2020年1月21日、藤枝宿を西木戸から東木戸まであるいた。
◇ ◇
藤枝は橋上かいさつをでて、エスカレーターでえきまえにおりる。でこぼこのないすっきりしたロータリーだ。みぎがわがバス用、ひだりがわが乗用車用って左右に分割されとって、中央部分からむこう、まちにつながる。まわりは低層ビル群。
駅舎よりにある2番のりばから、しずてつジャストライン中部国道線のバスにのる。藤枝駅前9時38分のJR静岡駅・新静岡バスターミナルいきバスだ。えきからしゅくばまちのいりぐちまで2キロのきょりがあって、ほこまでバスでいくことにしただ。このバスにのやあいいことは、あらかじめ藤枝市役所に電話してきいといた。マナカがつかえたのは、せわがなくてよかった。車内には、「ルルカ(LuLuCa)ICカードご利用できます」ってかいてあった。
乗客6人をのせてバスはしゅっぱつ。ロータリーをみぎまわりにまわっていく。
公道にでて、えきまえどおりをきたにすすんでいく。
法務局藤枝支局(ほうむきょくふじえだしきょく)バス停を通過。
青木1丁目(あおきいっちょうめ)バス停を通過。
青木交差点を直進。変則的な5差路なだけど、ひだりうしろからくる東海道と、こっから合流して直進する。
すぐに青木(あおき)バス停を通過。
志太温泉入口(しだおんせんいりぐち)バス停を通過。
とぎれることのない市街地をバスはすすむ。えきからしゅくばまちまでのあいだで市街地がおおきくとぎれるっておもっとっただけに、意外だった。
瀬戸川にかかる勝草橋(かちくさばし)をわたる。この勝草橋をわたったとこから藤枝宿がはじまる。
瀬戸川はひだりからみぎにながれていって、焼津(やいづ)で駿河湾(するがわん)にそそぐ。
ちょこっとさかをくだって、9時44分、勝草橋(かちくさばし)バス停にとうちゃく。ひとりバスをおりる。左右にいっぱいみせがあるけど、まんだ10時まえであいてない。
勝草橋までもどって、あらためてあるきだす。このあたりに西木戸があった。ひだりに清水銀行。みぎ30度にわずかに富士山がのぞいとる。けっきょく富士山がみえたのはこっからだけだった。
勝草橋バス停のむかいにサッカーもなかのみせ。静岡県がサッカー王国なのはしっとるけど、もなかまでサッカーボールにしちゃうとはおどろきだ。たしかに、かいさつをでた正面にでかでかとサッカー場の写真があって「蹴球都市」ともかいてあったし、写真のひだりには「祝全国制覇、藤枝順心高等学校サッカー部、第28回全日本高等学校女子サッカー選手権大会」っていうおおきな文字もあった。ほいから、静岡茶のみせもある。
信号交差点のひだりてまえに、しずおか焼津信用金庫。信号交差点をすぎて、とおりは上伝馬(かみてんま)商店街になる。歩道の車道よりに、ちゃいろい四角柱がちゃいろいはりでつながってたちならんどるのがおもしろい。歩道をおおうアーケードになっとるわけじゃない。ちゃいろい四角柱に街路灯がついとる。
上伝馬バス停のとこをとおる。みぎに、ふるい2階だてのたてもんで「瀬戸川のひがし脊椎矯正諏訪一門政三長生館」っていうみせがあって、ひんぱんにひとがではいりしとる。こんなに脊椎矯正をしてもらうひとがいっぱいおるとは。ひだりに三角やねのコンクリートづくり2階だての上伝馬交番。しゅくばまちの景観にはいりょして、こういうたてもんにしとるのかもしれん。
みちがみぎにゆみなって、勝草橋からきたむきにのびてきた東海道が、ゆっくりとひがしむきにかわっていく。
ところではらがへった。あさ7時から電車にのりづめで藤枝まできたせいか、はらがへっただ。ちょうど10時もすぎて、上伝馬茶屋っていうみせにはいる。おかみさんがおちゃをいれてくれる。テーブルにいくつかおいてあったそうざいのうち、はんぺいをかってたべる。いや、たべるもんがあってよかった。はんぺいのほかには、肉やスパゲティー、サラダ、サンドイッチ、きんつばなんかがあった。つづいて、ドリップコーヒー100円を注文。コーヒーをのみながら、おかみさんやほかのおきゃくさんたちとはなしをする。ことばはわが三河ことばとにたようなもんだ。ただ、「わからん」は「わからん」だけど、「だらあ」は「だろう」だった。ところで、「静岡にしちゃあさぶいっておもった」っていうと、「ここ3、4日、とくべつなさぶさ。ふつうなら16度ぐらいはある」とのこと。いや、まふゆでも16度あるとはうらやましい。「愛知県からきた」っていうとおどろかれ、「となりの岡部宿(おかべじゅく)もいいよ」っておしえてくれる。まあ、これはまたのおたのしみだ。ほれから、「このさきひだりてにある蓮華寺池公園(れんげじいけこうえん)はいっかいいくといいよ」っておしえてくれる。「助宗食堂(すけむねしょくどう)のとこをまがっていくと、ちかみちになるよ」とも。
すすんで、ひだり神明神社におまいり。素朴なつくりの拝殿だ。うらにちいさな本殿があるのをかくにん。みぎわきからおくにはいったとこに上伝馬会館。この地区の集会場だ。拝殿にむかってひだり、ほそいみちをはさんで、かわらぶき木造2階だての伊久美園茶店。ここ藤枝宿にあるみせはほとんどがいまの時代のたてもんで、こういうふるいつくりのたてもんはほとんどない。
また、すすんで、ギョーザの三竜っていういざかやがある。いざかやがあるってことは、ほいだけひとがあつまるとこだってことだ。
すすんで、こんどはとおりからみぎにちょこっとはいりこんで、大慶寺(だいけいじ)におまいり。日蓮宗のおてらで、本堂ひだりのはしらに「願満日蓮大菩薩」っていうおおきなふだがかかっとるのはわかるだけど、みぎのはしらに「田中城祈願」っていうふだがかかっとるのはどういう意味なのか。田中城ってのは藤枝宿のとなりにあるおしろなだけど、このおてらとどんな関係があるのか。
とおりにもどって、千才(ちとせ)バス停のとこをとおる。
六間川っていうちいさなかわをこえる。下流に田中城につながるかわだ。さいごは瀬戸川に合流する。
六間川をこえて、とおりのなまえが千才どおりにかわる。
すすんで、千歳(ちとせ)交差点を直進。こっから、みぎにちょこっとはなれたとこにおかが平行してくる。
藤枝5丁目バス停のとこをとおる。上伝馬商店街より千才どおりのほうがさびしい。
すすんで、ひだりおくにはいって、茶房華蔵(さぼうかぐら)。2階だてのいしづくりの土蔵を改装して喫茶店にしてあるだけど、おもてどおりにはみかけんかったみせだ。おもてどおりにももちろんふるいたてもんはあったはずなだけど、ほれらはぜんぶあたらしいみせにかわっとるだ。いや、ほれはふるくからのしゅくばまちがほのまま近代的な商店街にかわったってことで、わるいことじゃない。いや、むしろ、すばらしいことだ。しゅくばまちだっていったって、むかしのふぜいがなきゃいかんってわけじゃない。むかしのにぎわいがいまもつづいとるってすばらしいじゃんか。このあとも、おもてどおりからおくにはいったとこにふるい土蔵はちらほらみかけたけど、改装してみせにしとるようなとこはなかった。茶房華蔵のとなりに2階だてタイルばりの小野製茶。
とおりにもどってすすんで、おしボタン信号のあるとこに助宗食堂(すけむねしょくどう)。おきゃくさんもおおくて人気店みたいだ。上伝馬茶屋でおばさんたちにおしえられたとおり、ここでひだりにほそいみちをはいっていく。
住宅街をぬけてでたとこが蓮華寺池公園(れんげじいけこうえん)。みなもやきしべにとりたちがあそんどって、いけのまわりをおおぜいのひとがあるいとる。むこうぎしのちゃいろいたてもんは藤枝市郷土博物館・文学館。おだやかにときがすごせるすてきな公園だ。
助宗食堂までもどって、ほのままとおりをよこぎって、みぎのほうにはいっていって、六間川をこえる。また、六間川だ。
六間川をこえて、急ないしだんを2回のぼって、おかのうえにある天満宮とほのひだりの津島神社におまいり。さいしょにおまいりした神明神社も素朴なつくりだったけど、この天満宮と津島神社もほれ以上に素朴なつくりだ。わが愛知県じゃああんまりみかけることがない。より原型にちかいのか。たてもんのうらからしたに市街地がひろがるのがみえる。おかをおりて、よこに長楽寺(ちょうらくじ)があるのをかくにん。
助宗食堂までもどって、とおりをひがしにすすむ。こっからとおりは長楽寺商店街になる。いまみてきたおてらが商店街のなまえになっとるだ。すすんで、ひだりにイタリア料理レストランダルピーノ。またすすんで、ひだりにちょっとはいったとこに蓮生寺(れんしょうじ)。みぎに内田陶器店。
すすんで、蓮華寺池公園入口(れんげじいけこうえんいりぐち)バス停のとこをとおる。いや、こっからより助宗食堂のとこからのが蓮華寺池公園にちかいのに。ひだりにビアレストランウッドベル。しゃれた外観のみせだ。
信号交差点を直進。こっからとおりはアーケードつきの白子(しろこ)商店街になる。白子は伊勢白子からきとる。本能寺の変がおこって、徳川家康が河内のくにから三河のくににかえるのをてだすけした伊勢白子の小川孫三が、藤枝のここにすむことになったことから白子っていう地名ができただげな。すすんで、みぎにラケットショップオレンヂ。いまも商店街でバドミントンやテニスのラケットがかえるってのがすごいな。
藤枝駅前いきバスがくる。しずてつジャストライン中部国道線のバスは1時間に3本あって、ひんぱんにいきかう。すすんで、ひだりにゴールドエイジ藤枝っていう6階だてのビル。1階にうさぎ薬局がはいっとる。このときはなんだかわからんかっただけど、あとでしらべたらクリニック併設の住宅がた有料老人ホームだった。ほや、世間からへだてられてたんぼんなかにある老人ホームよりいいわ。つぎに藤枝名物サッカーもなかの甘英堂。サッカーもなかのみせは、勝草橋バス停のとこでみたみせだけじゃなかった。
白子(しろこ)バス停のとこをとおる。みぎにスナックたんぽぽ。さっきはいざかやだったけど、こんどはスナックだ。ひだりにしずおか焼津信用金庫藤枝中央支店。いや、銀行もいっぱいあるわ。藤枝宿の商店街にはひとがいっぱいあつまってくるだ。
ひだりT字の交差点のとこをとおる。すすんで、ひだりに秀英予備校。
すすんで、みぎ、銘茶海野商店(うんのしょうてん)から下伝馬(しもてんま)商店街にかわる。アーケードはつづいとるけど、商店街がかわる。さいしょにあったのが上伝馬商店街で、ほっからちとせどおり、長楽寺商店街、白子商店街、下伝馬商店街って東海道をすすんできた。
いや、これが、あとでしらべてわかっただけど、じつに江戸時代の藤枝宿の構成ほのまんまなだ。吹矢町と鍛治町がむかいあわせにあるとこがちとせどおりにかわっとるほかは、ほのまんま現代の商店街になまえがひきつがれとる。
すすんで、ひだり、秋山医院のとこからアーケードがなくなる。下伝馬商店街はつづいていくけど、ここでアーケードがとぎれるだ。
秋山医院のとなりに藤枝宿の案内かんばん。いや、わかりやすい。みどころもいくつか説明してある。蓮華寺池公園に正定寺(しょうじょうじ)の本願のまつ、大慶寺(だいけいじ)の久遠のまつ、飽波神社(あくなみじんじゃ)、藤枝市郷土博物館・文学館、須賀神社(すがじんじゃ)のくすのき、田中城しもやしき。
さて、ひるごはんだ。みぎがわのアーケードのさいごのとこに大正亭っていう精肉店があるだけど、ほっからうらにまわったとこにこのみせが経営する大正亭っていう食堂があって、ほこにはいる。ここは、いくまえからめぼしをつけといた。あんのじょう人気店で、たのんだのはロースかつ定食。ぶあついかつにほほがゆるむ。
はらごしらえができたとこで、秋山医院のとこからまた東海道をひがしにすすむ。すぐひだりに本町交番。下伝馬商店街のほかに本町商店街の文字もみえただけど、このあたり下伝馬と本町がかさなっとるのか。「みぎ1.5キロ、田中城しもやしき」の道路かんばん。つぎのおおきな信号交差点をみぎにいくと田中城にいけるだ。
おおきな信号交差点を直進。みぎにサッカーもなか府中屋。また、サッカーもなかのみせだ。藤枝宿にある和菓子屋さんっていう和菓子屋さんがサッカーもなかをつくっとるにちがいない。すすんで、閑散としたかんじになってくる。
藤枝大手(ふじえだおおて)バス停のとこをとおる。このあたりが田中城の大手にあたることからこのバス停のなまえがあるだ。すすんで、下伝馬商店街がつきたみぎがわに島田掛川商工金庫。こっからは、みせもないわけじゃないけど、めっきり住宅街の様相になる。
ずーっとすすんで、成田山前(なりたさんまえ)バス停のとこまえいく。このあたりに東木戸があった。東海道と直交するあたらしい道路が築造中なのをかくにん。
ひだり成田山におまいり。
府中屋までもどってサッカーもなかをみやげにかって、かえりのバスにのる。
◇ ◇
しゅくばまちってことばからおもいおこされるようなむかしのまちなみはない。藤枝宿は西木戸から東木戸まで商店街がつづく。ほれもさびれた商店街なんかじゃない。銀行があって、和菓子屋さんがあって、食堂や喫茶店があって、いざかややスナックがあって、お茶をうるみせがあって、陶器店があって、ラケットのみせがあって、お医者さんやくすりやさんがあって、精肉店があって、ふつうに用がたせる商店街だ。むかしのまちなみはないけど、むかしのにぎわいはいまにつづいとる。このことがうれしかった。
(さんこう)
- 乗車記録 - 2020年1月21日、かようび、平日
- 藤枝駅前 9:38 → (しずてつジャストライン中部国道線・JR静岡駅・新静岡バスターミナルいきバス) → 9:44 勝草橋バス停
〔6分、190円*1〕
- 藤枝駅前 9:38 → (しずてつジャストライン中部国道線・JR静岡駅・新静岡バスターミナルいきバス) → 9:44 勝草橋バス停
- ふるいから藤枝まで - 2020年1月21日 - あきひこゆめてつどう|2020/01/25
- 2020年1月21日、藤枝までいってきた。もともとのまちからはなれてえきができちゃったってことで、きになっとった藤枝だ。2年まえにとちゅうまでいってひきかえしてきちゃったことがあるだけど、こんどこそはいってきた。愛知県から静岡県へと東海道をひがしにすすんでいくかたちになるだけど、名鉄、新幹線、東海道線ってのりついでいったようすを以下に紹介する。
- エスカレーターをあがったとこからコンコースをあるいて、かいさつをでる。ごてごてしたよぶんなもんがなくてすっきりしとるし、ひろびろしてうつくしいえきだ。かいさつをでた正面にでかでかとサッカー場の写真。「蹴球都市」ともかいてある。写真のひだりに、「祝全国制覇、藤枝順心高等学校サッカー部、第28回全日本高等学校女子サッカー選手権大会」っていうおおきな文字。男子は静岡学園が優勝したのはテレビでみとった。女子も静岡県の高校が優勝したってことはしっとったけど、この藤枝にある高校だっただ。
- またエスカレーターでえきまえにおりて、まちあるきにむかう。
- 東海道藤枝宿の案内かんばん - 2020年1月21日 - おぼえがき(ゆめてつどう)|2020/01/23
- さすが静岡県!…|いわせあきひこ|フェースブック|2019年1月22日7:39
- さすが静岡県!
こんなかたちのもなかがあるって!
- さすが静岡県!
- 藤枝までの乗車記録 - 2020年1月21日 - おぼえ (あきひこ ゆめてつどう)|2020/01/21 〔※ 限定公開〕
- ロースかつ定食♪…|いわせあきひこ|フェースブック|2019年1月21日12:30 〔※ 限定公開〕
- 藤枝宿ふじえだじゅく:藤枝宿の歴史
- 藤枝宿(ふじえだじゅく)は、東海道五十三次の22番目の宿場です。近世の宿場の整備は徳川家康によって始められ、先ず東海道、続いて中山道と順次進められていきました。関ヶ原の合戦で大勝した家康は、各宿駅に馬を設置し、江戸から馬を乗り継いで遠隔の地へも往復できる仕組みを作り、全国を掌握したのです。東海道では、1601年に品川から大津迄を53駅と定めました。その53の宿場を指して東海道五十三次と言います。その中で、藤枝宿は江戸から49里30町44間(およそ200km)。東隣の岡部宿へ1里26町(およそ7km)、西隣の島田宿へ2里8町(およそ9km)のところにあります。近くを流れる瀬戸川は乾期は仮橋が架けられ、通常の水量の時は歩行渡しを利用しました。藤枝宿は、歴代の城主が江戸幕府の要職を務めた田中城を仰ぐ本多家4万石の田中藩の城下町でもあり、また塩の産地であった田沼意次の所領相良(さがら)に通じる田沼街道や、高根白山神社への参道高根街道・瀬戸谷街道などの交通の要衝として、また商業地としても栄えました。宿場町として、大層なにぎわいを見せた藤枝宿。その中に、ところどころ城下町の風情が漂う、独特の雰囲気をもった町だったのです。
- 藤枝宿からかえる - 2020年1月21日 - おぼえがき(ゆめてつどう)|2020/01/30 〔ついか〕
- みやげにサッカーもなかをかった府中屋から、にしに白子(しろこ)バス停まであるく。
- 白子バス停 14:15 → (しずてつジャストライン中部国道線・藤枝駅前いきバス) → 14:28 藤枝駅前
〔3分、240円*2〕