足助をめざした鉄道がみっつある。岡崎電気軌道、三河鉄道、信参鉄道(しんさんてつどう)のみっつだ。岡崎電気軌道は、いまはなき名鉄挙母線の前身で、岡崎から北上して足助にいたる予定だった。三河鉄道は名鉄三河線の前身で、刈谷、知立から北上、豊田を経由して足助にいたる予定だった。信参鉄道は、新川から北上、あんじょうを経由して、豊田、足助にいたる予定だった。岡崎電気軌道は門立(もだち)まで開業して、以北断念。三河鉄道は西中金(にしなかがね)まで開業して、以北断念。信参鉄道は、どの区間も開業することなく解散。
信参鉄道株式会社株式申込証
1901年の信参鉄道株式会社株式申込証に発起人121人がしるされとる。いちばんおおいのが新川町のひとで31人。岡本八右衛門さんや角谷安兵さん、古居七兵衛さんっていうなまえがみえる。つぎにおおいのがあんじょうむらのひとで10人。岡田久治郎さんや山本新吉さん、平岩藤九郎さんっていうなまえがみえる。
この1901年の時点で西三河にあった鉄道は、東海道線のほか、岡崎電気軌道の岡崎市内線岡崎明大寺間だけ。
信参鉄道計画路線
ところで、信参鉄道の計画路線は、足助にとどまらんで飯田までいくもんだった。信参の信は信濃の信、信参の参は三河の三だ。
1906年、新川から足助までのかんで免許取得。1907年、新川から矢作までのかんで工事着手。ただし、資金がつづかず、開業のひをみることなく1916年に解散。
この1916年までに、西三河電気軌道は岡崎市内線を康生町まで延伸。三河鉄道が、刈谷からみなみに大浜までのかんと、きたに知立までのかんを、あらたに開業。また、これ以外に、西尾鉄道が、岡崎からみなみに西尾、平坂までのかんと、西尾から吉良吉田までのかんを、あらたに開業。
〔資料はすべて挙母駅開業100年展のもん〕
(さんこう)
- 足助と鉄道 - あきひこゆめてつどう|2018/11/26
- ことし2018年6月に足助(あすけ)のまちなみをあるいて、ほのことをしるしたブログ記事のさいごに「『足助と鉄道』のことはあらためてかく」っていっときながらいままでかけてなかっただけど、11月もおわりかけたいまになってやっとかけた。え、足助って鉄道とおってないじゃん!っておもうだらあけど、じつは鉄道の計画もあったし、とちゅうまでの開業もしとった。中馬館(ちゅうまかん)にかかげられとった年表にしたがって、足助の位置づけや鉄道の計画についてみていく。
- 信参鉄道の計画
1907年、信参鉄道、新川-あんじょう-足助-飯田-辰野線を計画する。
- 西三河の鉄道のうつりかわり〔地図目次〕 - あきひこゆめてつどう|2018/02/18
- 1907年時点 ↓ (※ 1901年時点では、岡崎電気軌道の岡崎市内線は岡崎から明大寺まで)
- 1915年時点 ↓ (※ 1916年時点もこの状態)
- 1907年時点 ↓ (※ 1901年時点では、岡崎電気軌道の岡崎市内線は岡崎から明大寺まで)
- 電車で おくみかわに いきたいな - あきひこゆめてつどう|2012/04/10
- 信参鉄道が できとや 安城は かわっとっただよな - あきひこゆめてつどう|2011/05/30