詩仙閣にあそぶ

2021.4.9 (1) 詩仙閣 - 嘯月楼(しょうげつろう)まるまど 1580-1180

嘯月楼(しょうげつろう)にのぼって、まるまどからそとのけしきをたのしむ。

2021.4.9 (2) 詩仙閣 - 嘯月楼(しょうげつろう)あがりぐち 1600-1200

したにおりたとこのこまどからにわをのぞいて、ひかりとかげをたのしむ。

2021.4.9 (3) 詩仙閣 - にわ 1990-1500

廊下からにわをっみて、ひかりとかげをたのしむ。

2021.4.9 (6) 詩仙閣 - 詩仙のま 1600-1200

詩仙のま、かもいのうえ、四方に三十六詩仙の漢詩

2021.4.9 (4) 詩仙閣 - 杜甫の詩 1190-1100
登岳陽楼 - 杜甫
昔聞洞庭水|今上岳陽楼|呉楚東南坼|乾坤日夜浮|親朋無一字|老病有孤舟|戎馬関山北|憑軒涕泗流

高校のときに漢文でならった杜甫の詩もある。

2021.4.9 (5) 詩仙閣 - 詩仙のま 1600-1200

詩仙のまのこまどからうらにわをのぞいて、ひかりとかげをたのしむ。

2021.4.9 (7) 詩仙閣(しせんかく) - 抹茶とまんじゅう 1600-1200

抹茶とまんじゅうをいただいて、詩仙閣(しせんかく)をあとにする。

〔2021年4月ここのか訪問〕


(さんこう)

  • ひかりとかげ。|iwase.akihiko|インスタグラム|2021年4月9日
    • ひかりとかげ。おもしろいな。丈山苑は詩仙閣にあそぶ。 #石川丈山
  • 安城市/丈山苑
    • 住所:愛知県安城市和泉町中本郷180番地1
    • 江戸時代のはじめ、徳川家康の近習(きんじゅ)を退き学問にうちこんだ石川丈山(いしかわじょうざん)が京都一乗寺に建てた詩仙堂。丈山苑(じょうざんえん)は、そのイメージを生誕の和泉町に再現し「丈山の世界」を伝えるための空間として、1996年5月に開苑しました。
    • 丈山苑の核となる詩泉閣(しせんかく)には、探幽の「画」、丈山の「賛」と伝えられる詩仙堂ゆかりの三十六詩仙図(板絵、複製)をはじめ、隷書体の書幅などが掲げられ、丈山の感性をしのぶことができます。庭園は、丈山の作庭した詩仙堂東本願寺渉成園枳殻邸)、田辺の酬恩庵(一休寺)の三庭園をイメージし、唐様庭園・回遊式池泉庭園・蓬莱庭園を組み合わせた本格的な庭園であり、ところどころに丈山の漢詩碑を配しております。
    • 四季折々の風を感じながら苑内にたたずみ、ゆったりと一服の茶を味わうとき、悠々自適に生きた丈山からの現代へのメッセージを感じることができます。
  • 詩仙堂丈山寺公式Webサイト
    • 京都市左京区一乗寺にある詩仙堂は、江戸時代の文人石川丈山の晩年を過ごした山荘跡です。現在は曹洞宗大本山永平寺の末寺としても知られており、連日多くの方にご参拝いただいております。
    • また当寺は、四季折々の景色や日本ならではの風情が楽しめる場所として、過去にはイギリス王室チャールズ皇太子と故ダイアナ妃が訪れたことでも有名です。京都にお越しの際は、ぜひ当寺をご参拝ください。
  • 『登岳陽楼』杜甫【原文・書き下し文・現代語訳・解説】
    • 『登岳陽楼』(岳陽楼(がくようろう)に登る)は杜甫57才、最晩年の作品です。杜甫は旅の途中59才で亡くなりました。
    • 夔州(きしゅう/現在の重慶)に2年間おった杜甫はその后長江を江陵まで下り、そこから都長安に向かおうとしますが、北では反乱が起こり、さらに生活を援助してくれる人が南にしかおらんかったこともあって、まずは洞庭湖に更には湖南省の長沙、衡陽に向かいます。
    • 『登岳陽楼』はこの洞庭湖畔、岳州で詠んだ歌です。
    • 第8句「憑軒涕泗流(のきによればていしながる)」
      • 第8句「憑」は「もたれる・寄りかかる」。「軒」は「手すり」。三層の岳陽楼の写真を見ると2階には手すりのような柵があります。杜甫はここに立ったのでしょうか。それとも3階の窓から?もっとも今の岳陽楼は清朝時代の1867年に建てられました。
      • 「涕泗」の「涕」は「涙」、「泗」は「鼻水」です。杜甫はここで声を放って泣いたのでしょうか。望郷の涙でもあり、夢かなわんまま老いを迎えた我が身を悲しむ涙でもあるのでしょう。敗残の人生をそのままさらし手放しで泣く。人生に悔いのない人などおるのでしょうか。后世の人々の生の哀しみを救ってくれる率直さです。