二ツ杁でおりてみたらほこは美濃路だった - 2020年10月16日

2020.10.16 (32) 西枇杷島 - 問屋記念館(ひだり45度から) 2000-1500

おりたことのないえきでおりてみたらなにがあるのか。2020年10月16日、名古屋本線二ツ杁(ふたついり)のえきでおりてみた。庄内川(しょうないがわ)をむこうにわたって、津島線が分岐する須ケ口(すかぐち)までのあいだにみっつあるえきのうちのまんなかのえきで、主線にホームがなくて、ここに停車する電車はぜんぶまちあい線のほうにはいっていくっていう、あのえきだ。なんの予備知識もなしにおりた二ツ杁のえきだけど、えきからまっすぐあるいてでたみちは美濃路だって、むかしは枇杷島市場(びわじましじょう)もあって、たいへんなにぎわいだったっていう街道のふぜいをたのしむことができた。以下に二ツ杁までの電車道中と、現地のまちあるきのようすを紹介する。
〔電車道中〕〔まちあるき〕

◇            ◇

電車道

さいしょは西尾線。2両編成きんぎょばちのあっかい電車で、ふるいからしんあんじょうまでいく。

2020.10.16 (1) しんあんじょう - 一宮いき急行 1520-1200

名古屋本線にのりかえで、2番のりばから4番のりばに移動。しんあんじょう11時36分の一宮いき急行にのる。電車はまえ4両、うしろ2両ともあっかい電車のあかあか連結。

2020.10.16 (2) 一宮いき急行 - しんあんじょう牛田間(東岡崎いきふつう) 1600-1200

東岡崎いきふつうのあっかい電車とすれちがい。

2020.10.16 (3) 一宮いき急行 - 知立てまえ(豊橋いき快速特急) 2000-1500

知立てまえで豊橋いき快速特急パノラマスーパーとすれちがい。

2020.10.16 (4) 一宮いき急行 - 知立(豊橋いき急行) 1950-1500

知立に停車。ここで、豊橋いき急行のあっかい電車とすれちがい。うしろはぎんいろ電車。

2020.10.16 (5) 一宮いき急行 - 境川てまえ(吉良吉田いき急行) 2000-1500

三河尾張のさかい、境川をわたるてまえで、吉良吉田いき急行のあっかい電車とすれちがい。

2020.10.16 (6) 一宮いき急行 - 中京競馬場前てまえ(豊橋いき特急) 1600-1170

中京競馬場てまえで豊橋いき特急のこおろぎ特急とすれちがい。

2020.10.16 (7) 一宮いき急行 - 有松(豊川稲荷いき急行) 2000-1500

有松に停車。ここで豊川稲荷いき急行のあっかい電車とすれちがい。

2020.10.16 (8) 一宮いき急行 - 本笠寺てまえ(豊橋いき急行) 2000-1500

本笠寺てまえで豊橋いき急行のあっかい電車とすれちがい。

2020.10.16 (9) 一宮いき急行 - 呼続(豊橋いき快速特急) 1920-1480

呼続を通過するとこで、豊橋いき快速特急パノラマスーパーとすれちがい。

2020.10.16 (10) 一宮いき急行 - 堀田(岐阜いき特急) 1980-1480

堀田はまちあい線の1番のりばに停車。ホームのない主線をとおって、岐阜いき特急の貴婦人特急がおいこしていく。貴婦人特急は、のこり1編成だけになった1702編成。

2020.10.16 (11) 一宮いき急行 - 堀田(吉良吉田いき急行) 2000-1500

はんたい線まちあい線の4番のりばに吉良吉田いき急行がはいってきて、ちょっとして堀田をしゅっぱつ。吉良吉田いき急行は、こおろぎ塗装とあっかい電車の連結。

神宮前に停車。「この急行は二ツ杁にも停車します」の車内放送。二ツ杁には、ぜんぶの急行がとまるわけじゃないだ。

神宮前からつぎの金山までは複々線区間

2020.10.16 (12) 一宮いき急行 - 神宮前金山間(セントレアいき特急) 1680-1350

金山てまえでセントレアいき特急のこおろぎ特急とすれちがい。

2020.10.16 (13) 一宮いき急行 - 摩天楼 2000-1500

摩天楼にもぐって、名古屋に停車。

2020.10.16 (14) 一宮いき急行 - 名古屋栄生間(トンネルでぐち) 1600-1200
2020.10.16 (15) 一宮いき急行 - 名古屋栄生間(豊橋いき快速特急) 1870-1500

地上にあがって、豊橋いき快速特急パノラマスーパーとすれちがい。

2020.10.16 (16) 一宮いき急行 - 栄生 2000-1500

しましきホームの栄生(さこう)に停車。

2020.10.16 (17) 一宮いき急行 - 東枇杷島(吉良吉田いきふつう) 1790-1350

きっついみぎ曲線のあと、東枇杷島を通過するとこで、吉良吉田いきふつうのあっかい電車とすれちがい。

2020.10.16 (18) 一宮いき急行 - 庄内川鉄橋 1400-1050
2020.10.16 (19) 一宮いき急行 - 枇杷島分岐点 2000-1500

きっついひだり曲線のあと、庄内川鉄橋をわたって、分岐をひだりにはいる。みぎは犬山線

2020.10.16 (20) 一宮いき急行 - 西枇杷島 2000-1500

きっついひだり曲線のあと、改修工事中の西枇杷島を通過。庄内川の前后、じつに線路がくねくねで、ゆっくりしかはしれん。

2020.10.16 (21) 一宮いき急行 - 二ツ杁 2000-1500
2020.10.16 (22) 一宮いき急行 - 二ツ杁 1600-1200

12時19分、てまえの分岐をひだり、まちあい線のほうにはいって、二ツ杁にとうちゃく。しんあんじょうから二ツ杁まで33.9km、43分、47.3km/h。急行なのに表定速度が50キロにもみたんのは、尾張にはいってくねくね区間がおおかったでだ。

2020.10.16 (23) 二ツ杁 - 一宮いき急行 2000-1500
2020.10.16 (24) 二ツ杁 - 一宮いき急行 2000-1500

のってきた電車をみおくって、ひだりにかいさつをでる。かいさつは一宮、岐阜方面のりばと、名古屋方面のりばとにそれぞれあって、一宮、岐阜方面のりばからは必然的にひだりにかいさつをでることになる。構内ふみきりもこせんきょうもなくて、はんたい方面ののりばにいくには、いったんかいさつをでて、線路したをくぐる地下通路をわたっていくしかない。

まちあるき

一宮、岐阜方面のりばのほうのえきまえは、ただ住宅街っていうだけで、とくになんにもなし。地下通路をわたって、名古屋方面のりばのほうのえきまえにいってみると、まんまえにマンションがあるほか、ぱらぱらとみせがあるだけ。えきからちょこっとはなれたとこでおおきなこうばにさえぎられて、まちのひろがりはない。

けっきょく一宮、岐阜方面のりばのほうのえきまえにもどって、えきからはなれて住宅街のなかをあるいていく。にしむきにあるいていっとるつもりだったけど、じっさいはみなみむきにあるいていっとるだった。名古屋から一宮、岐阜方面はきたにすすんでいくっていう感覚がつよくて、えきからひだりにあるいていっとるだで、にしむきにあるいていっとるにちがいないっておもっただ。じっさいは、庄内川鉄橋をわたったあとおおきくひだりにゆみなってきとって、西枇杷島のえきから二ツ杁のえきにかけて名古屋本線をにしにすすんできとった。したがって、えきからひだりにあるいていくってのは、みなみむきにあるいていっとるだった。

あるいていって、美濃路にあたる。いや、このとおりのふぜいは美濃路にちがいないっておもっただけど、あとでまちがいないことがわかった。ただ、こんなふうに美濃路にあたるってことについては釈然とせん。とりあえず、美濃路をひだりにはいっていく。まんだ方角がのみこめとらんくて、みなみむきにあるいていくもんだっておもった。

2020.10.16 (25) 八百喜 - 信長かきあげ天茶 1200-900

すすんで、ひだりににほん料理八百喜(やおき)っていうみせを発見。いや~、めしやさんがあって、よかった~。たのんだのは信長かきあげ天茶。信長っていうなまえがついとるのがおもしろくてたのんだだけど、かんがえたらここって信長のふるさと清洲城からちかいだ。いや、ほれにしても、かきあげのでっかいこと。でっかいのに、さくっとしてうまい。さいしょはてんどんのまま、あとからおちゃづけにしてごちそうさまでした。いいみせがあったもんだ。

2020.10.16 (26) 問屋記念館まえ - 「清須市の観光」 2000-1500

八百喜のとなり問屋記念館のまえに「清須市の観光」っていう案内かんばん。平成の大合併をへて、名古屋本線西枇杷島から新清洲(しんきよす)までのあいだは清須市になるだ。おしろは清洲城だけど、合併したあとの市のなまえは清須市。問屋記念館ものっとって、このあたり美濃路が東西にはしっとることもわかった。美濃路にあたってからここまで、ひがしむきにあるいてきとっただ。

2020.10.16 (31) 西枇杷島 - 問屋記念館(正面から) 1840-1500

みちからおくまったとこに問屋記念館のたてもん。木造かわらぶき2階だて、ひらいりのたてもんだ。しんがたコロナウイルスの注意喚起のためのかんばんみたいなぶすいなもんもでとっただけど、写真をとるにあたって、みせばんのおねえさんにたのんで一時的にどかしたりしてもらった。ありがとうございました。

おもてにたっとる説明がきをかくにん。このたてもんは、問屋業をいとなんどった山田九左衛門(やまだくざえもん)家の住居で、問屋業をはじめたのは徳川家康がきっかけだったとのこと。大坂ふゆの陣のおり、徳川家康庄内川をわたるのをたすけたことで、ほのみかえりにひきたてられて問屋業をはじめたみたいだ。ほー、ほんなものがたりがあったのか。

2020.10.16 (28) 問屋記念館 - どま 2000-1500

みせをはいってすぐのとこは、ひろいどま。

2020.10.16 (29-1) 問屋記念館 - 「枇杷島市場問屋配置図」 1520-1150

かべに枇杷島市場問屋配置図。このたてもんは、枇杷島市場にあったもんをさいきんになってここに移設したもんで、枇杷島市場は、江戸の神田、大坂の天満とあわせて、にほん三大あおものいちばっていわれたとのこと。いや、おどろきもものきだ。枇杷島市場はこっから美濃路をまあちょっとひがしにいったとこにあって、この地図に山田九左衛門のなまえもしっかりある。

2020.10.16 (27) 問屋記念館 - ざしき 1600-1200

おくにざしき。

2020.10.16 (32-1) 西枇杷島 - 問屋記念館(ひだり45度から) 1260-1500

ところで、この問屋記念館のたっとるしきち、おくがひくくなっとる。みちとはおんなじたかさにあるだけど、おくにいくにしたがってひくくなっていくだ。つづくきたどなりのしきちもひくい。二ツ杁のえきから美濃路にあたるときにも、さかをあがった。つまり、美濃路のとこだけたかくなっとって、ほのきたがわわすぐひくくなっとるだ。はばのひろい堤防みたいなもんをつくって、ほこに美濃路をとおしたってわけか。

2020.10.16 (33-1) 二ツ杁駅 - 「西枇杷島問屋記念館へのご案内」地図 980-810

見学をおえて二ツ杁のえきにもどったとこで、「西枇杷島問屋記念館へのご案内」を発見。こんどは名古屋方面のりばにつながるきたぐちかいさつをはいるわけだけど、こっちがわにはこんな案内かんばんがあっただ。地図もあって、名古屋本線美濃路が、平行して東西にはしっとることがわかる。いちばんしたに、「当駅地下通路をくぐり、まっすぐみなみへすすむと、美濃路につきあたります。問屋記念館は、美濃路をひがしへ225メートルすすむとみちのきたがわにあります」ともかいてある。

いや~、このかんばんもみらんで、ここにかいてあるとおりにいってきたわ~。にがわらいして、かえりの電車にのる。


(さんこう)