願力寺の境内にたつ佐々木月樵先生のいしぶみ

2020.4.23 (9) 願力寺 - 手水舎の竜 1160-900

塚越古墳(つかごしこふん)をみたあと、となりの願力寺(がんりきじ)におまいり。

2020.4.23 (10) 願力寺 - 佐々木月樵先生のいしぶみ 1500-2000

本堂ひだりてまえに「佐々木月樵(ささきげっしょう)先生のいしぶみ」を発見。佐々木月樵はこの願力寺から上宮寺(じょうぐうじ)に養子にはいって、大谷大学の学長もつとめたひとだ。よめるかぎりによんでみる。

2020.4.23 (10-1) 願力寺 - 佐々木月樵先生のいしぶみ 500-950

佐々木月樵先生之碑

朝な朝な如来と共に起き、夕な夕な仏祖とともに臥す

家を出れば歩歩皆な光明、我をして此の恩恵に浴せしむること

ああこれ誰の恩恵ぞや、遥かに父母〇〇育の〇恩を謝し奉る

1921年10月29日、英京倫敦にて、月樵

2020.4.23 (11) 願力寺 - 佐々木月樵先生のいしぶみ 1500-2000

うん、なかなかむづかしい。まあ、「あさゆうほとけさんやご先祖さんにしたしんで、そとにでては光明をかんじる。こういった恩恵にあずかれるのも父母のおかげって感謝」っていうような意味か。1921年は、文部省のヨーロッパアメリカ視察団に、宗教分野の代表として佐々木月樵が参加したほのとしだ。イギリスのみやこロンドンにおりながら、こういうことをかんがえとっただ。

ところでうらめんに、このいしぶみを寄付したひとのなまえがかいてある。ふるいのひとだ。いや、すごい。

〔2020年4月23日訪問〕


(さんこう)

  • 塚越古墳 - あきひこゆめてつどう|2020/04/24
    • わがふるいのまちに塚越古墳(つかごしこふん)っていう古墳があって、いってみた。なんじゅうねんもふるいにすんどりながら、はじめていってみた。古井桜井古墳群を形成するひとつの古墳だ。
    • ひがしがわから願力寺(がんりきじ)をぬけていけるってきいとって、みなみまわりにまわっていく。願力寺のにしどなりに、はたけしごとをしてみえるおとこのひとを発見。このひとが、願力寺をぬけていけるっておしえてくれたひとだ。塚越古墳をみにいくとこだってこえをかけると、案内してくれる。おてらのひとにこえをかけて、おくりのわきをぬけていく。
  • 上宮寺 - あきひこゆめてつどう|2020/04/17
    • さるすべりは、「当時一高、いまの東大の数学教授にして文人でもあった数藤斧三郎(すどうおのさぶろう)が、上宮寺住職の養子の佐々木月樵(ささきげっしょう)をたずねてきて、1か月あまりの逗留をおえてかえるひにかねをつく機会をあたえられて、ほこで『さるすべり かねつけばちる あしたかな』の句をくちずさんだ」っていういわれのあるさるすべりであるとのこと。ちなみに、佐々木月樵の旧姓は山田で、わがふるいのまちにある願力寺(がんりきじ)の出身だ。
  • 佐々木月樵 - Wikipedia
    • 愛知県出身。古井の真宗大谷派願力寺に生まれる。旧姓山田。1875年4月13日から1926年3月6日。日本の仏教学者、教育者。大谷大学教授。のち大谷大学学長。清沢満之門下。著作に『親鸞聖人伝』、『支那浄土教史』などがある。
    • 1896年、真宗大学(后の大谷大学)に入学、1900年、同校卒業。この間、1898年、愛知県矢作町の真宗大谷派上宮寺住職の養子となり入寺、佐々木と改姓しておる。
    • 1921年には、師清沢満之を介して以前より親交のあった沢柳政太郎を団長とする、文部省のヨーロッパアメリカ視察団に同行。同視察団の派遣に際しては、経済・教育・宗教の各分野から団員が選ばれたが、佐々木月樵は宗教分野の代表として私立学校からの唯一の団員として参加した。
    • 1924年大谷大学第3代学長に就任。
  • 秀存語録 - 佐々木月樵撰|真宗大谷派(浄土真宗)念仏寺
    • 233.「朝な朝な仏と共に起き、夕な夕な仏と共に臥す」
      • ある女云く、われ往生を一定(いちじょう)すれども、我意他事を常に思ひて仏恩を妄るヽ(みだるる)は如何せん。答て云く、わか妄念をおしのけて喜ぶは自力なり。妄念を払はずして、其妄念の中から喜ぶなり。たとへは、座敷一杯に仕事をとりちらした所に他人来る。まつ暫し待ちたまへといひて、掃除して案内するなり。至つて心やすき内輪(うちわ)の人なれば、其とりだしたるなかへこヽろおきなく通して、其中にて咄し(はなし)をするなり。これ他人と内輪(うちわ)との違ひなり。此胸をあらためて煩惱をおしのけて称へるは弥陀を他人あしらひにするなり。妄念の中よりとなふるは阿弥陀如来を内輪あしらひにするなり。我心中をもとより知しめす阿弥陀仏なれば、少しもかくすことはない、みな御承知ゆへ、妄念を払ひのけることはいらぬなり。