2020年11月13日、松阪まであそびにいった。名鉄電車、近鉄電車をのりついでいったようす、松阪まちあるきのようすを以下に紹介する。近鉄電車は、名古屋から松阪までずーっとかぶりつきで、とおったすべてのえき、すれちがったすべての電車をしっかりみてたのしんむことができた。また、まちあるきは、赤壁校舎や本居宣長の旧宅、松阪商人の館なんかをみて、松阪っていうまちの偉大さをしることができた。
〔名鉄でふるいから名古屋まで〕
〔近鉄で名古屋から松坂まで〕(桑名)(四日市)(白子)(津)(伊勢中川)(松阪)
〔松阪まちあるき〕(地図)
◇ ◇
名鉄でふるいから名古屋まで
きょうはかんつうがた。西尾線ふるい8時17分のしんあんじょういきふつうは2両編成かんつうがたのあっかい電車で、2分おくれの運行。
きたにすすんで、しんあんじょうは2番のりばにとうちゃくするってとこで、まあはい4番のりばに名古屋本線須ケ口いき特急のこおろぎ特急がとまっとる。わがしんあんじょういきふつうが停止するまえに須ケ口いき特急がしゅっぱつ。こっちが定刻8時26分から2分おくれになって、須ケ口いき特急の発車時刻になっちゃっただ。西尾線の利用客がふえたことでおくれが慢性化して、こんな事態になっちゃっとるだけど、のりかえ検索じゃあのりつげることになっとるだけに、これは問題だ。
ふるいからここしんあんじょうまで5.7km、9分、38.0km/h。あさの混雑する時間帯だけに表定速度は40キロにみたんおそさ。
さて、4番のりばにつぎのしんあんじょう8時35分の岐阜いき特急がはいってきて、のる。電車は6両編成こおろぎ特急で、座席は1号車6D。ひだりまどがわはしらまえ。須ケ口いき特急にのれんことをみこしとって、つぎの特急の特別車両券をとっといた。
にしにすすんで、9時6分、地下駅の名古屋にとうちゃく。しんあんじょうからここ名古屋まで29.7km、31分、57.5km/h。この電車はダイヤのすきまをぬってはしる電車で、特急なのに表定速度は60キロにみたんおそさ。ほんとは名鉄電車はまっとはやい。
近鉄で名古屋から松坂まで
名古屋は連絡かいさつぐちをとおって、名鉄ホームから近鉄ホームにらくらく移動。3番のりばにこれからのる松阪いき急行を発見。この、かどだけまるめた、かくばったえんじいろの電車こそ近鉄電車だ。急行やふつうはぜんぶこのかたちになる。車両番号。しんがりが2912、ふたつめが2812で、この2両はベンチシート。
連結部分があって、まんだまえにつながっとる。車両番号。みっつめが5103、よっつめが5203、いつつめが5253。
むっつめが先頭で5153。まえの4両は転換クロスシート。ぜんぶで6両編成。
かぶりつきに陣どってしゅっぱつをまっとるとこで、みぎ4番のりばに特急電車が入線。
みぎにいまはいってきた特急電車をみながら、定刻の9時21分、名古屋をしゅっぱつ。乗客は座席に4わり。
みなみにすすんで、地上にでる。
みぎ曲線をすぎて、みぎ、米野車両基地に、おうどういろとしろのビスタカー。
みぎ曲線で、近鉄標準色のえんじいろの名古屋いきふつうとすれちがい。
みぎ曲線で米野(こめの)を通過するとこで、はんたい線そとがわのまちあい線にひのとり。こいえんじいろの流線形車体がかっこいい。
みぎ曲線で黄金(こがね)を通過するとこで、ひだり前方に先行するあおなみ線電車を発見。
すっかりむきがかわって、にしにすすんでいく。
高架をあがって、ゆるいひだり曲線で烏森(かすもり)を通過。
八田を通過するとこで、名古屋いき特急とすれちがい。しろじにおうどういろの線がはいった電車。
関西線をひだりにこえて、はいいろの庄内川鉄橋をわたる。
高架の伏屋(ふしや)を通過。
地平におりて新川(しんかわ)をわたる。また、すぐ高架をあがっていく。
地平におりて、戸田川をわたってすぐの戸田(とだ)を通過。
60キロの低速におちる。
福田川をわたる。
蟹江(かにえ)は2番のりばに停車。ここで名古屋いき準急とすれちがい。1番のりばに津新町いきふつうがまちあい。4番のりばに名古屋いきふつうがまちあい。
いま電車をおりたひとたちが構内ふみきりにあしどめされとるのをみて、しゅっぱつ。
蟹江川をわたるとこkで、名古屋いき特急とすれちがい。おうどういろに濃紺の線のはいった、むかしながらの近鉄特急。
しろいがっちりしたガーダー橋で日光川をわたる。
富吉(とみよし)はそとがわ線を通過。こっちが主線で、うちがわ線がまちあい線になるだ。
富吉すぎで、はんたい線とのあいだの留置線にアーバンライナー。しろい流線形の車体がかっこいい。
善太川(ぜんたがわ)をわたるとこで名古屋いき急行とすれちがい。
佐古木(さこぎ)を通過。
100キロですすむ。
名古屋いきふつうとすれちがい。
弥富(やとみ)は2番のりばに停車。愛知県内さいごのえきだ。
みぎ関西線の鉄橋と平行して木曽川鉄橋をわたる。近鉄はしろいでっかいトラス橋。関西線はみどりいろのでっかいトラス橋。わたったむこうは三重県。
みぎ曲線でアーバンライナーとすれちがい。
長島(ながしま)を通過。
みぎ、また関西線の鉄橋と平行して長良川揖斐川鉄橋をわたる。こんども近鉄はしろいでっかいトラス橋。関西線はみどりいろのでっかいトラス橋。ふたつの大河をいっぺんにわたるながーい鉄橋で、とちゅうで名古屋いきふつうとすれちがい。
みぎ前方に関西線電車。ぐいーんっておおきくひだりにまがって、進行方向をみなみむきにかえるとこで、JR東海313系の桑名いきふつうも接近してきて、ならんではしる。
関西線をみぎにこえる。みぎになったりひだりになったりだ。
すぐにまたみぎ曲線で地平におりていくとこで、ひだりから関西線が、みぎから養老線が合流してくる。
名古屋いき急行とすれちがって、桑名(くわな)に停車。
ホームのない益生(ますお)を通過。とまる電車は、みぎにふくらんでホームのあるまちあい線にはいっていくようになっとる。
町屋川鉄橋をわたるとこで、名古屋いきふつうとすれちがい。
伊勢朝日(いせあさひ)を通過。
朝明川(あさけがわ)をわたるとこで、名古屋いき急行とすれちがい。
川越富洲原(かわごえとみすはら)を通過。ふつう停車駅なのに2面4線のおおきなえきだ。
おー、ひのとりだ! 関西線をみぎにこえるとこで、ひのとりとすれちがい。車体をおおきくみぎにくねらせてせまってくるひのとりのかっこいいこと。
地平におりてみぎ曲線になったとこで、みぎから三岐線が合流してくる。
ほのままみぎ曲線のとちゅう、富田(とみだ)に停車。はんたいホームそとがわ、三岐線ホームに保々(ほぼ)いきふつうがとまっとるのをかくにん。電車は、あかいろとクリームいろの2色塗装。
みぎS字で阿倉川2連アーチをくぐっていく。
ひだり曲線で名古屋いき特急とすれちがい。しろじにおうどういろの線がはいった電車。
阿倉川(あくらがわ)に停車。
海蔵川(かいぞうがわ)をわたって、ひだり曲線で高架をあがっていく。
みぎ曲線のとちゅう、名古屋いき急行とすれちがって川原町(かわらまち)を通過。いや、おどろくことに方向幕が英語表示だ。にほんの電車なのに。
高架のまま三滝川(みたきがわ)をわたる。
ひだり曲線で名古屋いき準急とすれちがい。
四日市は2番のりばに停車。ひだり1番のりばに津新町いきふつうが発車まち。
どてうえ高架の新正(しんしょう)を通過。
関西線をひだりにこえる。
地平をすすんで、みぎ曲線で海山道(みやまど)を通過。
ひだりに貨物列車がいっぱいみえてきて、塩浜(しおはま)に停車。ここで名古屋いきふつうとすれちがい。わが松阪いき急行は運転士さん交代。貨物列車がいっぱいおるのはJR貨物のえきだ。
トラス橋の鈴鹿川鉄橋をわたる。
すぐに名古屋いき急行とすれちがい。
北楠(きたくす)を通過。
ガーダー橋の鈴鹿川派川(すずかがわはせん)鉄橋をわたる。派川ってここでしかきいたことがない。
みぎ曲線で名古屋いき特急とすれちがい。しろじにおうどういろの線がはいった電車。
すぐに楠(くす)を通過。ホームのない主線を通過。まちあい線のほうにだけホームがある。
100キロですすむ。
長太ノ浦(なごのうら)を通過。はんたいホームになんにんかひとがおる。
箕田(みだ)を通過。えきのさきはすぐたんぼで、さびしいかんじのえきだ。
四日市いきふつうとすれちがい。よこに回送電車。
すぐに伊勢若松(いせわかまつ)。2面4線のえきで、まちあい線のほうの1番のりばに停車。まちあい。
主線のほうの2番のりばをアーバンライナーがすごい速度で通過。
しゅっぱつするまえ、むこうからにぎやかないろがらの電車がはいってくる。なんかっておもったら試運転電車ってでとる。なんの試運転か。
しゅっぱつしてちょこっとして、みぎに鈴鹿線が分岐していく。
金沢川をわたる。
すぐに千代崎(ちよざき)を通過。
みぎ曲線で名古屋いき特急とすれちがい。しろじにおうどういろの線がはいった電車で、2階だて車両のついたビスタカー。
2面4線の白子(しろこ)は2番のりばに停車。はんたい線3番のりばの名古屋いき急行とすれちがい。ひだり1番のりばに津新町いきふつうがまちあい。
りっぱなこせんきょうのある鼓ケ浦(つづみがうら)を通過。
100キロですすむ。
110キロにあがる。これまでこの110キロを限度にはしってきとる。せっかく名鉄よりレールはばのひろい標準軌を採用しながらこの速度はざんねんなことだ。標準軌なら、急行でも160キロではしってほしいもんだ。
磯山を通過。
中ノ川をわたる。
千里(ちさと)を通過。
豊津上野(とよつうえの)を通過するとこで、名古屋いきふつうとすれちがい。えきは2面4線。
110キロですすむ。
ひだりに白塚車両基地。
つづいて白塚(しらつか)を通過。ここも2面4線。
ひだり曲線のとちゅう、横川をわたる。
すぐに志登茂川(しともがわ)をわたる。横川は志登茂川の支流。
高田本山(たかだほんざん)を通過。このえきからみぎにずーっとあるいていったとこに、浄土真宗高田派本山の専修寺(せんじゅじ)がある。
おがわをわたる。
2面4線の江戸橋(えどばし)に停車。ここで名古屋いき急行とすれちがい。
わが松阪いき急行をおりたひとたちが、ホームのさきっぽのほうにあるいていくのをみながら、しゅっぱつ。
名古屋いき急行をおりたひとたちは構内ふみきりであしどめ。いや、このえきは活気がある。三重大学のもよりえきで、利用客に大学生もおおいだ。じつはわが大学時代、バドミントンで三重大学との定期戦があって、このえきでおりたはずなだけど、なんにもおぼえてない。
紀勢線をみぎにこえる。
こえるとこで、紀勢線のひだりにならぶ伊勢線を、しろじにあおの単行列車がみなみにいくのがみえる。四日市始発の津いきふつうだ。関西線の四日市と紀勢線の津を短絡してむすぶ伊勢線を、ここまでやってきただ。
しましきホームむかいがわにアーバンライナーのとまる津(つ)に停車。5、6番のりばっていう番号がふってあるけど、1番のりばから4番のりばまでは紀勢線のりばで、近鉄はこのしましきホームひとつだけ。
ひだり紀勢線の狭軌単線とならんでみぎ曲線をいくとこで、名古屋いき特急とすれちがい。おうどういろに濃紺の線のはいった、むかしながらの近鉄特急。
ひだり曲線からすぐ安濃川(あのうがわ)をわたる。
津新町(つしんまち)は1番のりばに停車。津新町いきふつうは、津をひとえきすぎたこのえきまできておりかえすだ。のりばは変則的で、しましきホームひだりの1番のりばがみなみいき、しましきホームみぎの2番のりばがきたいきののりばで、みぎにはなれてある、みぎかためんホームの3番のりばが、津新町いきふつうがおりかえしをするのりば。いま、ちょうど3番のりばに、おりかえし四日市いきふつうになった電車がとまっとる。「ほんとは津でおりかえしゃいいもんを、構造上の制約があってここまできておりかえしとるだ」ってさいしょおもっただけど、あとでしらべたら、ここがそもそもの津の中心地だった。ただ、津からひだりにずーっとならんできとる紀勢線は、ここにえきがない。
岩田川をわたる。
丘陵地帯にはいって、みぎ曲線のとちゅう南が丘(みなみがおか)に停車。ニュータウンっぽいなまえのえきだけど、あとで地図をみてみると、あんのじょうまわりに広大な住宅街がひろがる。
くだりざかをいくとこで名古屋いき急行とすれちがい。
110キロですすむ。
ひだり曲線からすぐ久居(ひさい)に停車。旧久居市の代表駅。
桃園(ももぞの)に停車。
すぐにさかをくだっていく。ところで車内はがらがら。1両めに数人しかのってない。ずいぶんとおくまできたもんだ。大阪上本町方面へののりかえ案内もはいる。ここまでずーっと名古屋線をはしってきとるだけど、つぎの伊勢中川で大阪線と合流するだ。難波方面っていわんで上本町方面っていうのもおもしろい。上本町が近鉄の聖地なだ。
おおきなみぎ曲線からすぐ、あおっぽいごっついトラス橋の雲出川鉄橋(くもずがわてっきょう)をわたる。
中川短絡線がみぎに分岐。名古屋方面から大坂上本町方面にいくのに、伊勢中川で反転分岐せんでもいいようにつくった短絡線だ。ひのとりやアーバンライナーもこの線をとおる。
みぎ、中川短絡線が、きついみぎ曲線で雲出川の支流中村川をわたって、大阪線に合流していくのがみえる。
わが松阪いき急行は名古屋線をいく。ひだり曲線をすすんで、みぎからきた大阪線と合流。
はんたい線からでてきた名古屋いき特急とすれちがって、伊勢中川(いせなかがわ)は3番のりばに停車。線路のりょうがわにホームのあるおもしろい配線だ。むっつあるのりばのうちみっつがこの配線になっとるだけど、名古屋方面から大坂上本町方面へののりかえの便利のためこういう配線にしてある。このえきは地下通路でそれぞれのホームをつないどるだけど、極力地下通路をつかわんで、水平移動だけでのりかえができるようはいりょしとるだ。順方向ののりつぎでさえこせんきょうをわたらせるJR東海はこれをみならえや。
ところで停車中、正面から二丁拳銃で電車がやってくる。2本の電車が、分岐をとおるごとにちかづいたりはなれたりしながらこっちにやってくる。わくわくひやひやしながらみとると、みぎの電車がはんたい電車の名古屋いき急行だって、みぎどなりの4番のりばに停車。ひだりの電車は、賢島いきふつうになる電車が、おりかえししゅっぱつになるかたちではいってきたもんだって、ひだりの1番のりばか2番のりばに停車。
このあと、わが松阪いき急行も伊勢中川をしゅっぱつ。名古屋本線と大阪線が合流したこっからは、山田線ってなまえをかえた線路を東南方向にむかってすすんでいく。山田線の山田は宇治山田の山田。宇治山田は伊勢神宮のげんかんぐち。鉄道はそもそも寺社もうでのために建設された。
伊勢中原(いせなかはら)を通過するとこで、大坂上本町いき急行とすれちがい。いや、名古屋からやってきた電車と大阪にいく電車がすれちがうってのがおもしろい。
三渡川(みわたりがわ)をわたる。
松ケ崎(まつがさき)を通過するとこで、伊勢中川いきふつうとすれちがい。ホームのうえに道路橋がななめにかかっとるのはうれしくない。
ひだり曲線をいくとこで、みぎから紀勢線が合流してくる。
阪内川(さかないがわ)をわたる。
前方、みぎ曲線のさきに松阪(まつさか)のホームがみえてくる。
10時46分、みぎ6番のりばに大阪上本町いき特急がとまっとるとこで、松阪は7番のりばにとうちゃく。名古屋からここ松阪まで87.2km、1時間25分、61.6km/h。標準軌なのに表定速度が60キロちょいしかないってのは、ざんねんなことだ。狭軌の名鉄でも急行はまっとはよはしる。余談、電車のまどがまあちょっときれいだったらうれしかった。
近鉄のホームは、伊勢中川方面がかためんホームの6番のりば、宇治山田方面がしましきホームりょうがわの7、8番のりば。1番のりばから5番のりばまでは、紀勢線ののりばになる。
さて、まんだ7番のりばにおるとこで、むかいの8番のりばにかわった電車がはいってくる。ぜんぶで6両編成なだけど、先頭車両にだけさかなのえがかいてあるだ。ほかの車両からはひとがおりてくるのに、先頭車両からはだあれもおりてこん。なかをのぞいてみると、乗降とびらのうちのなんかしょかにいけすがおいてある。あー、これが鮮魚列車か。行商のひとたちが三重県のさかなを大阪までもっていくために運行されとる列車だ。経緯はようわからんけど、いまは「伊勢志摩お魚図鑑」っていうなまえの車両にかわって、一般車両に併結されるかたちで運行しとるだ。あとでしらべてみたら、大阪上本町始発松阪いき快速急行だった。8時54分に大阪上本町をでて、10時48分に松阪につく。大阪までさかなをはこんで、まあはいかえってきただ。
こせんきょうをわたって1番のりばにおりて、かいさつをでる。紀勢線のホームは国鉄がた配線になっとって、かいさつに直結して1番のりばがあるだ。かいさつは自動改札機もおいてある、紀勢線と近鉄共用のかいさつなだけど、紀勢線はトイカやマナカがつかえんのがかなしい。
松阪まちあるき
松阪は、紀勢線のがわのかいさつをでて、コンコースからほのままえきまえロータリーになる。みぎはんぶんがタクシーのりばのロータリーで、ひだりはんぶんがバスのりばのロータリー。左右のロータリーのまんなかは、コンコースからつづく、やねつきの通路になっとって、さらに横断歩道をわたってえきまえどおりにつながっていく。人間がクルマにけちらされることのない、すてきなえきまえだ。ところで、タクシーのりばのロータリーのほうにおおきなすずの像があるけど、こやあなんだ。
とりあえず、えきまえどおりをまっすぐやま方向にあるいていく。きょう松阪まできたのは、おおきなふねがたはにわが展示してあるっていうはにわ館にいくのが目的だっただけど、とりあえずはおしろのへんにいってみることにする。てきとうにやま方向にあるいていきゃあおしろがあるだらあ、っておもった。左右の歩道は商店街アーケードで、ところどころのみせにすずをあしらったかんばんやらなんやらがある。すずが松阪のまもりがみなのか。ほういやあ、2013年までつづいた松阪のSNSも松阪ベルネットっていうなまえだった。
おおきな交差点までいったとこで、ひだりむこうのかど、ヒシナカ薬局のまえにでっかいみちしるべを発見。「左さんぐう道、右わ?やま道」。「さんぐう」は参宮のことにちがいないだけど、「わ?やま」ってどこだ。左右にのびるとおりは電柱のないきれいなとおりで、交差点のなまえは日野町(ひのまち)交差点。あ、日野って、ひょっとして蒲生氏郷(がもううじさと)のふるさと近江日野からとったじゃないか。松阪は、蒲生氏郷がここにおしろをつくってまちができただけど、ほのまえは近江日野の城主だっただ。松阪っていう地名自体も、近江日野の「若松のもり」からとったもんだっていう。
日野町交差点からさらにやま方向にあるいていく。「わ?やま道」のほうだ。
すすんでアーケードもつきたとこで、みぎ45度やなみごしに天守閣。方向をかえて、住宅街にはいって名古屋方向にあるいていく。天守閣かっておもったのは、おしろじゃなくてなんかのみせだった。いや、ようかんがえたら、いま天守閣はのこってないだ。ちょうどみちにでとったひとにおしろがどっちかきくと、このまま名古屋方向にいきゃああるっていう。
すすんで、ひだりに風格のある木造たてもん。いってみると、松阪工業高校のしきちないにあるほのたてもんは旧三重県立工業学校製図室だった。かわらぶきのきりつまやね、あっかくぬられたいたべいの、洋館っぽい外観だ。説明がきに「旧三重県立工業学校は1902年開校。たてもんはすべて変色せん朱でぬられとって、赤壁校舎(せきへきこうしゃ)ってよばれた。このたてもんは製図室として1908年に完成したもん」ってかいてある。あかかべじゃなくて、せきへきだ。いや、ほんなことより、「旧三重県立工業学校」っていうなまえに「松阪」の文字がはいってないってことが注目点だ。三重県でゆいつの工業高校がこの松阪にあったってことなだ。津にも四日市にもあっちこっちにもある工業高校のひとつが松阪にもあった、わけじゃない。ほいだけ松阪のまちにちからがあった。
また名古屋方向にすすんで、おしろのいしがきにぶちあたる。みあげるほどのたかいいしがきだ。
いしがきをひだりのほうにいったとこにあった本居庵っていうみせにはいって、ひるごはん。本居はもちろん、松阪の偉人にしてにほんの偉人、本居宣長(もとおりのりなが)のこと。たのんだのは、じねんじょのかばやきどんぶり。ごちそうさまでした。
ひきかえしていくとこで、いしがきのはんたいがわに本居宣長ノ宮っていうおみやさんを発見。本居宣長のおみやさんがあるって、さすがだ。おおとりいをくぐって、いしだんをあがっていく。
たかみにある社殿におまいり。
いったんしたにおりて、はんたいがわのおしろのほうにあがってみる。
本居宣長記念館まえから伊勢神宮方面をのぞむ。いちめんのまちなみのなか、さっきみてきた赤壁校舎もある。
ひだりに45度ふって、松坂駅方面をのぞむ。えきまえらしいビルもいくつかある。
本居宣長記念館のおくに本居宣長旧宅。もともとこんなおしろのうえにあったわけはなくて、ここに移設したもんだった。さいしょ職人町に隠居屋敷として建築したもんを、伊勢街道ちかくの松阪の商業の中心、魚町(うおまち)に移設して、本居宣長がくらしたもんだ。ここで医者をやるかたわら古事記の研究にいそしんだ。江戸にくらす万葉集研究家の賀茂真淵(かものまぶち)の助言をえたりしながら、古事記伝を完成させる。また、すずがすきで、研究のあいまにすずのねいろをたのしんどったっていう。すずをいっぱいぶらさげた書斎をみずから「鈴屋(すずのや)」ってなづけた。これだ。えきまえにおおきなすずの像があったり、商店街のところどころにすずをあしらったかんばんやらなんやらがあったりするのは、これがもとだっただ。すずが松阪の象徴になっとるだ。旧宅がここに移設されたのは、明治も末年になってからのこと。
おくのまからうらにわをみる。
本居宣長記念館を見学。本居宣長は、伊勢街道をいきかうひとたちをみて、にほんってなんなのかってかんがえたっていう。かんがえたすえに古事記だってことになった。1700年代当時、古事記になにがかいてあるのか、まあはいわからんくなっとったっていう。ほれをよみといて、われわれにほんじんの祖先のものがたりをあきらかにした。ほれが古事記伝で、ほの版木(はんぎ)が展示してある。
本居宣長がくらした魚町をみてみたい。館員のおねえさんに地図をもらって、ばしょをおしえてもらう。
いしがきをおりていく。
いしがきのまわりをまわっていく。ほんとにすごいいしがきだ。
大手門のとこから、うみ方向にのびる大手どおりをくだっていく。ひだりに、松阪市民病院や松阪市役所をみていく。官庁街ってとこだ。市役所をすぎてみちがたいらかになったとこで、十字路を左折。
魚町どおりを名古屋方向にはいって、ちょっといったひだり、旧長谷川治郎兵衛家を見学。丹波屋っていう屋号で木綿問屋をやっとった豪商で、江戸にもおおだな(大店)をもっとった。この「江戸だなをもっとった」っていうのが、松阪商人のとくちょうだっていう。日野商人なんかの近江商人は行商で財をなした。ほいから、しらんかっただけど、江戸の呉服店越後屋で有名な三井家も松阪商人だった。
とんとんとーん。はたをおるおとがする。どまからすぐみぎにあがったへやで、おんなのひとがむかしながらのはたおりをしとるだった。いや、こんななつかしい光景がめにできるとはおもわんかった。わが原風景のなかにこのはたおりの光景があるわけじゃないけど、なんかなつかしいかんじがする。なにをおっとるのかきいてみると、木綿だった。あー、いま松阪は、伝統的工芸品である木綿の復権にとりくんどるって、みみにしとったわ。いや、でも、こんなておりでおっとるとはおもわんかった。さらにきいてみると、いま、こうやって個人個人で木綿をおってみえるひとがたくさんあるっていう。個人宅でもっとるはたおりきでおってみえるだ。はたおりきのないひとはやれんのかってきくと、松阪もめん手織りセンターっていう施設があって、ほこでだれでもやれるっていう。ほー、すごいな。おんなのひとは、松阪もめん手織り伝承グループ「ゆうずる会」のかただった。
はたおりべやのわきからおくにはいっていって、いちばんおくに大正ざしき。皇族のかただったかをおもてなししたこともあるっていうへやだっていう。
ところで、むねがわら(棟瓦)の一部分のしたがすいとって、ほのほっそいすきまをとおしてむこうに、また、むねがわら。いや、こんなのみたことない。
△ ひだり=だいどころからうえをみあげたとこ、みぎ=うらからやねをみたとこ
案内人のおじさんにきいてみると、だいどころのやねにつくった換気口だっていう。たてもんのうらにまわってみるとようわかる。換気口部分のやねだけうえにあげたで、こんなかわった構造のむねがわらになっとっただ。
旧長谷川治郎兵衛家からちょこっと名古屋方向にいったみぎがわに、本居宣長宅あと。魚町のこのばしょで、にほんってなんなのかってかんがえて、ついには古事記伝を完成させただ。
魚町どおりから1本うみよりの伊勢街道にでて、名古屋方向にすすんで阪内川てまえみぎ、旧小津清左衛門家を見学。松阪商人の館っていう別名もついとって、じつは11年まえにもきたことがあった。見学するうちにおもいだした。
案内人のおじさんが、まず説明してくれたのが万両ばこ。千両ばこじゃなくて、万両ばこだ。ほれぐらい松阪商人にはちからがあったってことだ。なんの商売をやっとったのかってきくと、かみ問屋だったっていう。屋号は小津屋。
また、伊勢参宮名所図会(いせさんぐうめいしょずえ)「松坂大橋」っていう、むかしのえをみせてくれる。まんなかにみえるはしが、この小津屋のすぐ名古屋方向にあるはしで、てまえ名古屋方面から「松坂大橋」で阪内川をわたったむこうに松阪のまちがある、っていう構図になる。はしをわたったむこうがわ、すぐひだりにあるたてもんが当時の小津屋だっていう。むこうぎし、ずーっとみぎがわにみえるのが松坂城。「松坂」はそもそも「松坂」だって、おしろはいまも「松坂城」だ。
いや、ほれにしても、しっかりした、おおきなつくりのたてもんだ。いかにもおおだなってかんじがする。
伊勢街道を伊勢神宮方向にすすんで、ひだりに三井家発祥の地をみる。いまもすごい門がまえのうちがたっとるもんだ。
さらに伊勢神宮方向にすすんで、大手どおりとまじわる交差点のみぎてまえかどにでっかいみちしるべを発見。「左さんぐう道、右大手筋」ってかいてある。こいつはかんたんによめた。
まちあるきをおえて、えきにもどることにする。伊勢街道をほのまま伊勢神宮方向にすすんで、日野町交差点を左折。えきまえどおりをうみ方向にあるいていく。
まあちょいでえきっていうとこのひだりがわに駅弁のあら竹。社長の新竹浩子さんとはSNS上での交流があるだけど、まんだおめにかかったことがない。ところで、ガラスごしにちょこっとのぞいてみると、なんと電話をかけてみえる。うしろすがただけど、このひとにまちがいない。電話がおわってみせにはいっていくと、なんとむこうから「いわせさん~」っていってくれる。いや、想像しとったとおりの、あかるく、精力的で、しっかりもんで、スタイルがよくて、美人な社長さんだ。ここでモー太郎寿司をかいもとめて、おまけに記念さつえいをしてもらって、松阪をあとにする。はにわ館にいくのは、またの機会にした。
◇ ◇
「左さんぐう道、右わ?やま道」のみちしるべのことは、うちにかえってからしらべた。「わ?やま」は和歌山だった。伊勢神宮方面につながる伊勢街道から、ここでやま方向に和歌山街道が分岐しとるだった。いや、和歌山ってどえらいとおいじゃんかっておもうけど、三重県の南部は紀伊のくにの一部だし、江戸時代、松阪はとびちとして紀州藩の領土だっただ。
(さんこう)
- 乗車記録 - 2020年11月13日、きんようび、平日
- 松阪ってむかしは…|いわせあきひこ|フェースブック|2020年11月15日1:15
- 松阪ってむかしは松坂っていったらしい。おしろも松坂城だし、やっぱり一般的な漢字の「坂」にしたほうがいいじゃないかな。ついでに大阪も大坂にしたほうがいいっておもう。
きのう松阪のまちあるきをしとって、ほんなことをおもった。
- 松阪ってむかしは松坂っていったらしい。おしろも松坂城だし、やっぱり一般的な漢字の「坂」にしたほうがいいじゃないかな。ついでに大阪も大坂にしたほうがいいっておもう。
- おー、いっぺんに…|いわせあきひこ|フェースブック|2020年11月14日20:56
- おー、いっぺんに電車が2本やってくる!
松阪いき急行で伊勢中川に停車しとるとこで、むこうから同時に2本電車がやってくる。みぎにはいってきたのが名古屋いき急行で、ひだりにはいってきたのが、おりかえし賢島いきふつうになる電車。
いや~、どきどきしたわ~。
#近鉄
- おー、いっぺんに電車が2本やってくる!
- 英語表記の電車の方向幕 - あきひこのいいたいほうだい|2020/11/14
- ひどい。にほんの電車なのに。
松阪いき急行にのって、四日市のちょっとてまえですれちがった電車の方向幕がこれだった。
英語がよめんと、にほんじんやっとれんのか。
- ひどい。にほんの電車なのに。
- 11月13日~~…|新竹浩子さん|フェースブック|2020年11月13日17:04
- 11月13日~~大事な商談が1件~~新しい駅弁大会の販路になったらうれしい(^-^)/
- あら竹駅弁友の会の応援とご贔屓は、中間さん、いわせさん~~ツーショット記念写真でワタシの衣装がちがうのは、商談用と普段着で~~(笑)( 〃▽〃)
- 棟瓦(むねがわら)のしたが…|いわせあきひこ|フェースブック|2020年11月13日16:42
- あれー、棟瓦(むねがわら)のしたがすいとる。
- 女房は…|いわせあきひこ|フェースブック|2020年11月13日16:29
- やったーっ!…|いわせあきひこ|フェースブック|2020年11月13日16:19
- やったーっ!
あこがれの美人社長さんとついにツーショット!
松阪のあら竹さんでべんとうかったあと♪
- やったーっ!
- 本居庵で…|いわせあきひこ|フェースブック|2020年11月13日12:14
- 本居庵でじねんじょのかばやきどんぶり♪ ごちそうさまでした😀
- 赤壁校舎|iwase.akihiko|インスタグラム|2020年11月13日
- 鮮魚列車が…|いわせあきひこ|フェースブック|2020年11月13日12:06
- 鮮魚列車がはいってきた。おーっ!
- ひのとりと…|いわせあきひこ|フェースブック|2020年11月13日12:04
- ひのとりとすれちがい。おーっ!
- 日野のたび - 2020年7月ついたち - あきひこゆめてつどう|2020/07/08
- 松阪ベルネットの おもいで - あきひこのいいたいほうだい|2013/05/12
- 松阪に いって きました ^^ (松阪ベルネット 14) - あきひこのいいたいほうだい|2009/01/16
- 松阪からかえる - 2020年11月13日 - おぼえがき(ゆめてつどう)|2020/11/20 〔ついか〕
- 2020.11.13 松阪の地図 2240-1790 〔ついか〕
*1:ひだりまどがわはしらまえ