三河知立ゼロキロポストをたずねて【后編】 - 2021年1月26日

2021.1.26 (10) 三河知立ゼロキロポスト(みなみから) 2000-1500

2021年1月26日、前日にひきつづいて、三河鉄道時代のゼロキロポストをみつけに三河知立(みかわちりゅう)までいってきた。

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あさ、豊田市近代の産業とくらし発見館に電話。担当の小西さんから、三河知立ゼロキロポストのばしょをおしえてもらう。えきからはだいぶ豊田市方面にいったとこにあるとのこと。

2021.1.26 (1) みなみあんじょう - しんあんじょういきふつう 2000-1500

午前中の用事をすませて、みなみあんじょう12時57分のしんあんじょういきふつうにのる。電車は2両編成きんぎょばちのあっかい電車。

13時2分、しんあんじょうは2番のりばにとうちゃく。

2021.1.26 (2) しんあんじょう - 一宮いき急行 2000-1500

橋上コンコースをわたって4番のりばに移動。しんあんじょう13時6分の一宮いき急行にのる。電車は、4両編成のあっかい電車と2両編成のぎんいろ電車の連結。

13時10分、知立は5番のりばにとうちゃく。

2021.1.26 (4) 知立 - 山口屋どてどん 1200-900

いったんかいさつをでて、えきまえにみつけた山口屋っていうみせでひるごはん。たのんだのはどてどん。どてどんはひさしぶりだけど、なんかいいな。

2021.1.26 (5) 知立 - 猿投いきふつう 2000-1500

えきにもどって、こんどは三河線。2番のりばから知立14時5分の猿投いきふつうにのる。電車は6038編成2両6000系かんつうがた。三河線6000系かんつうがたがすべてだ。

2021.1.26 (6) 三河知立 - 知立いきふつう 1980-1460

のること1分の14時6分、三河知立は3番のりばにとうちゃく。豊田市方面から知立いきふつうのあっかい電車が2番のりばにはいってくるのをでむかえ。

2021.1.26 (7) 三河知立 - 猿投いきふつう 1990-1480

ここまでのってきた猿投いきふつうのあっかい電車が豊田市方面にでていくのをみおくり。

かいさつをでて、線路のきたがわに平行する道路をひがしにあるいていく。

2021.1.26 (8) 三河知立ひがしふみきりから豊田市方面をみる 2000-1470

さいしょのふみきりをみなみにわたる。ほのとちゅうで豊田市方面をみてみる。この視界のなかのどっかにゼロキロポストがあるはずだ。

線路のみなみがわに平行する道路をひがしにあるいていく。7年まえに知立連絡線あとをあるいたときにとおったみちだ。このさきで三河線からみぎに分岐して名古屋本線につながる知立連絡線があっただ。

ちなみにきのうは、このふみきりから、線路のみなみがわに平行する道路をにしにあるいてえきのほうにもどっていった。まさか、えきからほんなにはなれたとこにゼロキロポストがあるとはおもわんかっただ。

ひがしにあるいて、線路ぞい、さいしょに4階だてのデンソー知立寮。つづいて3階だてのアパート。

2021.1.26 (9) 三河知立ゼロキロポスト(みなみから) 2000-1500

あった! 3階だてのアパートのひがしのはし、単線の三河線の線路のむこうがわに、三河知立ゼロキロポストを発見。しろいおおきな三角柱の標識に、でっかくゼロってかいてある。いや、こんなにえきからはなれたとこにあったとは。

2021.1.26 (10) 三河知立ゼロキロポスト(みなみから) 2000-1500
2021.1.26 (11) 三河知立ゼロキロポスト(みなみから) 2000-1500

単線の三河線の線路のてまえには、まんだ知立連絡線の線路ものこっとって、さらにほのこっちがわには、なんぼんかのレールもひらづみしてある。

2021.1.26 (12) 三河知立 - きたのみち(にしむきにさつえい) 1940-1480

いったんにしに「さいしょのふみきり」までもどって、こんどは線路のきたがわに平行する道路をひがしにあるいていく。

2021.1.26 (13) 三河知立ゼロキロポスト(きたから) 1930-1500
2021.1.26 (15) 三河知立ゼロキロポスト(きたから) 1950-1500

ふたたび三河知立ゼロキロポストを発見。きためんにはなんにもかいてなくて、正面からはただしろいおおきな三角柱の標識がたっとるっちゅうだけだ。

2021.1.26 (14) 三河知立ゼロキロポスト(きたから) 2000-1290

このばしょからみぎに知立連絡線が分岐していっとった。7年まえにはこのさきものこっとった廃線あとはまあないだけど、ほいでものこっとる線がわずかにみぎにゆみなっとって、おもかげはのこっとる。

2021.1.26 (16) 三河知立ゼロキロポスト(きたから) 2000-1500
2021.1.26 (17) 三河知立ゼロキロポスト(きたから) 1990-1480

ひだり45度以上にまわりこんでいって、やっとゼロの文字がみえる。

2021.1.26 (18) 三河知立ゼロキロポスト - 知立いきふつう 2000-1500

豊田市方面からやってきた、知立いきふつうのあっかい電車が、三河知立ゼロキロポストのまえをとおりすぎていく。三河鉄道はそもそも、こっからみなみに碧南までをむすぶ、碧海軽便鉄道(へっかいけいべんてつどう)として計画された鉄道だった。いまは知立で反転分岐してみなみにのびる三河線だけど、もともとはまっすぐにのびていく鉄道だった。ちなみに、こっから刈谷までのかんの開通が、刈谷から碧南までのかんの開通より1年おくれたのは、「院線こせんきょう架設のごとき一大難工事」があったため。

2021.1.26 (19) 三河知立ゼロキロポスト - 猿投いきふつう 1960-1460

こんどは知立方面からやってきた、猿投いきふつうのあっかい電車が、三河知立ゼロキロポストのまえをとおりすぎて豊田市方面にむかっていく。こっから碧南までのかんを開通させた三河鉄道は、第2段として豊田市方面に線路をのばしていった。こっから豊田市までの鉄道布設を計画した知挙軽便鉄道(ちきょけいべんてつどう)の免許権をゆずりうけて、線路をのばしていった。ちなみに「知挙」は、知立と、豊田の旧名挙母(ころも)の合成。

こっからみなみに、また、きたに、三河線はのびていった。三河知立ゼロキロポストのあるこの地は、三河線の聖地だ。三河知立は、2023年度完成予定の知立駅高架工事にともなってえきがなくなっちゃうだけど、歴史をつたえるこのゼロキロポストだけはのこしてほしい。

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三河知立ゼロキロポストの存在をおしえてくれたのが、いま豊田市近代の産業とくらし発見館で開催中の挙母駅開業100年展。また、三河鉄道開業以来の三河線のこまかな歴史までおしえてくれたのもこの展覧会。企画してくださったかたがたに感謝。


(さんこう)