願力寺 - 友山のふでづか

2021.8.21 (1) 願力寺ふでづか - 全景(おもて) 1960-1500
2021.8.21 (2) 願力寺ふでづか - 全景(うら) 1960-1500

わがふるいのまちに願力寺(がんりきじ)っててらがあって、ほの境内に友山(ゆうざん)のふでづかってつかがある。

2021.8.21 (3) 願力寺ふでづか - いしぶみ(おもて) 2000-1500
2021.8.21 (3-1) 願力寺ふでづか - いしぶみ(おもて) 1000-1920

つかのまんなかにいしぶみ。3代まえの願力寺住職山田友山の還暦いわいにでしたちがたてたもんだっていう。友山はえがとくいで作品がいまにつたわる。また、友山の親族やしりあいにも高名な人物がおおい。友山のあに佐々木月樵(ささきげっしょう)は、上宮寺(じょうぐうじ)に養子にはいって、大谷大学の学長もつとめた。友山のいもうと房子は、宗教家で俳句もとくいな暁烏敏(あけがらすはや)にとついだ。友山から住職をついだ長男亮賢(りょうけん)は、書がとくいだった。二男田原惟信(たはらゆいしん)は、沖縄は真教寺(しんきょうじ)の3代住職になって、沖縄戦でいのちをうしなったひとたちの遺骨収集をして、ひめゆりの塔をたてて、さらに沖縄仏教会の会長をつとめた。

2021.8.21 (4) 願力寺ふでづか - いしぶみ(うら) 1500-2000
2021.8.21 (4-1) 願力寺ふでづか - いしぶみ(うら) 950-860

いしぶみのうらめんに発起人のなまえ。
「発起人|石原〇松、杉浦〇〇、細井信治、酒井〇〇吉、石原〇〇、〇〇〇〇、太田政一、岩瀬竹松、大河内留太郎、稲垣〇〇〇、市〇〇〇、〇〇〇〇|昭和五〇年〇〇〇〇」
いや、わが祖父のなまえまであるのに、びっくり。

〔2021年8月21日訪問〕


(さんこう)