のとこから東南に祐正寺(ゆうしょうじ)の境内をぬけて西幡豆駅ひがしのふみきりにでて、これをみなみにわたっていく。住宅街をぬけて、西幡豆ふなだまりにでる。いくつかこぶねがとまっとる。

ほっからすぐひがしに幡頭神社(はずじんじゃ)。「はず」の「ず」はまちのなまえでつかっとる「豆」じゃなくて「頭」だ。まあ、地名の漢字表記ってのは基本的にあてじなわけで、漢字をつかうようになるまえから「はず」は「はず」だったはずだ。地名の漢字表記なんか、はよやめたほうがいい。ちなみに、ここは旧幡豆町で、にしどなりが旧吉良町になるだけど、じつは旧吉良町にも漢字表記までおんなじ神社がある。1週間まえに岩瀬文庫で開催の西尾市文化財講座で「幡頭神社の建築と歴史」っていうはなしをきいてきただけど、ほれは旧吉良町のほうの幡頭神社だった。こんかい、1週間まえにはなしにきいた神社をじっさいにみれるじゃないかって期待してきただけに、かたすかしになった。

2019.9.8 (23) はずゆめヲーク - 欠のかめいわ 2000-1500

ところで、拝殿てまえのいどんなか、しめなわをはったしたにおおきないしがある。「欠の亀岩(かけのかめいわ)」っていうなまえのいしだ。説明がきをよんでみる。

古代、景行天皇の命(めい)をうけて、やまとたけるのみことがひがしのくにぐにを征伐。ほのときかつやくしたたけいなだねのみこと(建稲種命)はかえりみち、駿河のくにで遭難してなくなる。遺骸が、ここ西幡豆の欠(かけ)っていうとこのおおきないしにながれついた。ほのおおきないしが欠の亀岩で、ひとびとがたけいなだねのみことの遺骸をていねいにまつったのが幡頭神社だ。

いや~、すごい。たけいなだねのみことって、しらべると西暦100年ごろにかつやくしたひとだ。ほんな1900年もまえの歴史がこの幡豆の地にきざまれとるだ。

はずゆめヲークはこいできりあげて、いったん尊皇のさかぐらびらきにいくことにする。

2019.9.8 (24) 西幡豆 - 蒲郡いきふつう 2000-1500

尊皇のてまえ、西幡豆駅のとこをとおっていくとこで、ちょうど蒲郡いきふつうがやってくる。ついた電車からはまんだひとがいっぱいおりてくる。

2019.9.8 (25) 尊皇さかぐらびらき - 一色産うなぎのかばやき 1940-1500

尊皇でひるごはん。きのこと八丁みそのクリームパスタをかったあと、一色産うなぎのかばやきの列にならぶ。いや~、このあつさのなかかばやきをやくのはたいへんなことだ。ながづくえの席は満席で、うえこみのまわりのいしにすわって、パスタとかばやきをたべる。さかぐらびらきのさけのためしのみは時間制で、つぎのうけつけは14時になるってことで断念。いや、大人気だ。かわりにはならんけど、ふんいきをあじわうために、ノンアルコール吟醸あまざけの一糀としこみみずをためしのみ。しこみみずは三ヶ根(さんがね)山麓の伏流水で、この硬度のひくい軟水で尊皇はしこまれるとのこと。

2019.9.8 (26) 幡豆中学校 - 鉄研 1600-1200

尊皇から東北方向、まちはずれにある幡豆中学校に移動。校内はおやこづれでいっぱい。鉄研の会場である体育館にはいってみる。舞台で太鼓の演奏をやっとるほか、ゆかではプラレールあそびあり、つなわたりあり、ふわふわすべりだいはたかいのとひくいののふたつもあり。さらに、電車のNゲージ模型の電車とレールのセットがふたくみ、まっとおおきいゲージのセットがふたくみ、リニアのセットがひとくみ、こぶりに八の字にしたNゲージのセットがひとくみ。八の字セットでは、パノラマカー6000系かんつうがた、1600系、SR車っていう名鉄の名車がいっぱいはしっとる。

よこのかべぎわにいってみると、名鉄広見線活性化協議会の出展があって、かかりのひとがちらしなんかをわたしとる。はなしをきくと、2020年NHK大河ドラマ明智光秀にあやかった活性化策を模索しとるとのこと。広見線明智駅からみなみにいったとこには、明智城もあるっていう。いっかいいってみにゃいかんな。ほいから、広見線のほうが行政主導で活性化をはかっとるのにたいして、この西尾線蒲郡線のほうは民間主導でやっとるのがすごいっていってみえた。いや~、ほんとにこのにぎわいはすごいわ。たんなる鉄道関連の行事っていうにとどまらず、地域をあげてのおまつりってかんじだ。

ほのとなりにいすみ鉄道の物品販売所。いすみ鉄道は、房総半島にある、なのはな列車が有名な鉄道だ。はるばるとおくからきてくれたもんだ。ここで、うちへのみやげにキハカレーをふたつかう。キハってのは気動車のことで、いすみ鉄道がうりにする気動車をつつみばこにかいたレトルトカレーをキハカレーっていうなまえでうっとるだ。むこうのひとたちとはなすなかで、いすみ鉄道を舞台に吹石一恵さんが主演したテレビ劇をみたよっていうとよろこんでくれて、代表らしいひとは、吹石一恵さんがさつえいのときにとまったやどではいたスリッパをもっとるって、得意げにおしえてくれた。

つぎに一色高校生活デザイン科の生徒らの物品販売所。いろいろうっとるなかで『西尾鉄道開業百年』っていう冊子をかわあっておもったら、うりきれ。一色高校は三河線廃線区間の沿線にあるだけど、ほいでも西尾線蒲郡線の行事に参加してくれとるってすごいな。

さいごに体育館のかたすみに西尾線蒲郡線にまつわる資料が展示してあるのを発見。ふわふわすべりだいのうしろにかくれちゃって、よくぞみつけたりだ。なかに、小学生らが西尾線蒲郡線によせるおもいをかいた作品もはりだしてあった。

体育館のそとにやたいむら。自転車おきばがやたいむらに変身して、いくつかのみせがたべもんやのみもんをうっとるだ。にしがまラーメンのみせもあるけど、ひるごはんは尊皇でたべちゃった。ひんやりしたもんがいいなっておもって、中学生らがやっとるかきごおりやさんでメロンかきごおりを注文。150円。たべおわって、えきにもどる。


(さんこう)