しんあんじょうのむかしといま

きょう2021年3月28日、「名鉄しんあんじょうえきの自由通路および橋上駅舎完成記念式典」にいったついでに、テントんなかにはりだしてあったむかしのしんあんじょうの写真をみてきた。

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2021.3.28 (9) 1958年のしんあんじょう(構内) 2110-1480

1958年のしんあんじょう。おれがうまれたつぎのとしだ。えきのまわりにはまんだたかいたてもんもないみたいで、のどかなかんじのえきだね。駅舎はきたがわ。ホーム配線はいまとおんなじみたいだけど、西尾線1、2番線のなごやよりにひきあげ線があるみたい。電車は、中央4番のりばに岐阜いき特急がとまっとって、いちばんみぎの1番のりばにも西尾線電車がみえる。

2021.3.28 (10) 1959年のしんあんじょう(駅舎) 2260-1590

1959年のしんあんじょう。きたがわにある駅舎を正面からみたとこ。むかしながらの駅舎だ。いりぐちひだりに公衆電話ボックスとまあるい郵便ポスト。みぎに田中千代服装学園の生徒募集広告。なかに、「IMAMURA」の文字と、防衛大博覧会の宣伝。まんだ今村駅だった当時だ。

2021.3.28 (11) 1961年のしんあんじょう(構内) 1900-1330

1961年のしんあんじょう。5番のりばに豊橋いき特急が、4番のりばに岐阜いき特急がとまっとって、電車をおりたひとたちがどどーって構内ふみきりをわたってくる。いや、ものすごいかずだ。高度経済成長が幕をあけるころだね。

2021.3.28 (12) 1968年のしんあんじょう(構内俯瞰) 1850-1280

1968年のしんあんじょう。4番のりばから岐阜いき特急がでていく。3番のりばにとまっとるのはパノラマカーで、西尾線にのりいれていく三河湾号にちがいない。1、2番のりばにも、それぞれ西尾線電車がとまっとる。えきみなみがわはまんだ市街地になってなくて、とおくへだてて工場群がみえる。

2021.3.28 (13) 1971年のしんあんじょう(えきまえ) 1800-1260

1971年のしんあんじょう。前々年に地下かいさつのえきにかわって、前年に今村駅からしんあんじょうえきになまえをかえた。写真はたぶんみなみぐち。えきまえロータリーにはいっていくバスと、バスとすれちがいに、それぞれの目的地にむかってあるいていくひとたち。横断歩道なんかくそくらえ。おんなのひとのスカートたけがみじかいのは時代か。

2021.3.28 (14) 1972年のしんあんじょう(えきまえ) 2080-1430

1972年のしんあんじょう。きたぐち。正面にでかでかと名鉄しんあんじょうビル。ロータリーにタクシーが3台きゃくまち。乗用車もなんだいかとまっとる。

2021.3.28 (29) しんあんじょう - 南北自由通路 1980-1480

時代はくだって、きょう2021年3月28日のしんあんじょう。写真は、橋上かいさつの面する南北自由通路。階段ののぼりおりがよりめんどうになる橋上かいさつにせんでも、地下かいさつのまんま改装することもできたじゃんかっていうおもいもあるけど、やっぱりぴっかぴかになったえきがうれしい。


(さんこう)