美濃路は西枇杷島をあるく - 2021年2月18日

2021.2.18 (44) 西枇杷島 - 美濃路(ポライト) 1990-1500

東海道を宮宿で分岐して中山道に垂井宿で合流する美濃路。宮宿から名古屋宿、清洲宿って西北方向にすすんでいくだけど、名古屋宿と清洲宿のあいだで庄内川と新川をわたる。このふたつのかわにはさまれた区間を、これまでに2回あるいた。きたに名鉄名古屋本線も平行するこの区間を、1回めは二ツ杁のえきでおりて、2回めは新川橋のえきでおりて、それぞれちょこっとづつあるいた。ちょこっとづつあるいて、ひがしは問屋記念館からにしは新川橋のはしまでのかんをあるきおえた。のこった庄内川から問屋記念館までのかんを、3回めになるこんかいあるいてきた。西枇杷島のえきでおりて、あるいてきた。2021年2月18日のこと。

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西枇杷島のえきで電車をおりて、名古屋本線の線路みなみがわを名古屋方面にもどるかたちであるいていく。

2021.2.18 (29) 西枇杷島 - 王義之車だしぐら 1600-1200

庄内川につきあたって、堤防のうえに王義之車(おうぎししゃ)のだしぐら。電車で庄内川鉄橋をわたってくるときにみえた、あのだしぐらだ。

2021.2.18 (30) 枇杷島橋のはし 1590-1200

堤防ぞいをみぎ、かわしも方面にむかうとはしがみえる。名古屋から西枇杷島にわたってくるはしだ。

2021.2.18 (31) 美濃路みちしるべとにしびゆめだいこん 2000-1500

堤防からみぎした、側道ぞいに銅像とみちしるべを発見。銅像は、上半身はだかの農夫がばかでっかいだいこんをかたにかかえあげとるもんで、台座に「尾張名所図会おこし|にしびゆめだいこん」ってかいてある。にしびは西枇杷島の略だけど、だいこんはこの地の特産品か。西枇杷島はむかしいちばでさかえたまちで、ほれを記念してこの銅像があるにちがいない。みちしるべは美濃路のみちしるべで、「にし津島天王清洲宿みち|ひがし東海道名古屋みち|みなみ文政10年丁亥(ひのとい)7月吉日|きた岩倉みち」ってかいてある。文政10年は1827年。どのみちとどのみちがどういう位置関係にあったのかいまいちのみこめんけど、とにかくここが交通のかなめだったってことはわかる。

2021.2.18 (33) 問屋町交差点 - 枇杷島橋 1920-1500

堤防をあるいて、はしのたもとにとうちゃく。はしのむこうがわに、名駅の摩天楼がでかでかとみえる。はしのなまえは枇杷島橋で、堤防道路とまじわる交差点のなまえは問屋町(とんやまち)交差点。このあたりにいちばがあったにちがいない。

2021.2.18 (34) 西枇杷島 - 美濃路 1570-1180

はしからいったみちと側道のまじわる十字路を、側道から直進するかたちですすんで、美濃路にはいっていく。

2021.2.18 (35) 西枇杷島 - 橋詰神社 1980-1500

みぎに橋詰神社。

2021.2.18 (36) 西枇杷島 - 頼朝車だしぐら 1570-1200

ほのとなりに頼朝車(よりともしゃ)のだしぐら。たちのたかいしろいくらに、いりぐちのあかがあざやか。

2021.2.18 (37) 西枇杷島 - 美濃路(東海道線と東海道新幹線) 1570-1180

すすんで、東海道線東海道新幹線をいっぺんにくぐる。

2021.2.18 (38) 西枇杷島 - 泰亨車だしぐら 1460-2000

くぐって、すぐひだりに泰亨車(たいこうしゃ)のだしぐら。みあげるたかさの位置に唐破風(からはふ)つきのかわらやね。うすあおいろのいりぐち一面にちりばめられた各種家紋。

2021.2.18 (39) 西枇杷島 - 美濃路 2000-1500

左右、住宅街のなかにぽつぽつとみせ。

2021.2.18 (40) 西枇杷島 - 高照寺(鐘楼) 1500-1950

みぎに高照寺(こうしょうじ)。風格のある鐘楼をくぐって、なかにはいっていく。

2021.2.18 (41) 西枇杷島 - 高照寺(本堂) 2000-1500

本堂におまいり。かわらやねが、たてもん本体の部分から向背(こうはい)の部分にかけてきれいにつながってきとって、とってもすそののひろいやねにみえる。

2021.2.18 (42) 西枇杷島 - 六軒神社 2000-1500

また美濃路をすすんで、みぎおくに六軒神社。拝殿も本殿もひらいり銅板ぶきのたてもんで、水平ぎりの千木(ちぎ)と鰹木(かつおぎ)つき。

2021.2.18 (43) 西枇杷島 - 六軒神社 1980-1490

いしづくりのしろいとりいをくぐって、拝殿からおまいり。ところでさいせんばこも銅製。ながいことあめゆきにさらされて緑青(ろくしょう)におおわれとる。

2021.2.18 (44) 西枇杷島 - 美濃路(ポライト) 1990-1500

美濃路がゆるくみぎにゆみなっていく。まんだひるごはんがたべてなくて、めしやさんをさがしながらあるいていくだけど、なかなかない。さぶさもきつい。

2021.2.18 (45) 西枇杷島 - 紅塵車だしぐら 1510-1190

ついにはゆきまでふってきて、みぎに紅塵車(こうじんしゃ)のだしぐら。

2021.2.18 (46) 西枇杷島 - 八百喜(やおき) 1600-1200 2021.2.18 (47) 八百喜(やおき) - てんどん 1600-1160

あった。みぎ、問屋記念館のとなりに八百喜(やおき)。1回めに二ツ杁のえきでおりて美濃路をあるいたときに、ひがしにここ問屋記念館まできて、この八百喜でひるごはんをたべただ。こんかいも、ここでひるごはんにする。みせんなかストーブがあるのがありがたい。かかえこんでからだをあっためる。たのんだのはてんどん。ごちそうさまでした。

2021.2.18 (48-1) 「旧美濃路散策コース」(西枇杷島二ツ杁間) 920-840

問屋記念館のしきちにたつ地図かんばんで、あるいてきたみちすじをかくにん。枇杷島橋はいまのばしょじゃなくて、まあちょっとかわかみ、名鉄名古屋本線庄内川鉄橋とのあいだにあっただ。ほいで、名古屋から枇杷島橋をわたってきたとこが、にしびゆめだいこんの銅像美濃路のみちしるべのあったとこだ。さらに、問屋記念館のなかに掲示してある地図で、この問屋記念館のたてもんがもともとたっとったとこも、ほのあたりだってことがわかる。

まちあるきをおえて、かえりは二ツ杁のえきからかえりの電車にのる。


(さんこう)