講堂
岡崎は東海道線岡崎駅の東南、針崎町(はりさきちょう)に旧愛知県第二尋常中学校講堂がある。宅地造成された新興住宅街のなかにたつ、ももいろの洋館がほれだ。洋館だけどやねはよせむねかわらやねぶき。外壁は洋風のいたばりで、よこいたはうすみどりいろ、はしらやまどわくはももいろ。このももいろがとくちょうてきだ。たてもん中央にくるまよせこそついとるもんの、全体にかざりっけはない。説明がきをみると、むかしアメリカではやったジョージアン様式っていうたてもんらしい。
説明がき
旧愛知県第二尋常中学校はいまの岡崎高校。第一が旭丘高校で、第二が岡崎高校だった。1896年、針崎町勝鬘寺(しょうまんじ)のかり校舎で開校。1897年、戸崎町(とさきちょう)の新校舎に移転。このとき、講堂もたてられる。1924年、現在地の明大寺町(みょうだいじちょう)に移転。このとき、講堂だけは日清紡績針崎工場に移転。この工場の講堂としてつかわれる。
はるさきのおか
周辺の新興住宅街は「はるさきのおか」ってなづけられとる。もともとの地名「はりさき」をもじって「はるさき」にしたにちがいない。日清紡績針崎工場あとちを宅地造成してできたまちだ。あたらしくてりっぱな住宅がずらーってたちならんどる。
〔2020年4月じゅうよっか訪問〕
(さんこう)
- 国登録:建造物 - 旧愛知県第二尋常中学校講堂|岡崎市ホームページ|2019年9月17日
- 春咲の丘公園|岡崎市ホームページ|2016年4月1日
- 愛知県立岡崎高等学校 - Wikipedia
- 一中として知られた「愛知県第一尋常中学校」(愛知県立旭丘高等学校の前身)に続き、1896年「愛知県第二尋常中学校」として始まった。
- 沿革
- 勝鬘寺 - Wikipedia
- くに登録有形文化財(建造物)旧愛知県第二尋常中学校講堂 - 岡崎市教育委員会 - おぼえがき(ゆめてつどう)|2020/04/14 〔ついか〕
- 勝鬘寺(しょうまんじ) - あきひこゆめてつどう|2020/04/15 〔ついか〕