1440年に築城、1562年に廃城になったあんじょう城をあるいた。まわりの古戦場や、しろからつながるまちをふくめてあるいて、戦国期あんじょう城の歴史や、律令時代から江戸時代にかけてのあんじょうのまちの歴史をしることができた。とりわけ、律令時代からおおきないちのあるまちだったことにおどろいた。
〔あんじょう城史跡案内図〕
〔あんじょう城古図〕
〔あんじょう城史跡案内図(部分図)〕
◇ ◇
ふるいのわがやをでて、あざ金蔵塚(きんぞうづか)にある保福寺(ほうふくじ)をひだりにみて県道をきたにすすむ。あんじょう合戦でうちじにしたものたちをとむらった十三塚のひとつにある金蔵塚が、このあざめいの金蔵塚にあたるもんか。
ひだり30度にえだわかれするみちにはいっていく。ひだりはふるいだけど、みぎはあんじょう。
みぎ、ひろい墓地のなかに千人塚。あんじょう合戦は、1540年から1549年のあいだにくりひろげられたいくさなだけど、ここには千人ものひとがとむらってあるだ。
いしぶみに詩。「まつかぜのみどり/つきすむつかのあき」。
ほっそいみちをへだててむこうがわにつづく墓地のなかに東条塚。松平のあんじょう城は、はじめの合戦で織田にとられとる。さいごの合戦で今川のちからをかりてとりかえしとる。
ほっそいみちが勢井畷(せいなわて)で、これをきたにすすむ。すすんで、県道をななめによこぎっていく。
ぬまたのむこうに、あんじょう城のもりがみえてくる。ぬまたは、いまはふつうのたんぼと、一部が公園やあんじょうし歴史博物館の駐車場になっとる。
あんじょうし歴史博物館の駐車場のにしがわ、あんじょう南部小学校の体育館のわきに梅井。しろからつながるまちにある七つ井(ななつい)のひとつだ。
あんじょう城のもりをみぎにみながら公園をおくにすすんで、あんじょうし歴史博物館。
あんじょうし歴史博物館併設のぷらす珈琲店にはいって、ひるごはん。たのんだのは古代米ハンバーグカレー。なんだかうまい。
公園のいちばんみなみにある笙の塔(しょうのとう)にのぼって、ほっからみなみがわに一面にひろがるたんぼをのぞむ。古代うみだったたんぼだ。あんじょう城はうみにつきでたみさきっていうと、地形がわかりやすい。たんぼのむこうのまちがわがふるいのまちで、ひだりのほう、もりにかくれて塚越古墳がある。古代、ふるいにおおきな勢力があった。また、たんぼんなかをながれるのが勢井前川(せいまいがわ)。ふるいの住民にはなじみぶかい勢井前川だけど、勢井畷からみなみにたんぼにおりたとこにつづくかわってことで、このなまえがついたにちがいない。
ひがしがわにまわりこんで、あんじょう城二の丸。いまは、東尾のおみやさんこと八幡社になっとる。
二の丸のきたがわ、本丸とのあいさのみちをにしにはいっていく。
みぎ、本丸のみなみすみやぐら。いまはなんにもたってない。
いしがきもないつちの斜面につくられた、本丸にあがっていく階段。
きりぎし。わかりにくいけど、ただの自然斜面じゃなくて、人工的に傾斜をきつくした斜面だっていう。本丸のみなみがわだけきりぎしになっとる。
ひだり、二の丸にあがっていくいしだんをあがりかけたとこに、善恵坊(ぜんえぼう)のいしぶみ。あんじょう合戦のおり、ひとり奮戦して織田の鉄砲隊にうたれてなくなった善恵坊のいしぶみだ。
にしにぬけたとこにひだりに姫塚。おんなのひともなんにんかがあんじょう合戦のまきぞえでなくなっとって、こうやってとむらってある。
こんどは本丸のきりぎしをひだりにみて、二の丸とのあいさのみちをひがしにもどっていく。
また、ひがしがわにまわりこんで、あんじょう城本丸。いまは、了院(りょういん)こと安祥山了雲院大乗寺になっとる。安祥(あんしょう)はあんじょう(安城)と共通で、こういういいかたもした。
山門のみぎてまえに、義民中川覚右衛門頌徳碑(ぎみんなかがわかくえもんしょうとくひ)。江戸時代、あんじょうむらの庄屋中川覚右衛門は、干ばつで不作にくるしむむらびとらのために年貢減免を直訴して、自刃(じじん)したっていう。ほの徳をたたえて、このいしぶみがある。
本丸からきたがわの県道におりかけたとこに、中川覚右衛門自刃の地のいしぶみ。
県道におりんで墓地んなかをにしにすすんで、本多忠高(ほんだただたか)墓碑。松平はあんじょう合戦さいごの合戦で、今川のちからをかりてあんじょう城をとりかえしとるだけど、ほのおりに、松平軍の先鋒をつとめた本多忠高は、敵のやにあたってうちじにした。本多忠高は、徳川四天王のひとり、あの本多忠勝のちち。
墓碑をせおうかめのなんともおそろしげなこと。
県道におりてさらににしにすすんで、みなみむきに三の丸をみる。いまはあんじょうし歴史博物館になっとる。
三の丸のなか、県道よりのとこに風呂井。七つ井ふたつめ。
三の丸から本丸のほうをみてみる。本丸をとりかこむようにあったはざまみちのあとがこのへんにあるとのことだけど、ようわからん。
三の丸から県道をへだてたきたがわに虎口(こぐち)。虎口ってのは城外から城内へのいりぐちのことで、このあんじょう城のばあい、しろをかこうほりをわたるどばし(土橋)が虎口になっとっただけど、まさにこの県道からきたにはいっていくみちが虎口にあたる。
虎口から県道をひがしにすすんで、きたがわに本丸のきたすみやぐら。一定の範囲だけこだかくなっとる区画のおくに、いまはほこらがたっとる。ほこらのなかには、かみさまをまつるちいさなほこらがふたつ。いや、ほれにしても、あんじょう城本丸がこの東西にはしる県道にきりさかれとったとは。
本丸のきたすみやぐらから県道をひがしにすすんで、歴史博物館前交差点よりまあちょっといったみなみがわに浅黄井。七つ井みっつめ。ここは、一軒のおたくのいしがきづみのかどに、いしぶみがたっとるだけ。
歴史博物館前交差点のきたがわ、みぎ30度にほっそいみちをはいりかけたみぎがわに筒井。七つ井よっつめ。ここにたちよってこのみずをのんだ竹千代当時の徳川家康が、きにいってたけのつつにいれてもちかえったっていう逸話がある。これが筒井のなまえの由来だ。
歴史博物館前交差点からきたにのびるのが、東尾のめぬきどおり。しろからつながるあんじょうのまちは東尾と西尾にわかれるだけど、ほの東尾のめぬきどおりをきたにすすんで、ひだり、一軒のおたくの門のわきに中井。七つ井いつつめ。浅黄井におなじくいしぶみがたっとるだけだなけど、このおたくが中井さんじゃあない。
東尾町内会の十字路をみぎ、ひがしにはいっていって、みぎにえべすいし。まあちょっとひがしにいくとうみにおちるっていうとこだ。いしがきにかこわれてまわりよりいちだんたかい、おくにながい区画のおくに、ほこらがたっとる。いしだんをあがってすぐひだりに説明がきがあって、よんでみる。えべすいしは、いちばの開設にあわせてまつられたいちばがみだっていう。律令時代、あんじょうにはおおきないちがあったことから大市郷(おおいちのさと)ってよばれとって、ほのいちばがみとしてえべすいし、大国石のふたつがあっただ。いちばがみの神体に自然石をふたつえらんでおくのが、太古のかたちだったっていう。
いや、あんじょうのむかしのなまえが大市郷って、はじめてきいた。律令時代は、西暦700年から1000年までのあいだ。ほんなむかしっからあんじょうってさかえとっただ。すごいな。
ところで、えべすいしがみあたらん。
おくにいってほこらのなかをのぞいてみると、かみさまをまつるちいさなほこらがひとつ。ちいさいけどひわだぶきの、たましいがこもったようなおもみをかんじさせるほこらだ。でも、えべすいしはみあたらん。
東尾町内会の十字路までもどって、東尾町内会のむかいがわに大国石。みぎにお地蔵さんのお堂があって、ひだりに火之迦具土大神(ひのかぐつちのおおかみ)のほこらがあって、ふたつのまんなかに露天に大国石がおいてある。
東尾のめぬきどおりよりもにしのみちにはいって、みぎ、いしがきづみのおやしきにそって、ゆるいさかみちをきたにあがっていく。かすかにじょうかまちのふぜい。
みぎ、ふくろこうじのおくひだりがわに本多忠豊(ほんだただとよ)墓碑。あんじょう合戦のうち、松平があんじょう城をとりかえすのに失敗したときの合戦のおり、本多忠豊は主君をすくうべく敵陣に突撃してうちじに。本多忠豊は、徳川四天王のひとり、あの本多忠勝のおじいさん。さっきは本多忠勝のちちだったけど、こんどはおじいさん。墓碑をせおうのはやっぱりおそろしげなかめなだけど、このかめの台座がゆるされたのはごく一部のとくべつなひとにかぎられたとのこと。
みなみにいって、明法寺(みょうほうじ)。山門ひだりてまえに、安静御影御旧地のいしぶみ。あの安城御影(あんじょうみえい)がここにあるだ。浄土真宗の開祖親鸞聖人83才の肖像画が、ここあんじょうの明法寺にあるだ。このいしぶみじゃあ、あんじょうを安静ってかいてある。
山門をくぐって、本堂ひだりに中川覚右衛門墓碑。やさしげないしぼとけは、むらびとをおもう中川覚右衛門のこころをあらわしとるみたいだ。
本堂みぎ、おくりのたっかいかわらやねのむねのうえに、銅板ぶきのちいさなやね。換気のためかあかりとりのために、やねにあけたあなをおおうもんか。
明法寺からちょこっときたにはなれた東西のみちをにしにいって、ひだりに桜井。七つ井むっつめ。住宅のフェンス基礎のブロックづみにはさがってある。
さらににしに、岡崎につながる県道をよこぎっていって、みぎに柳井があるはずだけど、いっくらさがしてみてもない。あきらめかけたとこで、中日トーヨー住器のおじさんが、七つ井?ってこえをかけてくれる。さがしとることがわかったらしい。おじさんのてまねきで、しきちおくの資材倉庫いりぐちのわきに、みちからはみえんかたちでよこむきに柳井のいしぶみがあるのをかくにん。七つ井ななつめ。こいで完全制覇だ。おじさんに感謝して、ふるいにかえる。
〔2021年3月30日訪問〕
(さんこう)
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