知立は小松寺(こまつじ)の境内のかたすみに、知立宿(ちりゅうじゅく)わき本陣玄関を発見。いや、唐破風(からはふ)のついたつまいりやねに、ももいろのいたかべの地蔵堂だ。ほれに、ここ、知立宿からだいぶきたにはずれとるだけど、なんでこんなとこにあるだ。
説明がきがあって、よんでみる。
池鯉鮒宿(ちりゅうしゅく)脇本陣玄関(わきほんじんげんかん)
脇本陣は本陣の予備にあてられた宿である。江戸時代后期の池鯉鮒には、本陣の向い側に1軒設けられとった。文政(1818年から1831年まで)のころには「木綿屋(もめんや)」と号し、1843年の「宿村大概帳」には、建坪191坪(630平方メートル)で門構えはなく玄関のみがあったと記されとる。
この脇本陣玄関は、間口3.6メートル、奥行2.7メートル、高さ3メートルの朱塗りで、柱は移築の際切り落とされたが、唐破風(からはふ)の屋根は現在でもよく残されとる。
本町(ほんまち)にあったのを明治期に小松寺(こまつじ)に移築し地蔵堂にした。
なるほど。もともとは知立宿本陣のむかいにあっただ。ほれを、なんの事情があったのかわからんけど、明治になって小松寺の境内に移築したわけだ。ついでにたけをつめて、地蔵堂のおおきさにしたってわけか。
〔2020年5月じゅうよっか訪問〕
(さんこう)
- 知立の小松寺 - あきひこゆめてつどう|2020/05/18
- 知立宿をいく - 2019年11月13日 - あきひこゆめてつどう|2019/11/25
- だしぐらのへんから、左右は高層マンションやアパートがおおくなる。ところで、そろそろあるはずの本陣あとがない。
- ひきかえして都築屋美広のむかいがわにある東海道の案内看板をようみてみると、本陣あとは東海道からみなみにはずれたとこにあるみたいだ。みなみに知立駅北交差点までいって、右折。県道51号線をにしにすすんだとこで、みぎがわに知立宿本陣あとのいしぶみを発見。いやいや、こんなとこにあったとは。説明がきのかんばんをよんで、しきち3,000つぼもあった知立宿本陣が1875年にとりこわされたことをしる。みとるうちにおじさんがやってきて、こえをかけてくれる。往時の本陣のひろさをしっとるみたいで、ちゃんと東海道に面してあったことをおしえてくれる。おじさんも、いしぶみは東海道に面したとこにたてとかにゃいかんっていう意見だ。いしぶみのおくのたかいとこには、明治天皇行在所聖蹟のいしぶみ。明治になって早々の1868年に明治天皇がここをおとずれたみたいだ。もちろん、まんだ鉄道はないときのことだ。